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八上城址に関するランキングとコメント・口コミ

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後波多野氏の居城

多紀郡を支配した波多野氏の5代にわたる居城である。初代清秀は、応仁の乱の戦功によって、室町幕府管領細川政元から多紀郡をあたえられ八上へ入る。その後波多野氏累代は、戦国時代を通して勢力を蓄え、大永7年に管領細川高国を放逐、天文7年に丹波守護代内藤氏を攻略、永禄年間には三好長慶や松永久秀と戦いを繰り広げる。
波多野氏はまず奥谷城(蕪丸)を、続いて本城の八上城、さらに殿町にあった城下町を守るため支城の法光寺城を築き、一帯を一大要塞化し、大規模な戦乱に対応した城造りを進める。
天下布武を目指す織田信長が上洛すると、5代の秀治はそれに従わず、信長が派遣した明智光秀の攻勢を受ける。光秀は八上城の周囲に付城を巡らし、八上城を徹底包囲する。天正7年6月1年にわたる籠城戦の末八上城は落城し、秀治ら兄弟三人は安土城下に移され落命する。
落城後の八上城は、前田茂勝ら豊臣氏に縁する大名の城として使われる。しかし、関ヶ原の戦いによって、徳川家康が天下を押さえると、豊臣秀頼の拠る大坂城を包囲するため、慶長13年に江戸幕府から篠山城築城の命令が出され、八上城は百年余りにわたる歴史を終える。

エンドウ

エンドウさん(男性)

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