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2位岩田聡
Satoru Iwata at the Game Developers Conference in 2011 (second day). by Official GDC / CC BY
任天堂の偉大な経営者
任天堂の社長だった「岩田聡」さんは『星のカービィ』や『大乱闘スマッシュブラザーズ』など、任天堂を代表するゲームシリーズを手がけた偉大な方。エンジニアとしての才能にもあふれていた人で、制作が難航していた『MOTHER2』を1から作り直し、たった1年で完成させたスーパーマンでした。
そんな岩田さんが任天堂の社長に就任したときは、ほかのメーカーから「PS2」や「Xbox」などの人気ハードが発売されていた時期。「任天堂は何を出すんだ?」って注目を浴びていたなかで、さすがの岩田さんもプレッシャーを感じていたはず。
それでも任天堂は、2画面の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」をリリースして、爆発的なヒットを記録しました。続けて、実際の動きと連動する画期的なリモコンシステムを導入した家庭用ゲーム機「Wii」を販売し、さらに売り上げを伸ばします。
これらのハードがヒットした要因には、任天堂が昔から提唱していた「枯れた技術の水平思考」があります。新しい技術を取り入れるのではなくて、既存の技術、いわゆる「枯れたはずの技術から面白い使い方を見つけよう」という考え方。まさに「枯れた技術の水平思考」の戦略を実行して「DS」と「Wii」で大成功した岩田さんは、本当に偉大な経営者だなと思います。
3位ビル・ゲイツ
先を見据えた取引ができる経営者
マイクロソフトの創業者「ビル・ゲイツ」は、誰もが知るアメリカの偉大な経営者です。今や世界有数の大企業・マイクロソフトですが、その始まりはたった2人だけの小さな会社でした。
そんなマイクロソフトが、大きく発展するきっかけになったのは、当時コンピュータの大きなシェアを持っていた「IBM」から受注された仕事です。大企業であるIBMの作ったパソコンのOSをマイクロソフトが担当したことで、世界中にマイクロソフトの製品が知られるようになりました。
ビル・ゲイツの偉大なところは、自社のOSをIBMに売却せず、ライセンス化し権利を保有し続ける契約を結んだこと。IBMとの取引が終わってからも、ほかのメーカーにOSを売ることで利益を継続して得ており、しっかりと先を見据えていたんです。彼は父親が弁護士なので、その影響から契約ごとに強かったのかもしれません。
小さな会社だったマイクロソフトが、巨大なIT企業であるIBMを足がかりとして、大きいものを手に入れたというストーリーはすごく尊敬できるなと思います。
アメリカでの訴訟に勝利した経営者
ソニーの「盛田昭夫」さんはエンジニア出身ながら、マーケティングの天才でもあった人物。ソニーを世界的なブランドにしたのは、盛田さんの力が大きかったと思います。
1960年にアメリカへ渡った盛田さんは、テレビ番組やCMに出演してソニーの製品を自らPRしました。英語で受け答えをして、「トリニトロン・カラーテレビ」や「ベータマックス」などの画期的な製品の数々を海外の人々に知らしめたというエピソードからは、強い存在感のある経営者だったことがわかります。
そんな偉大な経営者である盛田さんがアメリカで一番苦労したのは、1970年代に始まった「ベータマックス」の訴訟だったと言われています。ソニーの開発したビデオデッキ・ベータマックスを使った家庭での録画は「複製」だから著作権の侵害にあたるとして、アメリカの大手映画会社が訴えを起こしたんです。でも盛田さんは、ビデオデッキによる録画は、個人のライフスタイルに合わせて見る時間をシフトしているだけだから、決して海賊版(複製)ではないという主張で真っ向から戦ったんです。
8年間にも渡る裁判を戦い、盛田さんは勝利を勝ち取ることになります。個人の録画を自由にできるようにしたことで、レンタルビデオをはじめとする新しい市場を世界中に作ったのだからすごいです。盛田さんのような世界中に影響を与えられる日本人経営者って、今はなかなかいないと思います。