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コケヤンかわたさんの「はなかっぱキャラランキング」

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更新日: 2025/10/16

コケヤンかわた

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ランキング結果

私の生涯の推し

冗談だと思われることが多いが私の生涯の推しである。
よく道に迷うためまよいばあさんだと思われがちだが、まよいばあさんが迷っていたのは道だけではない。昔は人間関係などでも迷っていたそうだ。
かつて彼女は多くの人を信じ、そして裏切られてきたと言われている。裏切られ続けてもなお人を信じ、その結果多くの人の信頼を得た…というような甘い話ではないのは周知の事実であるだろう。方向感覚や視力を失うまで蹂躙され、その上でもやり返さず生きてきた。その結果が現在の迷う姿であろう。あの姿はかつての行動の結果だ。かつての行動は慈愛に溢れ、身ひとつで耐えてきた聖者と見るべきか、やり返さず全てを失った愚者と見るべきか…私は愚者だと思う。全ての生命は自分本位で生きるべきである。かつてのまよいばあさんはそれを理解していなかった。しかし今は違う。道を聞くということで人の時間を奪い、我が為に使わせようとしているのだ。そのことに優越を覚え、命を賭けてその瞬間を追い求めている。かつての生命の性に逆らう姿はなく、従うことによって生命の価値の向上を図っているのであろう。今の姿は、他者から見れば間違いなく愚者になるだろう。しかし、間違いなく愚者ではない。私はその姿に賞賛を贈ると共に憧れを抱かせていただいた。私はこの人生を通して、愚者の悲嘆である自分本位に生きることを成し遂げていきたいと思う。
ここまでまよいばあさんの過去を振り返えってきたがこの話にはご存じの通り続きがある。
その一つとして将来の選択が挙げられる。これは過去に能力を奪われたことに起因する。本来あるべき能力のない人間は淘汰されるのが世の常であろう。その中で多くの能力を奪われたまよいばあさんは当然、淘汰される側だ。さらなる蹂躙も受けたとの供述もあるように苦労が伺える。しかし、長い時を経た彼女は耐えるだけの愚者ではなかった。彼女は遂に安寧の地を求めて動き出したのだ。能力のない彼女には厳しい道のりだったが、遂には彼女なりの安寧の地を見つけたのだ。
しかし、問題はまだある。それは新たなる人間関係の構築だ。他者から見れば、今のまよいばあさんはただの邪魔者だ。まよいばあさんに利用価値はないと言っても過言ではない。その理由はもちろん人としての能力の著しい欠落だ。しかし、ここで問題が生まれる。これはまよいばあさんに限った話ではないが、一般能力のある人間と著しく欠落した人間の間には上下関係のようなものが生まれてしまう。そしてこの関係の厄介な所はその歪さだ。能力のない人間は能力のある人間に使役されたり、淘汰されたり…。それこそがまさに弱肉強食の原理だろう。しかし実際はどうだ。能力のあるものは能力のないものに配慮をする必要がある。そうしないと非難されるだろう。しかし逆はそうではない。これは弱者と強者の関係性の逆転、すなわち世の中が弱肉強食の原理を覆してしまっていると言えるのではないだろうか。こんな世の中では一般能力のある人間が欠落してる者たちと関わることを避けるというのも無理はない。弱者にわざわざ食われに行く強者など、いないだろう。ましてやその弱者に利用価値がないときたら尚更だ。すなわち、わざわざまよいばあさんと真っ当な関わりを持ちたい人間などいないのだ。これではまともな人間関係など生まれない。もしあるとしてもそれは歪な、一方的に蹂躙されるだけの関係だ。しかし彼女がたどり着いたのは安寧の地。真っ当に関わられることはなくとも蹂躙はない。それだけでも充分な幸せと言えるのではないだろうか。勿論言えないだろう。彼女には奪われたものを取り返す望みがある。いや、それだけではない。奪われたもの以上を、より多くの者から奪う。それを叶えてこその幸せだろう。しかし彼女にその能力はもうないのだ。すなわち彼女は一生幸せになれない。だから復讐も一生終わらない。彼女が死なない限り、彼女の復讐は終わらない。もし彼女以外の全てが死に絶え、滅びたとしてもだ。最初は安寧の地にて新たなる人間関係を築こうとしていた彼女も、こうなっては必要ない。彼女は得ることのない幸せを求め続ける輪廻に囚われたのだ。そして今もまた、人の性に従い、幸せになる夢を追い求め、人から時を奪い続けているのだ。たとえその夢が叶う時が来なくともーー。
