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戦国武将・大名の人気ランキング!最も愛される戦国時代の武将は?

武田信玄徳川家康織田信長上杉謙信真田幸村(真田信繁)

このお題は投票により総合ランキングが決定

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みんなの投票で「戦国武将・大名の人気ランキング」を決定!戦国時代に活躍した「戦国武将・大名」は、大河ドラマや歴史の教科書などにより、現代の人々にも馴染み深い存在です。楽市楽座を実施して経済を重視したと言われている型破りの戦国武将「織田信長」をはじめ、女性だったという説も存在する不敗の軍神「上杉謙信」、奥州の覇者と言われている隻眼の戦国武将「伊達政宗」などがランクイン?あなたが好きな、戦国時代の武将・大名に投票してください。

最終更新日: 2021/09/25

注目のユーザー

瀧津 孝

専門家作家・日本史激動期研究家

瀧津 孝

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ランキングの前に

1分でわかる「戦国武将・大名」

戦国時代に活躍した、武将・大名

「応仁の乱」によって幕府の権力が失墜したために、全国で武将&大名が乱立した「戦国時代」は、自分の土地を広げようと下克上を狙った戦が頻繁に行われる戦乱の時代でした。明確な線引きは存在しませんが、日本の15世紀〜16世紀の時代区分を戦国時代と呼ぶことが多いです。そんな戦国時代に登場する「戦国武将」は、足軽や武士などで構成された軍勢を率いる人物のことを指します。一方、領地を多く治めている戦国武将を「戦国大名」と呼ぶことがありますが、武将とのはっきりとした違いはありません。

代表的な戦国武将・大名

戦国時代には、後世にも名を残す偉大な戦国武将・大名が数多く誕生しています。天下統一目前だった「織田信長」もその1人です。信長は、それまでの常識を覆した革命的な戦を行うことで知られており、有名な桶狭間の戦いでは何万人という大軍勢を相手に数千人ほどの寡兵で勝利を手にしました。ほかにも、戦では負け知らずの名将で軍神と呼ばれていた「上杉謙信」や、独眼竜の異名を持つ奥州の大名「伊達政宗」などの戦国武将が代表的です。

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このランキングでは、戦国時代の武将や大名が投票対象です。あなたの好きな人物に投票してください!

ランキングの順位について

ランキングの順位は、ユーザーの投票によって決まります。「4つのボタン」または「ランキングを作成・編集する」から、投票対象のアイテムに1〜100の点数をつけることで、ランキング結果に影響を与える投票を行うことができます。

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ランキング結果

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1織田信長

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが、天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、天下人。

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第六天魔王

やはりこの人を抜いて戦国時代は語れないと思います。ゲームなら信長の野望、今なら漫画の信長のシェフなんかもドラマ化されましたし、未だに信長人気衰えずと言った感じでしょうか。信長と言えばやはり第六天魔王と言われるほど、歯向かうものには容赦なかったお話でしょうか。特に比叡山焼き討ちや長島一向一揆での大虐殺など、枚挙にいとまがありません。ただこういう恐ろしいことだけではなく、楽市楽座やキリスト教の普及を認めたり先進的な事もしているのが、信長の2面性という点で自分が好きなところです。

りん

りんさん

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天下統一漢

まさに鬼!自分にも他人にもまさに鬼であった。鬼神とは織田信長の為にある言葉だったのではないかと思う。今で言うガジェット好きの信長は鉄砲やら南蛮人の物をよく取り入れた。ただこの時代に世界を視野に入れる眼は物凄い才能であり後の武将の指針となったであろう。

戦国時代の代名詞!圧倒的存在感

私が一番最初に知った戦国武将が織田信長です。ミーハーな理由で申し訳ないのですが、ドラマや映画で織田信長を演じる俳優さんは、ほとんどイケメンが演じていらっしゃいます。
もちろん日本国民であれば、おおよそ誰もが知っている武将ですし、行った政策はともかく、やっぱり単純にカッコイイイメージなので1位です。

緑

さん

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2徳川家康

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康(まつだいら もとやす)。戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開府し征夷大将軍となる。三英傑のひとり。

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鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥

家康は本当に苦労して我慢してその結果。戦国の世を見事に泰平の世の中に変えた雄だと思います。世の中には家康は臆病で面白みがないという人がいますが、この人がいなければずっと戦国の世が続き荒れ果てた日本になり、今の日本はなかったかもしれません。そういう意味で家康というのは素晴らしい戦国武将だと思います。

