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小城小次郎さんの「ひんやりする日本のお城ランキング」

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更新日: 2020/08/24
小城小次郎

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ランキング結果

1七尾城

七尾城

RIMG1396 by Sun Taro / CC BY

七尾城(ななおじょう)は、能登国鹿島郡七尾(現・石川県七尾市古城町)にあった日本の城(中世の山城跡)で、国の史跡に指定されている。

味方に裏切られた長氏の怨念が渦巻く呪いの城

越後上杉氏の脅威がひたひたと迫る中、織田家の援軍に命運を託す長氏一族は次第に城内で孤立した存在となり、ついに長氏は一族悉く惨殺される。現在もなお長氏の怨念があたりに渦巻いているようで、体感としてこんなにひんやりするお城はない。

2九戸城

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九戸城(くのへじょう)は、岩手県二戸市福岡城ノ内にあった日本の城である。後に盛岡へと移るまで南部氏の居城となり福岡城と改められたが、九戸城と呼ぶのが普通である。別名「宮野城」。国の史跡に指定されている。

籠城兵の白骨が今も城内に眠っている・・はず

豊臣秀吉の天下仕置きの総仕上げとなった九戸政実の乱で、数千の城兵が籠る九戸城は力攻めによって陥落。城兵の遺体もそのままにかさ上げされたため、現在でも城内に多数の白骨が埋もれているのだとか。城内にある城兵の供養塔を真剣に拝まないと、本当に心が落ち着かない。

3八王子城

八王子城

八王子城(はちおうじじょう)は、16世紀の武蔵国(現代の東京都八王子市元八王子町)に存在していた日本の城である。 八王子城は北条氏の本城である小田原城の支城であり、関東の西に位置する軍事上の拠点であった。標高445 m(比高約240 m)の深沢山(現在の城山)に築城された中世山城である。深沢山は華厳菩薩妙行が延喜13年(913年)に山頂で修行した山で、修行中に牛頭天王と8人の王子が現れたとして延喜16年(916年)に八王子権現を祀ったことから、八王子城と名付けられた。

壮絶なる落城伝説を持つ、東京都内有数の有名スポット

関東全域を巻き込んだ小田原の役においてほぼ唯一、力攻めによって陥落し、城下の川が血に染まったことを忘れぬように、落城の日には赤飯を炊く風習が残っているとかいないとか。御主殿の滝の周辺は、東京都内で最も有名な心霊スポットのひとつとなっている。滝もあるので文字通りひんやり。

4原城跡

原城跡

原城(はらじょう・はるのじょう)は、長崎県南島原市南有馬町乙にあった日本の城である。国の史跡。別名、春城、志自岐原城、日暮城、有馬城。2018年6月30日に世界遺産登録が決まった長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成遺産である。

島原の乱の舞台は、もちろん壮絶なる戦争遺跡である

天草四郎を戴き天下に楯突いた戦いは宗教戦争でもありながら農民一揆でも浪人一揆もあり、時代の変遷に取り残された人々の最後の抵抗だったのだろう。崩された石垣の下に埋もれていた多くの人の魂が、無事に天国に届いていることを切に祈る。

5鮫ヶ尾城

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鮫ヶ尾城(さめがおじょう)は、現新潟県妙高市にかつて存在した上杉家配下の日本の城。城跡は2008年(平成20年)7月28日に国の史跡に指定された(鮫ヶ尾城跡)。

幸薄いイケメン戦国貴公子、ここに散る

後北条氏に生まれて上杉謙信の養子となった上杉三郎景虎は当代屈指の貴公子にしてしかもイケメン。ただ運には恵まれず、上杉氏の家督をほぼ手中にしかけながらも政争に敗れ、最後はこのお城で城主に裏切られ非業の死を遂げる。落城時のものと思われる真っ黒なおにぎりが出土したことも涙を誘う。

