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マラドーナも認めたピッチの闘将
ドイツ代表(西ドイツ時代含む)150試合、ワールドカップ5大会連続出場、ワールドカップ出場試合数25試合はいずれも最多記録
代表、バイエルン、インテルなどでキャプテンを務め多くのタイトルを獲得した
マラドーナに「自分が対峙した中で最高の選手」と言わしめる程だった
4位三浦知良
引用元: Amazon
三浦 知良(みうら かずよし、1967年2月26日 - )は、静岡県静岡市葵区出身のプロサッカー選手、元フットサル選手。J1リーグ・横浜FC所属。ポジションは左ウイング、センターフォワード(日本帰国後)。妻はタレント・ファッションモデルの三浦りさ子、長男は俳優の三浦獠太。 Jリーグ史上最高齢の53歳でJ1リーグでプレーしており、世界最高齢での得点記録を持っている。
言わずと知れた日本サッカー界のキング
まだJリーグがスタートするすこし前、ブラジルから読売クラブ(現東京ヴェルディ)に移籍したカズが低迷する日本サッカー界を盛り上げてくれた
正に日本サッカー界の希望の光だった!
そして瞬く間に代表のエースに君臨し、Jリーグ開幕後はブームを牽引
初のセリエAの日本人選手となり日本人選手のイタリアへの門戸を開いた
近代、日本のサッカーが急速発展を遂げた一番の立役者
5位中田英寿
Hidetoshi_Nakata_in_Okinawa.png by norio nakayama / CC BY
中田 英寿(なかた ひでとし、1977年1月22日 - )は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手。元日本代表。愛称は「ヒデ」。国際サッカー評議会(IFAB)諮問委員。株式会社東ハト執行役員。一般財団法人「TAKE ACTION FOUNDATION」代表理事。観光庁「アドバイザリー・ボード」メンバー。 日本代表のFIFAワールドカップ(以下W杯)3大会連続出場に貢献。
GK大国ドイツの中でも歴代最高のキーパー
ショットストッパーとしての反応の速さ、1対1の強さ、的確な判断能力、キックの精度などあらゆる面で世界トップレベルであり現代サッカーで必要とされるゴールキーパーの能力を全て兼ね備えている
数々の名ゴールキーパーを生んだドイツでも歴代最高の呼び声は高い
8位中村俊輔
引用元: Amazon
中村 俊輔(なかむら しゅんすけ、1978年6月24日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区出身の日本のプロサッカー選手である。ポジションはミッドフィールダー。J1リーグ・横浜FC所属。元日本代表。 2000年と2013年にJリーグMVPを獲得。Jリーグ史上初のMVP複数回受賞者。ほかにアジアカップ2004MVP、2006-07スコティッシュ・プレミアリーグMVPなどの受賞歴がある。
日本最高のレフティ
俊輔はテクニック、バス精度の高さとなんと言っても左足からのフリーキックであろう
UEFAチャンピオンズリーグのマンチェスターU戦での2発のFK弾は日本のみならずグラスゴーでも伝説として扱われている
9位アンドレス・イニエスタ(Andres Iniesta)
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アンドレス・イニエスタ・ルハン(Andrés Iniesta Luján, 1984年5月11日 - )は、スペイン・カスティーリャ・ラ・マンチャ州アルバセテ県フエンテアルビージャ出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ヴィッセル神戸所属。ポジションはミッドフィールダー。元スペイン代表。
ラ・マシアが生んだ奇術師
もしバルサに彼がいなかったらメッシはこれ程活躍できていたのだろうか?
彼がスペイン人じゃなかったらスペインはワールドカップで優勝出来ただろうか?
それほどの影響力を持つ選手がJでプレーしている現実が夢のようである
10位小野伸二
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小野 伸二(おの しんじ、1979年9月27日 - )は、静岡県沼津市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。Jリーグ・FC琉球所属。元日本代表。 FIFAワールドユース準優勝、FIFAコンフェデレーションズカップ2001準優勝、日韓ワールドカップGL1位通過、UEFAカップ優勝、アジア年間最優秀選手賞を受賞。FIFA世界大会、UEFAクラブ国際大会のすべてに出場した唯一の日本人選手である。
天才の中の天才
浦和でデビューした頃も衝撃だったが
フェイエノールトでも凄かった
当時オランダ代表のファン・ペルシは「セードルフより彼と出会った時の方が衝撃だった」
カイトも同様の事を言っていたのを思い出す
怪我さえなければもっと活躍できていたと思う
11位ロナウド(Ronaldo)
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13位イアン・ラッシュ
1980年代欧州最強だったリヴァプールの絶対エース
リヴァプールのレジェンドであるケニー・ダルグリッシュ引退後、同クラブの絶対エースとして君臨した
ウェールズ代表のエースとしても活躍したがワールドカップの舞台には一度も立てなかった
14位ミシェル・プラティニ
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華麗なるテクニックを持つサッカー界のナポレオン
ジダンと並ぶ、フランスの国民的英雄
フランス代表とセリエA・ユベントスの「将軍」として1980年代マラドーナ、ジーコ、ルンメニゲと並ぶスーパースターでした
ブラジルのジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾ、ファルカンの中盤の「黄金のカルテット」に対してフランスのプラティニ、ジレス、ティガナ、ジャンジニ(フェルナンデス)の中盤は「四銃士」と呼ばれ、両チーム共に多くの優秀なタレントを抱えていたにも関わらず彼らのチームはワールドカップで優勝出来ませんでした
ユベントスの一員でトヨタカップで来日し、試合でのスーパーゴールがオフサイドで取り消された直後に肘立て枕で横たわり呆れ顔で無言の抗議をしていた姿は今でも忘れられないシーンです
神の子を越えるのは神の子しかいない
20世紀を代表するスーパースターの中のスーパースター
技術、カリスマ性、そしてスキャンダルも含めどれも超一流!
それはメッシとてマラドーナの領域には到達していない