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山口狛犬楽会 藤井克浩さんの「山口県の個性的な狛犬ランキング」

9 10
更新日: 2020/10/07
山口狛犬楽会 藤井克浩

山口狛犬楽会 代表

山口狛犬楽会 藤井克浩

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ランキング結果

親子の戯れる姿

親子の戯れる姿が大変ほほえましく
また、他県では親子のこのような姿の狛犬さんは珍しいです
この狛犬さんは1867年下関の「藤本」石工による作
今回6位の下関市亀山八幡宮の「角喜兵衛」の狛犬は1861年
角喜兵衛は親子狛犬作りのパイオニアともいえます
藤本石工は角喜兵衛の技を受け継いだ職人なのかもしれません

粗削りがいい

高泊神社の細かな細工の施された親子狛犬から
2位となった玉祖神社の狛犬さんの姿は真逆
おおらかな表情と間の抜けたような表情
対面するこちらも笑ってしまいます
正面から見るとおおらかですが
背後に回ると・・あ~らびっくり
背骨と肋骨が荒々しく表現されています
その落差に目も飛び出るほど驚きます

かわいらしい

謎は多くてもその可愛さは格別な
百済部神社の狛犬さんが3位
鳥取県の有名な石工「川六」が作った
狆狛を模したと思われる姿は愛くるしく
小柄な姿は大きな本家よりもこちらの方が
可愛さでは上ではないかと思われます
謎・・鳥取の狆狛がナゼ平生町に?
鳥取で作られてこちらに来られたのか?
本家を見てこちらの石工が製作したのか?
そしてナゼ狆狛だったのか??
可愛いから・・
そんなことはどっちでもいいですね(^^ゞ

狛犬でナイト

西洋の甲冑をまとった騎士のような姿は
初めてお目にかかった時の驚きは今でも
騎士が神社を護っています
温厚な姿の多い山口の狛犬さんのなかで
柚木神社の境内は少し緊張します(私だけ)
1787年奉納は山口市最古となります
初めて守護獣の狛犬を作る事となった石工
あえて異様ともいえる姿を選んだのかもしれません

200年よそ見

この写真を見て・・おやっ(゜o゜)!?っと
思われた方は、かなりの玄人さんでしょうね
その、おやっ!?な点は、阿吽の顔の向き
視線は神殿の方を向いています
いつもの狛犬さんの阿吽を左右逆に置いたら
この様な顔の向きになると思いますが
阿は右、吽は左と配置は間違っていません
今は参道に対して直角に置かれていますが
元々は平行に置かれていたのか??
参道を改修した際に左右が入れ替わるとかありますが
参道などを改修したような痕跡はありません
もしかすると・・顔の向きを間違って作った石工が
そぉ~~っと知らぬ顔で置いたとしたら( ゚Д゚)""
奉納された1800年から200年余り狛犬さんは
神様だけをずぅ~と見守り続けたんですね~

親子の戯れる姿

親子狛犬は県内では下関近郊のみに見られる姿です
その中で最も古く大きい姿をしておられます
真白な花崗岩で作られた堂々とした姿と
見る角度によって変わる戯れる子どもたちの豊かな表情
この狛犬さんの前に来ると見とれてしまいます
この狛犬を作り出した石工は角喜兵衛
1860年代の山口を代表する名工です
その腕前を買われたのでしょう大分など
県外にも角喜兵衛の狛犬は行かれています

おさるさ~ん、だよ

日吉神社は県内各地に数多くありますが
狛猿として居られるのはこちらだけです
今回の候補の中で唯一の犬でも獅子でもない猿の姿
そのインパクトが大きかったのでしょう

とろける、ゆるさ

暑い夏も過ぎて・・この狛犬さん暑すぎて
とろけた訳ではありません
それにしても、ゆるいその表情に
こちらもニンマリとしてしまいます
防府市の狛犬さんの中では最も古い(1779年)姿です
その前は防府天満宮に1759年に大阪から来られています
モデルとなるのはそれしかありません
地元の石工が大阪の狛犬を基に作り上げた
努力の姿がなのかもしれません

うねりのフォルム

県内の狛犬の中で唯一
生い立ちがはっきり残っています
天明年間に当地では災いが続きました
その平穏を祈願して大地主が
徳山の石工に狛犬を作らせて奉納されたそうです
その表情は石で作られたとは思えない
うねりのフォルムは粘土細工のようです

鳥肌もの

山口県東部では徳山(現周南)で最も早く
狛犬が作られ始めました1777年(遠石八幡宮)
その姿は大坂の狛犬を基として端正な姿
その後、徳山独自の姿として誕生したのが
昨日の松尾八幡宮などクセの強い姿でした
せっかく独自の姿が登場したにもかかわらず
余りのクセの強さ?に広がらず
その代わり都会の香りする端正な狛犬が広がります
花岡八幡宮(1789)もその流れの中の姿ですが
端正な姿に様々な装飾が加味されて
こってり濃い味付けに変化しました

