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【人気投票 1~129位】戦国武将・大名ランキング!最も愛される戦国時代の武将は?

上杉謙信伊達政宗真田幸村(真田信繁)武田信玄織田信長毛利元就本多忠勝真田昌幸島津義弘北条氏康

このお題は投票により総合ランキングが決定

ランクイン数129
投票参加者数3,868
投票数21,222

みんなの投票で「戦国武将・大名の人気ランキング」を決定!戦国時代に活躍した「戦国武将・大名」は、大河ドラマや歴史の教科書などにより、現代の人々にも馴染み深い存在です。楽市楽座を実施して経済を重視したと言われている型破りの戦国武将「織田信長」をはじめ、女性だったという説も存在する不敗の軍神「上杉謙信」、奥州の覇者と言われている隻眼の戦国武将「伊達政宗」などがランクイン?あなたが好きな、戦国時代の武将・大名に投票してください。

最終更新日: 2024/03/19

注目のユーザー

瀧津 孝

専門家作家・日本史激動期研究家

瀧津 孝

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ランキングの前に

1分でわかる「戦国武将・大名」

戦国時代に活躍した、武将・大名

「応仁の乱」によって幕府の権力が失墜したために、全国で武将&大名が乱立した「戦国時代」は、自分の土地を広げようと下克上を狙った戦が頻繁に行われる戦乱の時代でした。明確な線引きは存在しませんが、日本の15世紀〜16世紀の時代区分を戦国時代と呼ぶことが多いです。そんな戦国時代に登場する「戦国武将」は、足軽や武士などで構成された軍勢を率いる人物のことを指します。一方、領地を多く治めている戦国武将を「戦国大名」と呼ぶことがありますが、武将とのはっきりとした違いはありません。

代表的な戦国武将・大名

戦国時代には、後世にも名を残す偉大な戦国武将・大名が数多く誕生しています。天下統一目前だった「織田信長」もその1人です。信長は、それまでの常識を覆した革命的な戦を行うことで知られており、有名な桶狭間の戦いでは何万人という大軍勢を相手に数千人ほどの寡兵で勝利を手にしました。ほかにも、戦では負け知らずの名将で軍神と呼ばれていた「上杉謙信」や、独眼竜の異名を持つ奥州の大名「伊達政宗」などの戦国武将が代表的です。

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このランキングの投票ルール

このランキングでは、戦国時代の武将や大名が投票対象です。あなたの好きな人物に投票してください!

ランキングの順位について

ランキングの順位は、ユーザーの投票によって決まります。「4つのボタン」または「ランキングを作成・編集する」から、投票対象のアイテムに1〜100の点数をつけることで、ランキング結果に影響を与える投票を行うことができます。

順位の決まり方・不正投票について

ランキング結果

\男女別・年代別などのランキングも見てみよう/

1上杉謙信

76.9(1,370人が評価)
上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。 (引用元: Wikipedia)

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敵への思いやり

「敵に塩を贈る」という言葉の由来にもなった、ライバルである武田信玄の軍が塩が尽きてしまい困っているときに、自分の塩を武田軍に贈ったというエピソードが有名です。敵とはいえど、その窮地には手を差し出すという精神がとても尊敬できる人物だと思います。

ゆたかさん

ゆたかさんさん

5位(70点)の評価

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天才系戦国武将

戦が圧倒的に強い。そして知恵を絞って戦うのではなく、相手の打つ手を瞬時に見抜いて裏手を取るという天才肌の武将というのがカッコイイですね。私的に印象に残ってるのは、山本勘助が上杉謙信について武田信玄に語った場面です。1~10までの数字を全部足すといくつになるか?という質問に対し、武田信玄はすばやく計算して答えました。でも上杉謙信は即答だったんですよね。ほとんど計算もしていない。何故即答出来たのか?気になる方は上杉謙信について調べてみてくださいね。

こーじー

こーじーさん

3位(70点)の評価

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戦国武将で最も強い武将

上杉謙信は僕にとっては戦国武将で最も強い武将で、織田信長を破り、武田信玄とは第1次川中島の合戦で勝利している。上杉憲政からは関東管領の職を譲ってもらっていることから幕府からの信用性も高く、それから自らの私利私欲にとらわれず、助けを求められたときのみ戦った。やはり上杉謙信は戦国武将の中で最も強い武将と言えるだろう。

