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コウメイくんさんの「三国志登場人物ランキング」

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更新日: 2021/02/19

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ランキング結果

1趙雲

趙雲

趙 雲(ちょう うん、拼音: Zhào Yún、? - 229年)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢にかけての将軍。字は子龍(しりゅう)。冀州常山郡真定県(現在の河北省石家荘市正定県)の人。封号は永昌亭侯。諡は順平侯。子は趙統・趙広。父と兄の名は不詳。

数千の敵の中を赤子を抱えて馬でかけ抜けた蜀の武将

知性と武力を兼ね備え、容姿も端麗だといわれている蜀で一番好きな武将です。
長板の戦いでは劉備の息子である阿斗を抱きかかえながら、敵の大軍団の中を一人で駆け抜けていったという逸話は一度知ったら忘れることのできないエピソードですね。
三国志演技では劉備の妻である孫が、孫権の策略に騙されそうになったところを助けているという点も非常にポイントが高いです。五虎大将軍の中でもあまり癖が強い方ではなく、常に劉備に忠誠を誓い続けた主人公的存在だと感じます。

2諸葛亮孔明

諸葛亮孔明

諸葛 亮(しょかつ りょう、拼音: Zhūgě Liàng ジューガー リァン、181年 - 234年)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍師。字は孔明(こうめい)。 司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯(ちゅうぶこう)。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。今も成都や南陽には諸葛亮を祀る武侯祠があり、多くの観光客が訪れている。 妻は黄夫人。子は蜀漢に仕え綿竹で戦死した諸葛瞻。孫には同じく蜀漢に仕え父と共に綿竹で戦死した諸葛尚や、西晋の江州刺史になった諸葛京がいる。親族として叔父の豫章太守諸葛玄、同母兄で呉に仕えた諸葛瑾とその息子の諸葛恪、同母弟で同じく蜀漢に仕えた諸葛均などが知られる。一族には、魏に仕えた諸葛誕などがいる。

もはや誰もが知っている天才軍師

もう語ることはないのではないかというほど有名な、三国志で頭一つどころか二つ以上抜けた大軍師です。
三顧の礼から、赤壁の戦いでの計略、五丈原などの活躍で、もはや説明不要の蜀の軍師です。
阿斗のせいで蜀はあっけなく、魏に降伏しましたが、もし諸葛亮が生きていたらどうなっていたのかと妄想してしまいます。

3曹操

曹操

曹 操(そう そう、拼音:Cáo Cāo、永寿元年(155年) - 建安25年1月23日(220年3月15日))は、後漢末期の武将・政治家。詩人・兵法家としても業績を残した。字は孟徳(もうとく)、幼名は阿瞞、また吉利。豫州沛国譙県(現在の安徽省亳州市譙城区)の出身。 後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。廟号は太祖、諡号は武皇帝。後世では魏の武帝、魏武とも呼ばれる。 羅貫中の小説『三国志演義』では敵役・悪役として設定される。

やはり魏と言えばこの人でしょう

ダークヒーロー的な魏の君主ですが、頭の回転がとにかく早い。冷酷な面を持っているものの優秀な部下が忠誠を誓っているということは、彼の魅力と底力を信じていたからだと思います。曹丕という優秀な息子を持てたのは劉備と対を成していて面白いです。

4関羽

関羽

関 羽(かん う、拼音: Guān Yǔ グァン ユー、? - 建安24年12月(220年1月))は、中国後漢末期の将軍。字は雲長(うんちょう)。元の字は長生。司隷河東郡解県(現在の山西省運城市塩湖区解州鎮常平村)の人。子は関平・関興。孫は関統・関彝。

5呂布

呂布

呂 布(りょ ふ、? - 建安3年12月24日癸酉〔199年2月7日〕)は、中国後漢末期の武将・群雄。字は奉先。并州五原郡九原県(現在の内モンゴル自治区包頭市)の人。『三国志』巻七 呂布伝、『後漢書』列伝六十五 呂布伝などに記録がある。 丁原・董卓に仕え、抜群の軍事力を誇った。董卓との亀裂から彼を殺した後天下を失い、放浪するも最期は曹操との戦いに敗れ、殺された。

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