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1位MISIA

引用元: タレントデータバンク
生年月日 / 星座 | 7月7日 / かに座 |
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出身地 | 長崎県 |
プロフィール | 1998年2月にシングル『つつみ込むように…』でデビュー。その後、『Everything』など数多くの名曲を発表。その圧倒的な歌唱力と楽曲の完成度の高さで一躍日本を代表するトップアーティストに。これまでに発売した作品総セールス数は、世界で2000万枚以上にも及ぶ。音楽活動のほかに、2008年には「Child AFRICA(チャイルド・アフリカ)」を設立。国際機関と協力して、途上国の子供たちの取り巻く教育の問題を中心に支援活動を行うなど、世界的視野のもとでの社会貢献活動にも注力している。 |
代表作品 | CDシングル『白い季節 / 桜ひとひら』(2015)
CDアルバム『NEW MORNING』(2014) CDシングル『恋は終わらないずっと』(2012) |
6位福原美穂
7位越智志帆(Superfly)

引用元: Amazon
11位岩崎宏美

引用元: タレントデータバンク
生年月日 / 星座 / 干支 | 1958年11月12日 / さそり座 / 戌年 |
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出身地 | 東京都 |
プロフィール | 東京都出身。1975年“天まで響け 岩崎宏美”をキャッチフレーズに『二重唱(デュエット)』でデビュー。当時から抜群の歌唱力には定評があり、『ロマンス』や『思秋期』では数々の賞を受賞。1982年には『聖母たちのララバイ』が130万枚の売り上げを記録するなど、歌手として着実な実績を上げていく。その一方でミュージカルやドラマなどでも多彩な才能を発揮。『レ・ミゼラブル』のファンティーヌ役は、1987年の初演メンバーとして出演。この役との出会いは、歌手人生において大きな影響を与える。2010年、デビュー35周年を迎え、その記念に発売されたカバーアルバム集『Dear Friends BOX』が、第52回日本レコード大賞・企画賞を受賞。2012年には、念願であったさだまさしによる書下ろしシングル『あなたへ~いつまでも いつでも~』を発売。2013年6月4年ぶりのオリジナルアルバム『Love』を発売。2013年10月、揖保の糸のCMソングとして使用されている「時の針』がアルバムからのシングルカットとして発売。2014年にはデビュー39周年として、稀代のポップ・メロディーメーカー斎藤誠プロデュースによる通算66枚目の新曲『Thank You!』を5月に発売。8月には、カバーアルバム第7弾『Dear Friends Ⅶ 阿久悠トリビュート』を発売。今年40周年を迎え、更に精力的に活動中。 |
代表作品 | シングル『ロマンス』
シングル『思秋期』 シングル『シンデレラ・ハネムーン』 |
13位KOKIA
15位天童よしみ

引用元: タレントデータバンク
生年月日 / 星座 | 9月26日 / てんびん座 |
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出身地 | 大阪府 |
プロフィール | 1971年、「いなかっぺ大将」挿入歌『大ちゃん数え唄』で「全日本歌謡選手権」の最年少チャンピオンとなる。1972年、『風が吹く』でデビュー。その後、『道頓堀人情』が大ヒットし全日本有線大賞特別賞を受賞。1992年、第34回日本レコード大賞企画賞ほか多数の賞を受賞。1997年、『珍島物語』が100万枚を超える大ヒットとなると同時に『よしみちゃんキーホルダー』が各地で話題に。爆発的ブームとなり、その歌唱力とともに国民的アイドルとなる。2000年、NHK紅白歌合戦で20世紀最後の赤組のトリとして重責を果たし、2003年には『美しい昔』、2005年には『川の流れのように』で3度目の赤組トリを務める。また、音楽活動は歌謡界にとどまらず、ディズニー映画『ブラザーベア』ではフィル・コリンズの作詞・作曲、劇中歌を歌い、ドラマではフジテレビ『天草こずえの歌姫探偵』で主演。舞台でも大阪新歌舞伎座・新宿コマ・名古屋御園座などで幅広く活躍している。 |
代表作品 | CDシングル『5時の汽車で』(2015)
CDシングル『いのちの春』(2015) CDシングル『いのちの人』(2015) |
19位髙橋真梨子

引用元: タレントデータバンク
生年月日 / 星座 / 干支 | 3月6日 / うお座 / 丑年 |
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出身地 | 福岡県 |
プロフィール | 広島生まれ、福岡育ち。ジャズプレイヤー(クラリネット、サックス)の父親の影響で、音楽に触れる家庭環境で育ち、14歳の頃からジャズを勉強し始める。本格的なレッスンを受けるため16歳で上京。駒沢学園高校に通いながら、ジャズピアニスト柴田泰氏に歌を師事。高校卒業後、一時博多に戻りライブハウスで活動。その卓越した歌唱は多くのファンをとらえ、東京においても知る人ぞ知る存在になっていた。そして、ペドロ&カプリシャスのリーダーペドロ梅村氏の誘いで、カプリシャス2代目ヴォーカリストとして再び上京。1972年、ペドロ&カプリシャスのメンバーに加入し、プロデビュー。1973年3月、ワーナーパイオニアレコードより『ジョニィへの伝言』を発表し大ヒット。その後『五番街のマリーへ』『陽かげりの街』等のヒットが続き、音楽界に新風を吹き込んだ。これら一連のヒットや記録的なロングセラーは、カプリシャスの完成されたサウンドに支えられたことは勿論、ヴォーカリストの歌唱力・表現力によって得られたものといえる。このグループでラテン音楽・ポピュラー音楽の真髄に触れ、一段と実力をつけ6年余り経過した時、日本の新しい音楽シーンをつくってきた1人として、グループの音楽活動の中で、洋楽のコピーでは表現しきれないもの足りなさを感じ始める。ジャンルにこだわらず日本語の詞を歌うという考え、日本人の音楽に対する考えも変わってきたことも原因し、1978年8月グループから独立。ソロデビュー後は、ベストなコンディションで歌を聴いてもらいたいという姿勢から、TV出演よりも生のステージを大切にし、多くの作品やコンサートツアーで全国の音楽ファンを着実につかんできた。また、海外ではニューヨーク・カーネギーホール(1993年7月)、ロンドン・ロイヤルアルバートホール(1994年7月)、香港・コンベンション&エキシビジョンセンター(1997年10月)でコンサートを行い、いずれも大成功をおさめている。特に、香港においては返還式典が開かれた会場で行われたため、世界中の人々から注目を集めた。男と女の出逢い、別離、未練といった愛にさすらう心を、しっとりとした説得力ある歌唱と研ぎすまされた感覚で歌い上げ、独特の雰囲気を放ち続ける。モットーは「何事も自然流、無理をせず現在にベストを尽くすこと」。 |
代表作品 | CDシングル『桃色吐息』
CDシングル『for you...』 CDシングル『ごめんね・・・』 |
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