ではここで一つ疑問を呈そう。まよいばあさんは夢を叶えられると信じているのだろうか。ここは人それぞれ見解が別れるだろう。なのであくまで私個人の見解という範疇は越えないのだが、私は本気で夢を叶えられるとは信じていないと考えている。そう考える理由としては、まよいばあさんの生き様を紐解いていけばわかるだろう。
まよいばあさんは多くの負の感情を受けてきた者である。誰かが負の感情を生み出し、その負の感情は人に寄生し、増殖した挙句、その一部を次なる人に寄生する。これが何を指すのか。誰かの負の感情を受けた者は人に負の感情を伴った行動を行う。これによって自己の中の負の感情の一部を人に移し、少しでも楽になろうとしているのだ。そうでないと自己の中で増殖し続け、自壊して負の感情に支配される。では、世の中は負の感情で溢れ返っているのか?この質問に対する答えはYESだろう。しかし限度がある。ではどうやって負の感情を抑えるのか。それは人間性が優れた人のおかげだろう。人間性が優れた人は人に負の感情を移すことを良しとしない。即ち、悪意を溜め続けてしまうのだ。負の感情による影響は人間性によって変わる。人間性が優れている人は強い負の感情であっても、自らの正の感情で浄化して耐えている。しかしこれはあくまで感覚のみの話である。実態は正の感情が負の感情を浄化できることなどない。仮にあったとしても、それはごく少量であるか、そもそも錯覚である。その結果、自壊するときには多くの負の感情を抱え込んでいる状況に陥ってしまう。この現象はまさに昔のまよいばあさんに見られた現象である。即ち、まよいばあさんは負の感情に支配されているのだ。
では、負の感情に支配された人はどうなるか。負の感情の特徴はいくつかある。まずは正の感情を上書きすることだ。善意の裏を考えたり、人間不信に陥ったり…具体例を挙げればキリがないだろう。そしてこの現象は脆弱な感情から起こる。つまり現実とは乖離している夢など、簡単に無くしてしまうだろう。次の特徴としては、負の感情を呼び寄せることだろう。イライラしてる人間と相対するとこちら側もイライラしてくるだろう。それはまさにこの特徴から来てると言えるだろう。今のまよいばあさんは負の感情の巣窟だ。そこに正の感情が入る余地はないだろう。そんなまよいばあさんが、今更になって夢など抱くだろうか?私はこれらの原因から、まよいばあさんは本気で夢を信じているわけではないと考えた。しかしあくまでこれは私個人の見解なので、実態はまよいばあさんにしかわからない。
では何故、本気で信じていないような夢を追い求めるのか。それこそ人の性である。人は夢なくして生きることはできない。夢というと壮大な感じがして、あまり実感が湧かないだろう。しかし、ここでいう夢とはちょっとした願望のことである。例えば痛い思いをしたくないだとか、今すぐ寝たいなど、後にこういう状況になっていたいというものを指している。勿論これは、何もしたくないだとか、死にたくないとかも含まれる。人は呼吸という行動をしなければまともに生きてはいけないし、人はいつか死んでしまう。即ち、叶わないことがわかっていても望んでしまうのだ。これはまよいばあさんも同じである。たとえ幸せになることができないと頭でわかっていても、心がそれを求めてしまう。まさに人間の性である。まよいばあさんも人間なのである。夢を追い求めて死ぬことは、人間として死ぬことと同義なのだ。
私はこれからの多くの人の人生にまよいばあさんの加護があることを願う。そして何より、まよいばあさんに幸あれ。

