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Twitterでシェアまえがき
パンクという精神は反体制の象徴です。例外もありますが、体制に取り込まれてしまったバンドの多くは「パンクバンド」から「パンクミュージックを演奏するロックバンド」に変質してしまうことが多くあります。
そこで今回の「邦楽パンクバンドランキング」では、一般的には世に知られていなくとも、世界に凄まじい影響を与えたバンドと「パンク」というものの真実を体現した「ハードコアパンクバンド」に絞りました。
精神や日常的な部分でハードコアパンクでも、サウンドはハードコアパンクとは違うバンドもたくさんいますので、今回はサウンド面でもハードコアパンクというバンドになっています。
もし全く知らないようでしたら、これを機会にランキングにあるバンドの音源なり伝説なりに触れてみてください。
現在ライブを観られるバンドもありますので、ここから日本のリアルパンクを紐解いていくのも、奥深く楽しいと思います。
ランキング結果
2位GAUZE
引用元: Amazon
プロフィール | GAUZE(ガーゼ)は、1981年9月に結成された日本のハードコア・パンクバンド。メンバーにフグ、モモリン、シン、ヒコ、旧メンバーにザジ、ヒロ、イチロー、HIDEMALがいる。サンフランシスコのファンジン『マクシマム・ロックンロール』を通じて海外のパンクシーンにも紹介され、1980年代半ばには日本独自のハードコア・サウンドを代表するバンドのひとつとして知られるようになった。 |
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創世記から現在まで日本ハードコアを牽引し続けているバンド
日本ハードコアパンク創世記、G.I.S.M、GAUZE、THE EXECUTE、THE COMESの4バンドが「ハードコア四天王」と呼ばれた。
その中でもGAUZEは、演奏力の高さと観客との一体感が抜きん出ており、1981年から現在まで開催され続けているGAUZE主催の「消毒GIG」は、2020年時点で175回続いている現存する日本パンク界最古のシリーズGIGである。
サウンドは変則リズムなどもあり、ブレイクの使い方により疾走感が増していく。
超スピードで轟音の演奏でありながら、シンプルでストレートな心を突き刺す歌詞がよくわかるというもので、既存のハードコアサウンドには収まりきらないGAUZEサウンドとしか表現できないオリジナリティ溢れるサウンドだ。
海外ツアーも何度か行ったGAUZEだが、現在では日本のみでのライブ活動になっており、毎回消毒GIGにはGAUZE観たさに海外からも観客が多数訪れる。チケットは毎回入手困難で、消息GIGの前売り開始日には毎回発売会場前に長蛇の列が出来上がり、整理券が配られるほど絶大な人気を誇る日本を代表するハードコアバンドである。
3位LIP CREAM
引用元: Amazon
プロフィール | LIP CREAM(リップクリーム)は、1984年に結成された日本のハードコアパンクバンド。メンバーにJHA JHA(ヴォーカル)、NAOKI (ギター) 、MINORU(ベース)、PILL(ドラムス)、旧メンバーにBAKI (ヴォーカル)、MARU (ドラムス)がいる。1990年9月24日にバンドを解散したが、2010年6月27日に東京・LIQUIDROOM ebisuで再結成を果たした。 |
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パンクバンドのあり方を体現した最強の4人組
日本ハードコア創世記に、四天王と呼ばれたバンドの中のひとつである「THE COMES」のメンバーによって結成されたバンド。
LIP CREAMのライブハウス登場時には、それまでの日本のハードコアにはなかったアメリカンハードコアからの影響によるポップさを兼ね備え、その新しいサウンドは一気に観客の心を虜にした。
1986年から、自分たちの手でオーガナイズし、全国のライブ会場を抑える、D.I.Y(Do it your self.自分自身でやるの意)スタイルで、音楽事務所などに属さず全国ツアーを敢行し始める。
毎年続いたツアーは、のちのハードコアパンクバンドに絶大なる影響を与え、それ以降インディーズハードコアパンクバンドが全国ツアーをすることがスタンダードとなる礎を作った開拓者のバンドである。
ライブバンドとしてのLIP CREAMのステージは圧巻で、四者四様の個性がこれでもかと放出され、スリリングでハードなライブの虜になる観客が全国に続出した。
今現在日本のハードコアパンクシーンで活動しているバンドへの影響は絶大なものであり、パンクバンドのあり方を体現した唯一無二の存在である。
1980年代後半に、日本のハードコアパンクバンドで最初の海外ツアー計画があったバンドだが、惜しくも計画が中止になってしまうことがあった。
もしLIP CREAMが海外に行っていたら、世界のパンクシーンは現在とは違うものになっていたと断言できる、凄まじいバンドである。
あとがき
まだまだ素晴らしいバンドが数え切れないほどあるので、もし「もっと知りたい」というようなリクエストをもらえれば、ほかのバンドを追加することも考えてみます。
日本の世間一般的には全く知られていませんが、このランキングに登場したバンド達は、海外のパンクシーンの中では日本パンクバンドの代表として認識されています。
もし海外のパンクスに会ったら、このランキングのバンド名を言ってみてください。ひとつも知らないパンクスいないと思います。
それほど日本のアンダーグラウンドシーンのパンクは世界に通用しています。
これを機会に「パンク」というものを、音楽だけではなく様々な角度から見てみてはいかがでしょうか。
片手のパンクスMASAMIのバンド
1980年代初期に始まった日本のハードコアパンクだが、バンドだけではなく観客の激しさも世間の注目を集めた。
これでもかと髪の毛を立て、モヒカンと鋲を打ちまくった革ジャンで渋谷センター街の一角は埋め尽くされていた。
学校や社会に馴染めず、鬱屈とした気持ちを唯一解放できるのがハードコアパンクのライブが行われるライブハウスだった。
そうした観客達やバンドの中で、シーンの象徴ともいうべき人物がいた。
当時THE TRASHのボーカルで、のちにGHOULのボーカルとなるMASAMIである。
幼少の頃にダイナマイトで遊んでいたとき、誤って右手首から先を失くしてしまった片手でモヒカンのパンクスで、THE BLUE HEARTSの「僕の右手」という曲のモデルとなった人物だ。
ひとたび揉め事が起こるとその形相は一変し、言葉では言い表せないほどの悲惨な目に遭った人物も多く存在したが、一方では仲間には非常に優しい物静かな人物で、若いパンクスなどでも分け隔てなく対応し、いつもまわりにはMASAMIを慕う人間が集まっていた。
GHOULのサウンドは、メタリックでありながらもMASAMIのボーカルによってハードコア以外の何ものでもないサウンドへと昇華する。
ステージにMASAMIが登場すると、会場の雰囲気は一変し、全ての観客が一体となっていた。
歌詞のないボーカルスタイルで、今でいうインプロのように、どんなサウンドでも、どんなバンドでも歌えてしまう存在感と人間性が突出したバンドだったが、MASAMIは1989年にステージの上で倒れ、意識不明のまま1992年に他界してしまった。
日本のパンクは、この人が存在しなければ成り立たなかった。
MASAMIを知るパンクスによって、その魂は現在でも受け継がれており「パンクス」という生き様を、バンドにも観客にも一般にも、ストリートの上で伝え続けた伝説の人物である。