上杉謙信大好きさん

1位(100点)の評価

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2伊達政宗

76.8(1,061人が評価)
伊達政宗

伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主。近世大名としては仙台藩の初代藩主である。幼名梵天丸。没後は法名から貞山公と尊称された。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世「独眼竜」の異名がある。 (引用元: Wikipedia)

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片目を無くすも必死に生きた

伊達政宗は片目を失っても相馬氏や佐竹氏と戦い武功をあげてるのが凄いと思いました。師匠の虎哉宗乙から独眼竜の異名を持たされ虎哉宗乙も凄いと思いました。そして料理が上手く発酵系の食べ物ばかり作ってたと言う説もありました。政宗の最後は片方の方に目を入れてもらい両目が開眼したと言われました。

伊達信者さん

1位(100点)の評価

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妻を思う気持ちが……

伊達政宗は妻をとても大事にしていて、挨拶するときも妻を上座に乗せ、自分は離れたところで挨拶したそうです。伊達政宗は晩年病気になったときも妻に見苦しいところを見せたくなかったので、元気になったら会おうと言ったそうです。

サーサさん

4位(70点)の評価

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奥州の独眼竜

政宗は独眼竜だが伊達家当主になってたった六年で奥州を統一した天才人物。その後、秀吉に従ったがあと10年早く生まれていたら歴史は変わっていたと思います。

小五NBAさん

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3真田幸村(真田信繁)

76.2(1,134人が評価)
真田幸村(真田信繁)

真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。(引用元: Wikipedia)

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家康を追い詰めた武将

関ケ原の戦いで敗れた側の武将ですが、幽閉された場所から抜け出して、西軍につきます。烏合の衆である西軍をまとめ上げた技量は抜きんでており、真田丸という砦を築いて徳川方を大いに苦しめました。そして、真田十勇士という架空の勇者まで生みだしました。

sarurururu78

sarurururu78さん

2位(95点)の評価

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家康の恐れたもう1人の男

幸村は昌幸と共に関ヶ原の戦いで西軍につき、第二次上田合戦にて徳川秀忠の軍勢を足止めしました。しかし、関ヶ原本戦で西軍は敗北、幸村、昌幸は死罪とされます。徳川一の猛将、本多忠勝と真田信之によって除名されましたが、大阪の陣では家康に対抗すべく、豊臣方に付きました。おかしいと思いませんか?命を助けていただいたのに、何故豊臣についたのか。僕はそれはいくら本多忠勝に除名された深い恩があったとしたも豊臣家に義があり、家康が悪であると言うことを伝えたかったのだと思います。

戦国時代大好き小学生さん

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家康を追い詰めた「日の本一の兵」

信長が死んだばかりの頃は人質に駆り出されたりして全然、戦ができなかったっけれども、第2次上田合戦では父昌幸とともに秀忠軍を倒し足止めをしたり、大坂の陣で家康を追い詰める事ができるぐらい戦国時代トップで強かったから。もし信繁(幸村)が長男だったらどうなっていたのかと考えるとワクワクが止まりません。

一番好きな戦国武将さん

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4武田信玄

76.0(1,053人が評価)
武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。 (引用元: Wikipedia)

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甲斐の虎

信玄堤・甲州金などなど国作りもすごく戦にも強いまさに最強で「甲斐の虎」にふさわしい!!
いろいろな有名な逸話も多々あり上杉謙信ともライバルとして互いを認めあってたとかやっぱり心根も優しいんだろうな〜
ただ一つ残念なとこは長男であり将来有望だった武田義信を殺してしまったことかな〜
もしかしたらあの時から武田の滅亡は始まっていたのかも・・・
武田信玄といえばあの超有名な武田騎馬隊だよね
でも当時の馬はポニーのような小柄な馬だった説もあって武田騎馬隊は存在しなかったかもしれないんだって・・・
いや〜歴史って奥が深いね。
武田信玄ってすごい有[続きを読む]

