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小針 侑起さんの「宝塚男役ランキング」

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更新日: 2020/08/25
小針 侑起

近代芸能史研究

小針 侑起

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まえがき

1914年の創立以来多くのスターを輩出してきた宝塚歌劇団。ここでは宝塚歌劇団の飛躍に大きく貢献した故人を中心に選出いたしました。

ランキング結果

1春日野八千代

春日野八千代

引用元: Amazon

生年月日 / 星座 / 干支1915年11月12日 / さそり座 / 卯年
出身地兵庫県
プロフィール春日野八千代(本名:石井吉子)は1928年、宝塚歌劇団18期生として宝塚音楽歌劇学校に入学。雪組副組長、雪組組長を経て歌劇団理事に就任し、天津乙女とともに「宝塚の至宝」と呼ばれた。その後は1979年に紫綬褒章、1986年に勲四等宝冠章など数々の賞を受賞し、多くの功績を残した。

「白薔薇のプリンス」

創設から100年以上、日本を代表する劇団のひとつ宝塚歌劇団。
今まで多くのタカラジェンヌを輩出してきましたが、その最高位に位置するタカラジェンヌといえば春日野八千代さんでしょう。

1929年に初舞台を踏んで以来、戦前・戦時中・戦後、そして2012年に亡くなるまで、タカラジェンヌの様式美を守り続けた大スターでした。
タキシード姿、若衆姿…その輝くような美しい舞台姿から、人々は「白薔薇のプリンス」と呼び賞賛を惜しみませんでした。

2小夜福子

小夜福子
生年月日 / 星座 / 干支1909年3月5日 / うお座 / 酉年
出身地石川県
プロフィール小夜福子(本名:東郷富美子)は1921年、宝塚歌劇団11期生として宝塚音楽歌劇学校に入学。1939年には月組組長に就任し、『小雨の丘』でレコードデビューをするなど人気を博す。戦後は劇団民藝に入団し、『セールスマンの死』『アンネの日記』などの舞台で名脇役として活躍した。女優活動は1988年の舞台『三年寝太郎』が最後の出演となった。

宝塚黄金期を支えた最大のスター

宝塚歌劇団の第一次黄金期といえる1920~30年代。当時、宝塚歌劇団は「宝塚少女歌劇団」と称していましたが、この時代を代表するスターといえば、小夜福子さんを外すことはできません。

カリスマ性を備えたキュートで愛らしい笑顔は、多くの若い女性を虜にして、その人気ぶりは宝塚歌劇団史上の伝説的存在となっています。
当時の女学生たちは手紙の文末に「さよなら」と記すとき、「小夜奈良」(奈良とは、同じくタカラジェンヌの奈良美也子さんのこと)という字をあてることが当時のトレンドだったともいわれています。

3葦原邦子

葦原邦子
生年月日 / 星座 / 干支1912年12月16日 / いて座 / 子年
出身地兵庫県
プロフィール葦原邦子(本名:中原英子)は1928年、宝塚歌劇団18期生として宝塚音楽学校に入学。「アニキ」の愛称で知られ、トップスターとして活躍したが、結婚のため退団。戦後に活動を再開し、帝劇オペラやミュージカルなどで幅広く活躍。『咲子さんちょっと』『ケンちゃんシリーズ』『虹を織る』などのテレビドラマや舞台で脇役を演じた。

存在感抜群のタカラジェンヌ

小夜福子さんより数期後輩ですが、1930年代に小夜さんとともに戦前宝塚を支えたトップスターといえば葦原邦子さんでした。
この戦前宝塚黄金期は通称「小夜葦原時代」とも呼ばれています。
存在感抜群だったという舞台姿、高い歌唱力。『サルタンバンク』主題歌、『マリオネット』主題歌、引退公演で歌われた『桃の花咲く丘』などの名曲が印象的です。
全盛期の1939年には画家の中原淳一さんと結婚のため、惜しまれつつ引退。多くのファンを驚愕させました。

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