りん

りんさん

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忍耐の人

織田、今川の人質として幼少期を過ごし、信長、秀吉というライバルの陰で耐え忍んで、最後に天下を取った武将。200年以上の長きに渡る江戸幕府の礎を作った名将。苦しい経験を積んだ分、言葉に重みがあります。「堪忍は無事長久の礎、怒りは敵と思え。」 今の時代にも通じる言葉です。

JS

JSさん

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安泰築いた最強漢

まさに江戸時代まで続いた徳川幕府が物語るように、日本に最強と平安を築いた人物。織田、豊臣を見ながら良いところ悪いところを学び、それを生かして成し遂げた天才。まさに戦国の世で頭脳を駆使、また人を上手く使った人物。現代社会においても社長になる人物だったのであろう。

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3上杉謙信

上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。

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敵への思いやり

「敵に塩を贈る」という言葉の由来にもなった、ライバルである武田信玄の軍が塩が尽きてしまい困っているときに、自分の塩を武田軍に贈ったというエピソードが有名です。敵とはいえど、その窮地には手を差し出すという精神がとても尊敬できる人物だと思います。

天才系戦国武将

戦が圧倒的に強い。そして知恵を絞って戦うのではなく、相手の打つ手を瞬時に見抜いて裏手を取るという天才肌の武将というのがカッコイイですね。私的に印象に残ってるのは、山本勘助が上杉謙信について武田信玄に語った場面です。1~10までの数字を全部足すといくつになるか?という質問に対し、武田信玄はすばやく計算して答えました。でも上杉謙信は即答だったんですよね。ほとんど計算もしていない。何故即答出来たのか?気になる方は上杉謙信について調べてみてくださいね。

ゲームから入って好きになった

この人物はゲームのキャラクターになっていてその背景などを知ってとても好きになりました。戦国無双というゲームに出てきた時にかなりかっこよくて本当に好きになってしまいました。名前も大好きですごく語呂がいいなといつも感じています。

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4武田信玄

武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。

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結束力

国を守るのに重要なものは「人」。家臣を大切にしていた信玄公。身分や家柄に関係なく有能な人材を登用して、彼らの意見を取り上げていました。敵が恐れる武田軍の団結力は自分たちを大切にしてくれる主人への忠誠心の表れだと思います。

JS

JSさん

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ダンディな武将

渋いかっこよさがあります。武田信玄は、田舎の方ではとても強くて武将としての技量の高い人です。プライドも結構あった人なのではないかと思うのですが、難攻不落のイメージがあります。かっこよくて憧れの武将です。

風林火山

戦国最強と言っても過言ではないほど強かった。まさに鉄壁そして騎馬No. 1との呼び声高し。そして、自国の民を大事にする人好きであった。もし、寿命の問題がなければ彼が天下統一を果たしていたはず。

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5真田幸村(真田信繁)

真田幸村(真田信繁)

真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。

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家康を追い詰めた武将

関ケ原の戦いで敗れた側の武将ですが、幽閉された場所から抜け出して、西軍につきます。烏合の衆である西軍をまとめ上げた技量は抜きんでており、真田丸という砦を築いて徳川方を大いに苦しめました。そして、真田十勇士という架空の勇者まで生みだしました。

徳川を追い詰めた

やっぱり大阪城で徳川を散々翻弄したからすごい。その一言しかでない。

日ノ本一の兵

最強。ただ強い。頭ひとつ抜けて強い。十文字槍と村正がお似合いである。

真田好きの石頭さん

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6大谷吉継

大谷吉継

大谷 吉継(おおたに よしつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。豊臣秀吉の家臣で、越前敦賀城主。名前については「吉隆」ともされるが、現存する古文書で「吉隆」と署名する文書は確認できず、いずれも「吉継」である。通称は紀之介、号は白頭。官途は刑部少輔で、大谷刑部(おおたに ぎょうぶ)の通称でも知られる。業病を患い、眼疾のために失明して関ヶ原の戦いでは輿に乗って軍の指揮を執ったが、小早川秀秋らの離反で敗戦すると家臣・湯浅隆貞の介錯で切腹して死去した。