祖先武田家家臣だった人さん

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風林火山

戦国最強と言っても過言ではないほど強かった。まさに鉄壁そして騎馬No. 1との呼び声高し。そして、自国の民を大事にする人好きであった。もし、寿命の問題がなければ彼が天下統一を果たしていたはず。

りゅうちゃん

りゅうちゃんさん

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結束力

国を守るのに重要なものは「人」。家臣を大切にしていた信玄公。身分や家柄に関係なく有能な人材を登用して、彼らの意見を取り上げていました。敵が恐れる武田軍の団結力は自分たちを大切にしてくれる主人への忠誠心の表れだと思います。

JS

JSさん

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5織田信長

74.1(1,728人が評価)
織田信長

織田 信長(おだ のぶなが、天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、天下人。(引用元: Wikipedia)

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天下統一漢

まさに鬼!自分にも他人にもまさに鬼であった。鬼神とは織田信長の為にある言葉だったのではないかと思う。今で言うガジェット好きの信長は鉄砲やら南蛮人の物をよく取り入れた。ただこの時代に世界を視野に入れる眼は物凄い才能であり後の武将の指針となったであろう。

りゅうちゃん

りゅうちゃんさん

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第六天魔王

やはりこの人を抜いて戦国時代は語れないと思います。ゲームなら信長の野望、今なら漫画の信長のシェフなんかもドラマ化されましたし、未だに信長人気衰えずと言った感じでしょうか。信長と言えばやはり第六天魔王と言われるほど、歯向かうものには容赦なかったお話でしょうか。特に比叡山焼き討ちや長島一向一揆での大虐殺など、枚挙にいとまがありません。ただこういう恐ろしいことだけではなく、楽市楽座やキリスト教の普及を認めたり先進的な事もしているのが、信長の2面性という点で自分が好きなところです。

りん

りんさん

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戦国時代の代名詞!圧倒的存在感

私が一番最初に知った戦国武将が織田信長です。ミーハーな理由で申し訳ないのですが、ドラマや映画で織田信長を演じる俳優さんは、ほとんどイケメンが演じていらっしゃいます。
もちろん日本国民であれば、おおよそ誰もが知っている武将ですし、行った政策はともかく、やっぱり単純にカッコイイイメージなので1位です。

緑

さん

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6毛利元就

70.2(654人が評価)
毛利元就

毛利 元就(もうり もとなり)は、戦国時代の武将。毛利氏の第12代当主。 安芸(現在の広島県西部)吉田荘の国人領主・毛利弘元の次男。毛利氏の本姓は大江氏で、大江広元の四男・毛利季光を祖とする。家紋は一文字三星紋。(引用元: Wikipedia)

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よくここまでのし上がった

中国地方の大名で最も有名なのは毛利家だと思います。でも最初はそんな大大名ではなく、小大名ともいえないような地方豪族でした。周囲の大大名達の板挟みにありながら、よくここまでのし上がれたと思います。信長が桶狭間の戦いをしていた頃、すでに中国地方をほぼ統一していたんですから。毛利元就恐るべし。

こーじー

こーじーさん

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とにかくすごい

最初はあまり領地を持っていなかってけど、だんだんと力をつけていって、中国地方の覇者と呼ばれたのが凄い!見事な下剋上だと思います!彼こそが謀神の名にふさわしいのではないのでしょうか。三本の矢の逸話は創作とも言われているけど、いつまでも残っていて欲しい

みくさん

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三本の矢が有名、中国地方の戦国武将!

広島には毎年のように行っていたので、よく広島のお土産屋さんでグッズを見かけていた武将です。
武将としては、三本の矢の逸話からも伺える聡明さはすごいですし、どうやら家臣をはじめ、身分が下の人間にも優しかった様。

緑

さん

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7本多忠勝

69.9(628人が評価)
本多忠勝

本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。通称は平八郎(へいはちろう)。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。 (引用元: Wikipedia)

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徳川四天王の1人、伝説の男だから

徳川家に仕えた家臣で、伝説になるくらい強かったから。特に有名なのがトンボ斬り。槍に当たったトンボが真っ二つに切れるなんて、最初聞いた時はどういう事?と目がテンになりました。織田信長や豊田秀吉からも一目置かれていたという強さがかっこいいです。

あんこ

あんこさん

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家康に過ぎたるもの二つあり…

三方ヶ原では3000人で2万7000人の武田軍を足止めして家康のピンチを救い、姉川では朝倉軍1万に1騎で突撃し、関ヶ原では愛馬を撃たれても、90人も討ち取ったその武勇。57回の合戦で、手傷一つ負わなかったその運。長久手で豊臣本軍8万の前にわずか500人の軍で立ちはだかり、馬に水を飲ませるという図太い性格。まさに、戦の神!