劣等感の成れの果て

彼は劣等感の成れの果てである。この意味がわかるだろうか。決して悪い意味ではない。その理由を説明しよう。
彼の両親は優れている。父は消防士兼警察官であり、母は体格が大きく、有事の際に人々を救う。そんな優秀な親を持つ者は、自らに劣等感を抱きやすい。
人は自らと向き合う際に誰かと比較する。その誰かは身近な人が当てはまる場合が多い。ましてや、人との関わりが少ない内は尚更だ。それ即ち、子供は自己と親とで比較しがちであるということだ。ではそんな比較対象が優秀であるとどうなるか。その先に待ち受けるのは、親を誇る思いと親への劣等感である。親が優秀であるからと言って、子も優秀になるとは限らない。そんな現実を受け入れるにはまだ若すぎるだろう。小さい子供は自分あっての親だと思っている。確かにこれは間違いではない。自己の存在がなければ他者を認識することはできず、存在を認識できなければ存在するとは言い切れない。即ち、全ての人間は自己あってこその存在なのだ。しかしその可逆性を理解できていないのだ。つまり、自分が自己という世界の頂点なのである。そして、親が優秀だとその世界全体、即ち自分が優秀なように錯覚する。そしてその現実が破れる時、大いなる劣等感に苛まれる。
その劣等感はいつでもどこでもついて回る。劣等感は自己の過小評価を招く。そして自己の過小評価は、人生や世界への嫌悪感へと繋がり、生きる喜びを奪う。生きる喜びを奪われた人間は死を選びたくなる。仮に死を選ばなくても、心の奥底で全てをほんのりと諦め、何事にも本気になれない、そんな人生になるのだ。即ち、劣等感が人としての自我を殺すのだ。劣等感を拭うことができればそれが一番だ。しかし、大抵の場合、一生ついて回る。
すぎるくんにとって劣等感とはきついものであった。その結果生まれたのが、なんにでも「〜すぎる」と言い、誇張をするあの姿だ。彼は皆が思うようなことしか誇張して言わない。そこには皆が同調しやすくすることによって、自分という存在の正当性を皆に認めてもらおうとしているのだ。誰かにとっての価値のある人間になることによって、存在を認めてもらい、誰かの下位互換にならないようにしたのだ。そうすることによって、劣等感によって空いた心の穴を埋めようとしたのだ。あくまでその人にとってに過ぎないが、それでも大事なことである。
しかし、彼が存在を認めてもらうためにしたことはそれだけでない。すぎるくんの性格を思い浮かべてほしい。おそらく、皆口々に明るい性格だと言うだろう。しかし、深い劣等感を抱えた彼が本当に明るい性格であろうか。そこから内なる暗さを隠しているということを見出せる。明るい性格の方がより多くの人に気に入られやすい。きっとデータはなくても賛成してもらえるだろう。そして彼もまたそう思ったのであろう。その考えが彼を明るくさせたのだ。いや、明るくしたというのでは語弊がある。暗さを隠し、明るさを演出しているのだ。
しかし、劣等感というのは厄介なもので、ここまでしても影響を及ぼす。では、そんな劣等感をどうするのがよいか。それは糧にすることだ。しかし劣等感を糧にして失敗したとき、更なる劣等感に苛まれる。より自壊しやすくなるのだ。つまり、大博打である。
しかし、すぎるくんは成功したのだ。彼は警察官になった。偉大なる父に近づいたのだ。このような成功体験こそ、劣等感からの解放への第一歩である。
まさに彼は成功者である。そんな彼に敬意を称したい。

悪くないね

4はなかっぱ

はなかっぱ

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登場作品はなかっぱ
声優中川里江

Lサイズ

最強

悪質な裏切り

5ひまごろう

ひまごろう

引用元: Amazon

登場作品はなかっぱ
声優木内秀信

ひまんごろう

最高の師匠であり最強の漢、そして至高の神

大好き❤️❤️❤️

ちいかわ!!

ちいかわのパクリです!!
やめてください!!!

5はす次郎

はす次郎

引用元: Amazon

登場作品はなかっぱ
声優緒方賢一

最高のおじいちゃん

はなかっぱを騙して貶めるクズ。
このようなやつがいるせいで世の中に虐待や詐欺が蔓延っているのではないだろうか。
私が親族を信用できなくなった1番の原因。

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