デフォルメ極めり

強烈なデフォルメは見る者をくぎ付けにします
心打つ姿に言葉はありません
石工の腕前、上手!下手!などは関係ない
そのたたずまいから当時の息遣いまでも伝わります

青い目

まず吽像の青い目に驚きます、その正体は銅板です
銅板がさびて今は青い目ですが
創建当時はたぶんピカピカの目をしていたでしょう
それにしても・・
片方にしか銅板がはめ込まれていないのはナゼ(・・?
近くの福田八幡宮では阿吽ともに銅板がはめ込まれた
姿を見る事が出来ます
こちらも元々は両方はめ込まれていたけれど
阿像だけ脱落してしまったのか?
元から片方だけだったのか?
目の銅板も特徴的ですが、1814年に作られたとは思えない
愛くるしい姿は今でも通用するデザインではないでしょうか

ぽ~にょ ぽ~にょ

山口県の中央に位置する山口市に居られる
玉乗りは山口県で最も古い(1854年)玉乗り狛犬です
石工名は「有田」とあり、市宝の流れをくむ作品です
玉乗りと言えば尾道狛犬ですが県内に入ってきたのは
1842年から山口県の東部、岩国市に登場しています
しかし、山口市近郊へは1864年が最初となります
と!言うことは山口県東部に入った玉乗りを
視察なりして、それを基に市宝石工が作り上げた
山口の玉乗り狛犬ですが
尾道狛犬の細く締まったウエスト
ピンと立った耳など鋭いイメージからかけ離れた
ぽっちゃりのわがままボディーとなりました
そして、両方が口を開けてる姿
ぽっちゃりすぎて・・バランスボールにあえいでいるのかも(^^ゞ

そんなバナナ

私が勝手に思ったのは、バナナマン日村!狛犬
あのね~僕ね~!!と大事そうに玉を押さえている
なんとも健気な姿にきゅんとします
この写真だけではわかりませんが
実物と対峙すると、その押し出しの強さに
圧倒されます・・だけど、姿はバナナマン(^^ゞ
写真ではわからないその臨場感
ぜひ会いに出かけてください
大迫力の迫り顔が問いかけてきます
あのね~僕ね~!!と

集大成

山口の狛犬は緻密な細工と言うよりは
おおらかに形作られているものが多いです
瀬戸内側の狛犬についてはそう言えます
しかし、それは日本海側の萩狛犬には当てはまりません
萩の石工が持てる技と感性を総動員した
その姿は狛犬本体だけではなく
台座に至るまで緻密に細工がなされて
元となる金谷天満宮の完璧な出来栄えに
本体は100年余り姿を変えずに作り続けられます
台座には社に関わる植物や動物、物語など
石工が石を刻む技だけではなく知識も豊かであった
ことを物語る三位一体の山口を代表する姿です

最古の風格

屋外に置かれた石で作られた狛犬としては
山口県で最も古い狛犬さんです
屋外の狛犬なので参道狛犬と言えるのですが
少し疑問点が浮かんできました
1702年に周方神社に大阪の狛犬さんが来られて
その次に山口に参道狛犬が建立されるのは
1758年の防府天満宮、こちらも大阪の狛犬さんです
その50年余り今までの調査では山口に
参道狛犬は建立されていません
50年の空白?これが疑問です
私の妄想ですが・・
参道狛犬登場以前、狛犬は神殿の中に居られました
神殿狛犬は木製や青銅製そして石で作られたものありました
県内でも石で作られた神殿狛犬も居られます
周方神社の狛犬は本来は神殿狛犬として来られたけれど
何らかの事情で今は参道狛犬として居られる
大阪で神殿狛犬から参道狛犬へと環境が変化し
その切り替わりに50年の歳月がかかったのかも知れません
あくまでも・・私の妄想です

端正な姿

山口県内でいち早く参道狛犬が広まった周南地域
当初は大坂から来られた狛犬ばかりでしたが
やがて当地で作られるようになりました
最初に登場したのが第9位で紹介した松尾八幡宮
しかし、あまりに個性的過ぎたのか
その姿が受け継がれることはありませんでした
そして、次に登場したのが、すっと背筋を伸ばして
表情は日本人離れした雰囲気を持っこちらです
この姿はその時代の大阪の狛犬さんを模して作られており
上方の整った姿が受け入れられて周南の狛犬は
こちらを基本形として進化してゆきます

ヘィ!! ミッキー

岩国市と言っても錦帯橋の在る錦川下流から遡り中流域
広島県との県境付近に居られます
人呼んで(私です)ミッキー狛犬
遠くから見ると丸いお顔、その上に大きな丸い耳
参道に向かって首を曲げて見つめています
ディズニーのミッキー登場は1928年
こちらの狛犬さんは1859年と言うことは
70年も前にミッキーの原型は山口で
出番を待っていたということになります(゜o゜)""
あくまでも・・妄想です

リアル獅子

初めて出会ったときの驚きは今でも
岩国から東京に出られた方々の奉納です
今にもとびかかってきそうなその姿はヒョウ
獅子、ましてや犬でもありません
そしてその姿は切り立った岩場の上に
獅山と呼ばれ関東で見られるようですが
山口ではこちらでしか見られません
大正時代に来られた狛犬さん
都も大きく変わりましたよ

唯一無二

長府庭園は長府毛利藩の家老であった
西運長(にしゆきなが)の屋敷跡です
その庭園の一番奥まったところ
2メートルほどの石柱の上から
庭園を眺めて居られます
石柱の奥には仏像が居られます
この仏像の守護として置かれたのか?
由来などは不明ではありますが
県内では唯一無二の姿です

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