毘沙門天の子さん

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最強の男

57度戦場に出て手傷を負わなかったから最強の男だと思います。
男らしく徳川家康を守り抜いた戦国時代最強で男らしい人だと思います。

ナタさん

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8真田昌幸

68.8(629人が評価)
真田昌幸

真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。 甲斐国の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。 軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像としてよく知られ、武田二十四将の一人にも数えられることがある。子に真田信之(上田藩初代藩主)、真田信繁(真田幸村)ほかがいる。他にもお初という織田信長の使いに入った真田の子という説もある (引用元: Wikipedia)

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農民でも真田昌幸が率いると精鋭になる と信長に言わしめた実力が凄い

織田信長が武田との闘いで、もっともこの真田昌幸。一向一揆の鎮圧の際は真田昌幸がいた為、なかなか制圧出来なかったとまで言われています。また徳川幕府を開いた徳川家相手に二度戦って二度とも勝つという偉業を成し遂げました。もちろん兵力差は相当ある状況で。表裏比興というだけなく、その実力の高さが大好きです。

こーじー

こーじーさん

1位(100点)の評価

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戦の天才!

天下分け目の戦いは小早川の裏切りによるものと見られているが、結果論であり実際は拮抗していた。その理由が、家康の本隊の到着が予定より大幅に遅れたことだった。遅れた理由は真田氏との衝突だった。軍事力では圧倒的に劣っていた真田氏が本隊を苦しめていた。

うさぎ

うさぎさん

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真田一族の猛将

秀忠3万をわずかな城兵と策により引き付け関ヶ原に遅参させたのはやはり彼の采配あってのもの もしあの勢いで関ヶ原に参戦していたら歴史が変わっていたと思う

赤備えさん

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新着・注目

まだまだ採点・コメントが少ない候補です。ご存知の場合はぜひ採点をお願いします!

9島津義弘

68.1(485人が評価)
島津義弘

島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主。島津氏18代当主・島津忠恒(のち家久に改名)の父。後に剃髪して惟新斎[注釈 2]と号したため、惟新公(いしんこう)との敬称でも呼ばれた。武勇の誉れ高く「鬼島津」の異名で知られ、戦国(安土桃山)時代でも屈指の猛将として当時から有名であった。日本では「鬼島津」の名で呼ばれ親しまれている。 (引用元: Wikipedia)

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数々のミラクルを起こし鬼島津と恐れられた武将

教科書には載っていませんが、戦国時代を知る上に置いて是非とも知っておきたい人物です。
島津義弘のすごいところはその戦績にあります。
木崎柄の戦いでは3000の軍勢を相手に、わずか300の軍勢で勝利したため、この戦いは「九州の桶狭間」と呼ばれます。さらに朝鮮出兵では20万と言われる朝鮮の軍勢に対し、7000の兵で勝利。豊臣秀吉を驚かしただけではなく、徳川家康にも「前代未聞のこと」たたえられました。

また関ヶ原の戦いでの島津の退き口は本当に圧巻です。東軍を支援するつもりでしたが、ひょんなことから西軍に参加することになった島津義弘は、本国[続きを読む]

金谷 俊一郎

歴史コメンテーター

金谷 俊一郎さん

1位(100点)の評価

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関ケ原以外もまじですごい!