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戦国きっての人格者

彼のエピソードはその人格者ぶりを示すものが多いです。人柄が穏やかであるというような表面だけのものではなく、親友でもある石田三成に対して「お前は人望がない」という、指摘しにくい点をしっかり指摘したというような相手を本当に思いやった行動が目立ちます。関ヶ原の戦いで豊臣家についたのも、親友である三成と運命をともにすることを選んだのが大きな理由であったといいます。戦国の世で自分の名を馳せようとするのではなく、友のためにその命を預ける人柄にとても惹かれます。

友達思いの優しい武将

大谷吉継はハンセン病だったので顔を隠して生きていました。なので友達もいなかったようですが、石田三成の優しさに惹かれてついて行くことになりました。大谷吉継の素敵なところは、石田三成が負け戦をする時に、結果が分かっているのに加勢したところです。友達のために死を選んだ彼が素敵でした。

ゆら

ゆらさん

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義を尽くした武将

大谷吉継は、関ヶ原の戦いにて、味方の裏切りによって苦境に立たされた西軍において、最後まで何とか抗おうとした武将です。それは、西軍の実質的なリーダーである、石田三成への、義の気持ちによるものでした。その気持ちは、現代においてもきっと必要とされるもので、見習わなければならない存在だと思います。

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7豊臣秀吉

豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、旧字体: 豐臣 秀吉)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。

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素晴らしい才能

織田家重臣にまで昇りつめた才能と努力が素晴らしいことと、人たらしと呼ばれたほどの人気と人望があったことが大きな理由です。子孫に恵まれずに天下を譲ることになりますが、城を落とす際の水攻めや中国大返し、一夜城など秀吉ならではの知略が優れたところは傑出した戦国大名と言えます。

下克上

まさに織田に仕え才能を開花させた下克上。歴史を変えた人物といえよう。一族経営の会社なのに平社員が社長になったようなものであり、現代においても非常に難しいと言える、それをやり遂げた秀吉、悪い意味で言えば八方美人であり長いものに巻かれながら野望を大きくしていった苦労人兼達人だと思う。

太閤さん

大阪では太閤さんと言って親しまれている秀吉ですが、やはり貧乏人から苦労して成り上がったというのが大阪人には浪花節を感じるのかもしれません。自分の好きな秀吉のエピソードは、信長のわらじを懐で温めてそれを信長に履かせたお話でしょうか。どれだけ信長を敬愛していたのかと、なんとも泣かせる話だと思います。

りん

りんさん

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8毛利元就

毛利元就

毛利 元就(もうり もとなり)は、戦国時代の武将。毛利氏の第12代当主。 安芸(現在の広島県西部)吉田荘の国人領主・毛利弘元の次男。毛利氏の本姓は大江氏で、大江広元の四男・毛利季光を祖とする。家紋は一文字三星紋。

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よくここまでのし上がった

中国地方の大名で最も有名なのは毛利家だと思います。でも最初はそんな大大名ではなく、小大名ともいえないような地方豪族でした。周囲の大大名達の板挟みにありながら、よくここまでのし上がれたと思います。信長が桶狭間の戦いをしていた頃、すでに中国地方をほぼ統一していたんですから。毛利元就恐るべし。

三本の矢が有名、中国地方の戦国武将!

広島には毎年のように行っていたので、よく広島のお土産屋さんでグッズを見かけていた武将です。
武将としては、三本の矢の逸話からも伺える聡明さはすごいですし、どうやら家臣をはじめ、身分が下の人間にも優しかった様。

緑

さん

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賢い策士

私の地域から近いということもありますが、知恵と画策で乗り越えて生き残ったという生活密着形の賢いところが良いと思います。子孫も繁栄していましたし、何か現代にも通じるところがあって、そういう生き方が多分理想なのではないかと思います。

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9石田三成

石田三成

石田 三成(いしだ みつなり)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。佐和山城主。豊臣政権の奉行として活動し、五奉行のうちの一人となる。豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織したが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑された。

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天才策士

石田三成は冷たく冷酷で頭がいい策士のイメージが強いですが、仲間に対して非常に優しい面があります。優しさがわかるエピソードとして、後に親友となる大谷吉継の話があり、彼の顔のうみが入ったお茶を一気に飲み干した話が好きです。

ゆら

ゆらさん

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関ケ原の敗者

もし、関ケ原の戦いで西軍が勝っていれば、石田三成は英雄になっていたのではないでしょうか。人望がなかったと言われますが、勢力差はそれほど大きくなく、無敵の島津勢を含めてまとまりがあれば、徳川時代はなかったかもしれません。もう一息の所だった石田三成も大好きな戦国武将です。