6小谷城

小谷城

小谷城(おだにじょう)は、滋賀県長浜市湖北町伊部(旧・近江国浅井郡)にあった戦国時代の日本の城(山城)。城跡は国の史跡に指定されている。

浅井長政の思念が今も渦巻いているようだ

織田信長を支える強力な一族となり得るポテンシャルを秘めながら、因習に振り回されて恐らくは家中をまとめ切れずに不本意ながら織田家を裏切ざるを得なかった悲劇の武将・浅井長政。赤尾屋敷に立つ浅井長政自刃の地の碑の周辺には、今もなお強い思念が渦巻いているように感じられる。

7会津若松城(鶴ヶ城)

会津若松城(鶴ヶ城)

若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町にあった日本の城である。地元では鶴ヶ城(つるがじょう)と呼ばれるが、同名の城が他にあるため、地元以外では会津若松城と呼ばれることが多い。文献では黒川城、または会津城とされることもある。国の史跡としては、若松城跡(わかまつじょうあと)の名称で指定されている。

凄絶な戦いは白虎隊伝説とともに語り伝えられるだろう

会津若松城に入った上杉景勝と直江兼続は、嘘か本当か会津若松城の砲撃に対する脆弱性に気付いていたとか。その懸念は戊辰戦争で何と現実のものとなり、容赦ない砲撃でお城はぼこぼこ。白虎隊の逸話も含めたこの悲劇は、今からほんの150年ほど前に日本で起きた現実の出来事なのだ。

8玄蕃尾城

玄蕃尾城(げんばおじょう)は、福井県敦賀市刀根と滋賀県長浜市余呉町柳ヶ瀬の県境にあった山城である。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いにおいて、柴田勝家の本陣が置かれた。平成11年(1999年)7月13日に「玄藩尾城(内中尾山城)跡」として国の史跡に指定されている。また2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(140番)に選定された。

個人的には本当にホンモノを見たような気がしている

初めて訪ねたのは雨の日だった。駐車場には車が一台しかなかったが、本丸の土塁上には赤い傘を差した男性が一人で立っていて、確かにお互い会釈したような気がしたのだが、目を離した次の瞬間彼の姿は消えていて、その後一度もお目にかかることはなかった。あれだけはホンモノだったのかもしれない。

9鳥取城

鳥取城

鳥取城(とっとりじょう)は、鳥取県鳥取市(旧・因幡国邑美郡)に築かれた戦国時代から江戸時代の日本の城である。国の史跡に指定され、別名は久松山城という。戦国時代から江戸末期にかけての城郭形態の変化を窺うことができることから「城郭の博物館」の異名を持つ。織田信長の中国攻めでは、家臣の羽柴秀吉が兵糧攻めを用いて攻略した。開城後、入城した宮部継潤によって山上ノ丸の改修が行われ、江戸時代には鳥取藩池田氏の治下に入り、麓の二の丸以下の曲輪が拡張された。現在は天守台、石垣、堀、井戸などが残っている。

本丸より秀吉本陣の方が低いはずなのに・・

史上名高い「干殺し」の舞台は城兵も諦め切っていたのかそれほどの薄暗さは感じられない。ただ本丸に立つと嫌でも見えてくる秀吉本陣(太閤ヶ平)が異様な存在感をもって迫って見えるから不思議。標高は太閤ヶ平の方が低いのに、どうしても見下ろされているようにしか見えないので冷や汗が出る。

10一乗谷朝倉氏遺跡

一乗谷朝倉氏遺跡

一乗谷朝倉氏遺跡(いちじょうだに あさくらし いせき)は、福井県福井市城戸ノ内町にある戦国時代の遺跡(日本の城)である。戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉氏の遺跡。一乗谷城(山城)と山麓の城下町(朝倉氏および家臣の居館)からなる。

迷走した朝倉家の無念が詰まっていないはずはない

朝倉家100年の繁栄は、一代の無能?朝倉義景のもとであっという間に骨抜きとなり、織田家によって谷もろともに抹殺された。遺物の割には人骨が出ないことから避難が完了していたことが推察されるが、それでも積もりに積もった恨みつらみばかりは消えようがないのかもしれない。

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