関ケ原での敵中突破はもちろんすごすぎるけど、
九州での活躍もすごい!耳川の戦いや木崎柄の戦いももっと有名になってほしい
ただこれらはすべて兄義久や弟たち、家臣など島津家全体がすごいからです

もし島津家全体が上方に生まれてたら織田といい勝負できただろうに…

おきゃやまさん

1位(100点)の評価

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九州で1番

戦いが強くカッコいいところが好きです。鬼島津と言われたぐらい戦に強い戦国武将で、何回も何回も大きな戦果を上げていますし、ジャイアントキリングも何回もしています。豊臣が攻め込んでこなければ島津が九州を制圧していたと思うぐらいには強い大名です。なかても好きなところは義弘は戦果をものすごく上げて地位も高かったのですが、それで偉ぶることもなく、兵士たちと一緒に行動したり腰が低い大名だったというところが好きです。

ナハマジャ

ナハマジャさん

3位(70点)の評価

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10北条氏康

67.2(327人が評価)
北条氏康

北条 氏康(ほうじょう うじやす)は、戦国時代の武将。相模国の戦国大名。後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。後北条氏第3代目当主。母は氏綱の正室の養珠院。 関東から山内・扇谷両上杉氏を追うなど、外征に実績を残すと共に、武田氏・今川氏との間に甲相駿三国同盟を結んで関東を支配し、上杉謙信を退け、後世につながる民政制度を充実させるなど、政治的手腕も発揮した。後北条氏当主として19年間、隠居後も後継者である第4代当主北条氏政との共同統治を12年間続け、30年以上にわたって後北条氏を率いた。 (引用元: Wikipedia)

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相模の獅子

非常に強すぎる。上杉謙信との戦いの小田原城の戦いで謙信を敗走させるのも強いし、1569年の武田信玄との戦いの三増峠の戦いは、病気にかかってるにもかかわらず、子供の氏政や、氏照などに指示したりするのがすごい。結局は負けたが、武田信玄軍を撤退させただけはある。

キャリー武士さん

1位(100点)の評価

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文武両道、まさに相模の虎

軍事面で才能を発揮しただけでなく、挽回不可能とも思われるような危機的な状況においても智謀を駆使して難局を乗り越えることのできた点は素晴らしい。惜しむらくは北条綱成以外にも飛び抜けて優秀な武将(劉邦にとっての韓信等)が配下にいれば武田や上杉に対しても反転攻勢に出れるほどの地力と才能はあったと言える。氏康の魅力を持ってすれば韓信や項羽クラスの曲者ですら丸めこめそうなくらいバランスの取れた、欠点のない人格を持っているように思える。

氏康しか勝たんさん

1位(100点)の評価

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戦国随一の策略家 兼 政治力

河越夜戦で8万(実際は2〜5万とも)の両上杉、古河公方連合軍を10分の1の8000の軍で
大勝利し後北条氏の勢力を一気に拡大させ、両上杉を滅ぼした。すごすぎる!
また、政治力も兼ね備えていて早雲の四公六民制度を受け継ぎ、飢饉のときは家督を4代氏政に譲り隠居。その後、徳政令を出し一揆を防いだりした。政治力だけなら戦国時代1とも言えるし、かと言って戦いの才能もえげつない。
まさに戦国一のオールラウンダーてき武将。

相模の獅子さん

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11黒田官兵衛(黒田孝高)

66.9(458人が評価)
黒田官兵衛(黒田孝高)

黒田 孝高(くろだ よしたか、旧字体:黑田 孝高)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった。 諱(実名)は初め祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、のち孝高といったが、一般には通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)として広く知られる。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。竹中重治(半兵衛)とともに秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。 (引用元: Wikipedia)

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才能あふれる家臣

豊臣秀吉を支えた名家臣として有名な武将です。大河ドラマでも取り上げられた調略が得意な知略型の武将で、家臣の割には名前が大きく残っています。秀吉からもう少し大きな領地をもらっていれば、家康と一戦交えることもできたかもと思うと、楽しくなります。

sarurururu78

sarurururu78さん

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地元出身の人物だから

同じ県の出身人物だから。大河ドラマにもなりましたが、とても頭の良い策士っぷりがかっこいいと思います。結局頭の良さから恐れられ疎まれ九州に追いやらてしまったのは残念でしたが、それだけ聡明だったのだと思いますね。すごい人が同じ県で嬉しくて選びました。

