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カインさんの「三国志の武将最強ランキング」

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更新日: 2020/04/08

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ランキング結果

1呂布

呂布

呂 布(りょ ふ、? - 建安3年12月24日癸酉〔199年2月7日〕)は、中国後漢末期の武将・群雄。字は奉先。并州五原郡九原県(現在の内モンゴル自治区包頭市)の人。『三国志』巻七 呂布伝、『後漢書』列伝六十五 呂布伝などに記録がある。 丁原・董卓に仕え、抜群の軍事力を誇った。董卓との亀裂から彼を殺した後天下を失い、放浪するも最期は曹操との戦いに敗れ、殺された。

武力重視で選びました。

最強=武力と言う点で選びました。関羽、張飛を相手に戦ったとされており、2対1でも負けなかった武力は一番だと思います。そして、武力だけで天下を狙えそうな勢いを見せた点を踏まえても間違いなく最強だと思います。愛馬とされる赤兎馬もあったため。

2張飛

張飛

張 飛(ちょう ひ、拼音: Zhāng Fēi ヂャン フェイ、生年不詳 - 章武元年(221年)6月)は、中国後漢末期から三国時代の蜀の将軍、政治家。字は益徳。幽州涿郡(現在の河北省涿州市)の人。『三国志』蜀志に伝がある。封号は新亭侯、のち西郷侯。諡は桓侯。子は張苞・張紹・敬哀皇后張氏・張皇后。孫は張遵。 後漢末の群雄の1人である劉備の挙兵に当初から付き従った人物で、その人並み外れた勇猛さは下述の通り中原に轟いた。その武勇は後世にも称えられ、小説『三国志演義』を始めとした創作作品でも多くの脚色を加えて取り上げられており、現在でも中国や日本を中心にその人柄を大いに親しまれている。

これも武力

魏・呉・蜀の三国に分かれた後の武力だけ見てみると最強だと思う。知力や人徳も考慮するのであれば、ランキングには入らないだろうが、戦闘力においては呂布がいなくなった後の最強者だと思う。関羽も武力を認めているため。

3関羽

関羽

関 羽(かん う、拼音: Guān Yǔ グァン ユー、? - 建安24年12月(220年1月))は、中国後漢末期の将軍。字は雲長(うんちょう)。元の字は長生。司隷河東郡解県(現在の山西省運城市塩湖区解州鎮常平村)の人。子は関平・関興。孫は関統・関彝。

これも武力

気持ち的には張飛よりも関羽の方が強くあってほしいが、武力だけみると張飛の次だと思う。今でこそ、神様、武神として崇められているが、そこには人徳や知力、そして劉備への忠誠心からだと思う。赤兎馬の主になってからは、さらに強くなったとおもう。

4夏候惇

夏候惇

夏侯 惇(かこう とん、? - 延康元年4月25日(220年6月13日))は、中国後漢末期から三国時代の武将、政治家。字は元譲(げんじょう、拼音: Yuánràng)。豫州沛国譙県(現在の安徽省亳州市譙城区)の人。『三国志』魏志「諸夏侯曹伝」に伝がある。吉川英治の三国志や横山光輝の三国志などの作品では「かこうじゅん」と江戸時代の慣例に従った読みになっている。

曹操の陣から

劉備の陣だけではなく、孫権や曹操の陣からと考えたときに、曹操の陣から選びました。曹操を支えて、魏の礎を作った一人であることは間違いないと思います。
武力的にも張飛や関羽とも張り合っていたので強い。

5趙雲

趙雲

趙 雲(ちょう うん、拼音: Zhào Yún、? - 229年)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢にかけての将軍。字は子龍(しりゅう)。冀州常山郡真定県(現在の河北省石家荘市正定県)の人。封号は永昌亭侯。諡は順平侯。子は趙統・趙広。父と兄の名は不詳。

やっぱりこの人

劉備、張飛、関羽の関係性の次に信頼されており、武力的に張飛・関羽に引けを取らない点と年を取るまで戦い続けたり、劉備の息子を一人で守り抜いた人物だったため。

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