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2位桜田淳子
引用元: Amazon
生年月日 / 星座 / 干支 | 1958年4月14日 / おひつじ座 / 戌年 |
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出身地 | 秋田県 |
プロフィール | 1972年、14歳の時に日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』のテレビ予選で、牧葉ユミの『見知らぬ世界』を歌い、番組史上最高得点となる573点で合格。その後の第4回決戦大会では審査員からの圧倒的な評価を受け最優秀賞(グランドチャンピオン)を受賞した。翌年『天使も夢みる』で歌手デビュー。3枚目のシングル『わたしの青い鳥』がまたたく間にヒットし、第15回日本レコード大賞新人賞、第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞。さらにその年の大晦日には第15回日本レコード大賞の最優秀新人賞にも輝いた。 |
代表作品 | シングル『わたしの青い鳥』(1973年)
シングル『はじめての出来事』(1974年) シングル『夏にご用心』(1976年) シングル『しあわせ芝居』(1977年) |
花の中三トリオの中で可愛い部門担当
山口百恵ちゃんを筆頭に、大人しめの森昌子と仲良しトリオでした。1位が山口百恵であれば、自然と2位は桜田淳子ちゃんになってしまいましたね。歌い方も可愛らしくまた独特なものがあって和みました。
3位森昌子
引用元: Amazon
生年月日 / 星座 / 干支 | 1958年10月13日 / てんびん座 / 戌年 |
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出身地 | 栃木県 |
プロフィール | 栃木県出身。1971年、「スター誕生!」の初代グランドチャンピオンとなる。翌年、弱冠13歳にして歌手デビューした曲『せんせい』が大ヒットし、その後も圧倒的な歌唱力と親しみやすいキャラクターで『同級生』、 『中学三年生』と続く学園三部作や、『おかあさん』、『なみだの桟橋』『哀しみ本線日本海』、『立待岬』など歴史に残る名曲を次々と 世に送り出した。 1983年には『越冬つばめ』で第25回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞し、1985年NHK『紅白歌合戦』では最年少で司会とトリを務め、国民的実力派歌手としての地位を不動のものにするが、 1986年8月に結婚のため引退。 2006年6月、『バラ色の未来』で再デビューし、同年のNHK『紅白歌合戦』に出場。 2007年にはコンサートで全国を周る傍らNHK『連続テレビ小説「どんど晴れ」』にヒロインの母親役としてレギュラー出演した。2008年4月1日、個人事務所「おんがく工房」を設立。 |
代表作品 | シングル『せんせい』
シングル『おかあさん』 シングル『立待岬』 |
花の中三トリオのお姉さん系
一位・二位が山口百恵・桜田淳子となれば、三位は当然この人でしょう。森昌子は、やはり特別に歌がうまかったと記憶しています。3人の中ではお姉さんというかお母さんというか、年甲斐もなく落ち着いた印象でしたね。しかし個性の違う3人だからこそ、上手くいって皆んなに愛されたのだと思います。
4位アグネス・チャン
引用元: タレントデータバンク
生年月日 / 星座 / 干支 | 1955年8月20日 / しし座 / 未年 |
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出身地 | 香港 |
プロフィール | 1972年、『ひなげしの花』で日本デビュー。一躍アグネス・ブームを起こす。上智大学国際学部を経て、カナダのトロント大学(社会児童心理学)を卒業。1984年、国際青年記念平和論文で特別賞を受賞。翌年、北京チャリティーコンサートの後、エチオピアの飢餓地帯を取材、その後、芸能活動のみならずボランティア活動、文化活動にも積極的に参加。1989年、米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学。1994年、教育博士号取得。1998年、日本ユニセフ協会大使に就任。以来、タイ、スーダン、東西ティモール、フィリピン、カンボジア、イラク、モルドバ共和国と視察を続け、その現状を広くマスコミにアピール。2000年、歌手活動を再開し、シングル『この身がちぎれるほどに』は20万枚のヒットを記録。2002年、初の短編小説集『パーフェクト・カップル』を発売。2006年、全米歌手デビュー。芸能活動のほか、エッセイスト、大学教授、日本ユニセフ協会大使など文化人としても幅広く活躍。 |
代表作品 | 著書『みんな未来に生きるひと』
著書『この道は丘へと続く』 著書『パーフェクト・カップル』 |
今では立派なお母さん
歌い方もルックスも可愛くて、ましてや日本人じゃなくて。特にあの片言の日本語が可愛かったですね。彼女は今現在もメディアでたまにお見かけしますが、永遠のアイドルだったような気がします。
とにかく綺麗で可愛い
どことなく大人の雰囲気があり、鼻声の歌い方も印象に残っています。子どもながらにどこか大人の女性でかつ歌もうたえて憧れの存在そのものでしたね。思えば彼女を知ってそれからしばらくは歌手になりたいと本気に思ったものでした。
スーパースター
もちろん、この時代を代表するスーパーアイドルです!ラストコンサートにも行きました。子どものころ、歌はもちろんファッションも真似していました。今でもあの頃の歌を聴くと心が和みます。絶頂期のときに引退されましたが、今はパッチワーク創作の活動をして幸せに暮らしているとのことです。