あんこ

あんこさん

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戦国最強の軍師

本能寺で信長倒されたとき黒田官兵衛は、中国地方で毛利氏を攻めていた秀吉にすぐ京都に戻るように勧め天下統一への道をつくった。
その後も数々の戦いの作戦を立てて、秀吉を勝利に導き秀吉が死ぬまで「軍師」として仕えた。

ゲストさん

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12大谷吉継

66.3(726人が評価)
大谷吉継

大谷 吉継(おおたに よしつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。豊臣秀吉の家臣で、越前敦賀城主。名前については「吉隆」ともされるが、現存する古文書で「吉隆」と署名する文書は確認できず、いずれも「吉継」である。通称は紀之介、号は白頭。官途は刑部少輔で、大谷刑部(おおたに ぎょうぶ)の通称でも知られる。業病を患い、眼疾のために失明して関ヶ原の戦いでは輿に乗って軍の指揮を執ったが、小早川秀秋らの離反で敗戦すると家臣・湯浅隆貞の介錯で切腹して死去した。(引用元: Wikipedia)

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戦国きっての人格者

彼のエピソードはその人格者ぶりを示すものが多いです。人柄が穏やかであるというような表面だけのものではなく、親友でもある石田三成に対して「お前は人望がない」という、指摘しにくい点をしっかり指摘したというような相手を本当に思いやった行動が目立ちます。関ヶ原の戦いで豊臣家についたのも、親友である三成と運命をともにすることを選んだのが大きな理由であったといいます。戦国の世で自分の名を馳せようとするのではなく、友のためにその命を預ける人柄にとても惹かれます。

ゆたかさん

ゆたかさんさん

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友達思いの優しい武将

大谷吉継はハンセン病だったので顔を隠して生きていました。なので友達もいなかったようですが、石田三成の優しさに惹かれてついて行くことになりました。大谷吉継の素敵なところは、石田三成が負け戦をする時に、結果が分かっているのに加勢したところです。友達のために死を選んだ彼が素敵でした。

ゆら

ゆらさん

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義を尽くした武将

大谷吉継は、関ヶ原の戦いにて、味方の裏切りによって苦境に立たされた西軍において、最後まで何とか抗おうとした武将です。それは、西軍の実質的なリーダーである、石田三成への、義の気持ちによるものでした。その気持ちは、現代においてもきっと必要とされるもので、見習わなければならない存在だと思います。

パピコ

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13竹中重治(竹中半兵衛)

65.8(476人が評価)
竹中重治(竹中半兵衛)

竹中 重治(たけなか しげはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初名は重虎、のちに重治。通称は半兵衛(はんべえ)。父は竹中重元、弟に重矩。子に重門。従弟に竹中重利(府内藩初代藩主)。 羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の参謀として活躍し、黒田孝高(黒田官兵衛)とともに「両兵衛」「二兵衛」と称された。しかし、軍功に関する逸話や美談の多くは後世の創作によるものと見られ、史実上の実像が不明瞭な人物である。 (引用元: Wikipedia)

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我慢もしてる😮‍💨秀吉の前半世を支えた軍師🎌

秀吉を大名へと導いた天才軍師だから90点にしました🗒
優しく、穏やかで、少し女性っぽく、頭が良いところがおすすめです。
💙💚💛💜❤💗💖
半兵衛は最初はイジメられていて、その時に城🏰からオシッコをかけられたと言われています💦💦💦💦
普通だったら怒る😡はずなのに 半兵衛は怒らずそのまま通り過ぎたそうです。
そういう忍耐の所も魅力の1つだと思います❣️

ゲストちゃん🥰さん

12位(90点)の評価

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知将半兵衛

黒田官兵衛が出てくる前の秀吉の忠実な頭の良い家臣です。残念なのは、比較的若くして亡くなっていることで、本来、半兵衛がやるべきことを官兵衛にやられてしまったことです。

sarurururu78

sarurururu78さん

5位(70点)の評価

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秀吉の頭脳

手勢16人で織田信長が落とすのに苦労した
稲葉山城(現、岐阜城)を制圧した(半年後に斎藤龍興に城を返している)。欲がないし、戦いにおいては天才的な能力を発揮する。
面白い武将。

相模の獅子さん

1位(100点)の評価

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14豊臣秀吉

65.3(882人が評価)
豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、旧字体: 豐臣 秀吉)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。(引用元: Wikipedia)

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素晴らしい才能

織田家重臣にまで昇りつめた才能と努力が素晴らしいことと、人たらしと呼ばれたほどの人気と人望があったことが大きな理由です。子孫に恵まれずに天下を譲ることになりますが、城を落とす際の水攻めや中国大返し、一夜城など秀吉ならではの知略が優れたところは傑出した戦国大名と言えます。

sarurururu78

sarurururu78さん

1位(100点)の評価

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下克上

まさに織田に仕え才能を開花させた下克上。歴史を変えた人物といえよう。一族経営の会社なのに平社員が社長になったようなものであり、現代においても非常に難しいと言える、それをやり遂げた秀吉、悪い意味で言えば八方美人であり長いものに巻かれながら野望を大きくしていった苦労人兼達人だと思う。

りゅうちゃん

りゅうちゃんさん

3位(90点)の評価

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太閤さん

大阪では太閤さんと言って親しまれている秀吉ですが、やはり貧乏人から苦労して成り上がったというのが大阪人には浪花節を感じるのかもしれません。自分の好きな秀吉のエピソードは、信長のわらじを懐で温めてそれを信長に履かせたお話でしょうか。どれだけ信長を敬愛していたのかと、なんとも泣かせる話だと思います。

りん

りんさん

2位(85点)の評価

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15武田信繁

65.0(62人が評価)

武田家のナンバー2

戦国時代最も優秀な副将 人間性も素晴らしい。
武田信玄の弟

etさん

1位(100点)の評価

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信玄の弟 兼 副将 兼 影武者

人望が厚く山県昌景に
武田信繁と馬場信春に勝る副将はない。
と言わせるほど。

相模の獅子さん

1位(100点)の評価

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16山県昌景

64.9(102人が評価)
山県昌景

山県 昌景(やまがた まさかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の武将。甲斐武田氏の家臣で、譜代家老衆。後代には武田四天王の一人に数えられる。 (引用元: Wikipedia)

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武田軍最強部隊 赤備え

三方ヶ原で家康をあと一歩まで追い詰めるなど武勇が桁外れている!
長篠の戦い、武田勝頼に撤退を進言したが受け入れられず、死を覚悟して鉄砲隊に突撃したあの死に様は見事だった。

毘沙門天の子さん

3位(98点)の評価

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ここに来て?

山形は最初の赤備えだよ!(当たり前)長篠も最後まで頑張ったよ長篠✖だったら武田滅亡無かったな

ABCEさん

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三国志で言う馬超並みにすごい人

連戦連勝の鬼でとても強い。一騎打ちしたら、右に出る者はいない。やばい武将。

戦国武将大好きさん

2位(95点)の評価

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17井伊直政

64.9(220人が評価)
井伊直政

井伊 直政(いい なおまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。井伊氏第17代または24代当主。 上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。 (引用元: Wikipedia)

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井伊の赤鬼! でもちょっと無茶し過ぎ

井伊直政は、勇猛果敢で関ケ原の戦いの先陣を務めたし、色々な戦いで活躍している。けど関ケ原の戦いの最後、島津義弘の軍が、敵中突破するときに、家康は、追撃しなくていいと言っていったのに追撃して、怪我してしまった。追撃しなければ、怪我はしなかったのに。

戦国武将大好きさん

2位(95点)の評価

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山県から引き継いだ赤備え

家康に「赤備えを引き継げ」て言われたというのも一つの理由だと思うが、合戦では常に先頭を駆けて戦って、全身傷だらけみたいなまさしく「赤鬼」のような武将。外部交渉も上手。

毘沙門天の子さん

1位(100点)の評価

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井伊の赤鬼🗡️🟥

まず、徳川殿にここまで尽くされたその忠義、尊敬いたしまする。その徳川四天王になれるほどの忠義があったから武田の強い赤備えを身に纏うことができたと某は思いまする。さらに、自分に厳しいという。
まさに戦国武将🗡️

真田信繁さん

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18長宗我部元親

64.4(219人が評価)
長宗我部元親

長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての土佐国の戦国大名。長宗我部氏第21代当主。位階は従五位下で死後に正五位、昭和3年(1928年)には正三位が贈られた。 (引用元: Wikipedia)

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姫若子から鬼若子へ、鳥なき島の蝙蝠は案外凄い。

鳥なき島の蝙蝠と揶揄されているが1万石にも満たない最弱国人が100万石近い領土を有したのは伊達じゃない。
実は鉄砲貿易に力を入れていた。

Tindersex

Tindersexさん

10位(78点)の評価

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戦国武将というば、長宗我部元親!!

一番知られてるのはこの武将じゃない?

SPY✕FAMILYアーニャ推し!さん

5位(100点)の評価

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わお

推しがキタ!個人的に好き。

わーい歴史にわかファンさん

2位(95点)の評価

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19立花宗茂

64.2(405人が評価)
立花宗茂

立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。大友氏の一族で、重臣。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将は他にもいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である。 なお、宗茂は晩年の名乗りであり、幾度も名前を変えているが、本項では便宜的に宗茂で統一する。 (引用元: Wikipedia)

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同数で戦って勝てる武将はいない

戦略や戦術だけで戦うなら、まず負けることはない。個人の武力も半端ない。
全体の指揮ではなく部隊長としては無双である。計略を見破る能力も高く、罠にかかることもないので真田昌幸や上杉謙信ですら3000対3000で戦ったら勝てないであろう。
島津、毛利、秀吉、家康、清正皆認める武将。先鋒に置いたら無双。10倍くらいの敵を普通に屠る能力がある。

さっちゃんさん

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まさに西国無双

父・高橋紹運が倒された時、見事な作戦で岩屋城、宝満城などを島津から奪還したり、朝鮮出兵では5万の敵を数千で撃退して味方を救ったり、まさに西国無双といえる目覚ましい活躍を見せた猛将。
関ヶ原で西軍についた武将の中でただ一人大名に復帰したことから、人望もあったんでしょうね!
調べたら、「東国無双」と呼ばれた本多忠勝と遠い親戚だったんですね。

毘沙門天の子さん

6位(95点)の評価

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人柄がええ

元々父だった高橋紹運を倒した島津を関ヶ原の戦いの時に同じ西軍で戦い負けそうになるが少ない家臣で島津を守りながら領国に帰り島津にとても感謝されたという。後猛将ぶりでも知られており東の(本多)忠勝、西の宗茂と秀吉に言われたとも

歴史マニアさん

1位(100点)の評価

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20加藤清正

63.8(381人が評価)
加藤清正

加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。肥後熊本藩初代藩主。通称は虎之助(とらのすけ)。熊本などでは現代でも清正公さん(せいしょうこうさん、せいしょこさん)と呼ばれて親しまれている(清正公信仰)。 豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国の大名となる。秀吉没後は徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍に荷担して活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて熊本藩主になった。明治43年(1910年)に従三位を追贈されている。 (引用元: Wikipedia)

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猛将っぷりがハンパないから

王道じゃない人を選びたかったのもありますが、単純に好きだからです。あの秀吉が面倒見て育てたという、期待の星、加藤清正。朝鮮での虎退治の逸話は有名ですよね。虎を手で倒すなんて只者じゃない所業をやってのける猛将っぷりに惚れました。その上城作りまで一流と文句なしです。

あんこ

あんこさん

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地元の有名武将

私の地元である、熊本県を代表する武将です。熊本城を建築したことでも知られています。熊本に移る前は、石田三成、福島正則らと共に、豊臣秀吉子飼の将として活躍しており、戦国時代全体を見ても有名です。そんな武将が自分の地元の武将であることを、誇りに思います。

パピコ

パピコさん

3位(75点)の評価

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とにかく猛将

賤ヶ岳七本槍に選ばれたり、虎退治など猛将エピソードがすごい。
熊本城を築城して、1877年の西南戦争では西郷隆盛軍の52日間の猛攻に耐えて落ちなかったから、相当城作りも上手かったんだなと思った。

毘沙門天の子さん

5位(96点)の評価

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21

21位~40位を見る

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