忠誠心の強さ

豊臣秀吉に認められたその軍略の緻密さや高度さももちろんですが、その忠誠心が好きです。豊臣秀吉の死後、徳川率いる反豊臣の軍勢に加わる者も多い中、最期まで豊臣家に付き従う姿勢を守り抜いた忠誠心は素晴らしいと思います。

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10真田昌幸

真田昌幸

真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。 甲斐国の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。 軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像としてよく知られ、武田二十四将の一人にも数えられることがある。子に真田信之(上田藩初代藩主)、真田信繁(真田幸村)ほかがいる。他にもお初という織田信長の使いに入った真田の子という説もある

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農民でも真田昌幸が率いると精鋭になる と信長に言わしめた実力が凄い

織田信長が武田との闘いで、もっともこの真田昌幸。一向一揆の鎮圧の際は真田昌幸がいた為、なかなか制圧出来なかったとまで言われています。また徳川幕府を開いた徳川家相手に二度戦って二度とも勝つという偉業を成し遂げました。もちろん兵力差は相当ある状況で。表裏比興というだけなく、その実力の高さが大好きです。

戦の天才!

天下分け目の戦いは小早川の裏切りによるものと見られているが、結果論であり実際は拮抗していた。その理由が、家康の本隊の到着が予定より大幅に遅れたことだった。遅れた理由は真田氏との衝突だった。軍事力では圧倒的に劣っていた真田氏が本隊を苦しめていた。

その策略、まさに戦国無双。

徳川家康との戦いでもそうだが武藤喜兵衛の頃から凄かった。

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11島津義弘

島津義弘

島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主。島津氏18代当主・島津忠恒(のち家久に改名)の父。後に剃髪して惟新斎[注釈 2]と号したため、惟新公(いしんこう)との敬称でも呼ばれた。武勇の誉れ高く「鬼島津」の異名で知られ、戦国(安土桃山)時代でも屈指の猛将として当時から有名であった。日本では「鬼島津」の名で呼ばれ親しまれている。

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数々のミラクルを起こし鬼島津と恐れられた武将

教科書には載っていませんが、戦国時代を知る上に置いて是非とも知っておきたい人物です。
島津義弘のすごいところはその戦績にあります。
木崎柄の戦いでは3000の軍勢を相手に、わずか300の軍勢で勝利したため、この戦いは「九州の桶狭間」と呼ばれます。さらに朝鮮出兵では20万と言われる朝鮮の軍勢に対し、7000の兵で勝利。豊臣秀吉を驚かしただけではなく、徳川家康にも「前代未聞のこと」たたえられました。

また関ヶ原の戦いでの島津の退き口は本当に圧巻です。東軍を支援するつもりでしたが、ひょんなことから西軍に参加することになった島津義弘は、本国から援軍を受けることができず、わずかの軍勢で関ヶ原の戦いに臨むこととなってしまいます。関ヶ原の戦いの敗戦が濃厚になると敵陣を中央突破するという凄まじいやり方で戦線を離脱します。この島津の退き口はしびれるものがあります。

また島津義弘の魅力はその人柄にもあると言われています。自らの家臣に男の子が生まれると必ずその赤ん坊を抱っこして家臣を労ったと言われています。島津義弘は生前、「自分が死んでも殉死してはならない」と言いましたが、結局島津義弘が亡くなった後、家臣は13人も殉死してしまったのです。それほど家臣に慕われていたとも言えるかもしれません。

とにかく85歳まで生きたのでエピソードには事欠かない非常に魅力的な武将です。

金谷 俊一郎

歴史コメンテーター

金谷 俊一郎さん

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九州で1番

戦いが強くカッコいいところが好きです。鬼島津と言われたぐらい戦に強い戦国武将で、何回も何回も大きな戦果を上げていますし、ジャイアントキリングも何回もしています。豊臣が攻め込んでこなければ島津が九州を制圧していたと思うぐらいには強い大名です。なかても好きなところは義弘は戦果をものすごく上げて地位も高かったのですが、それで偉ぶることもなく、兵士たちと一緒に行動したり腰が低い大名だったというところが好きです。

関ケ原以外もまじですごい!

関ケ原での敵中突破はもちろんすごすぎるけど、
九州での活躍もすごい!耳川の戦いや木崎柄の戦いももっと有名になってほしい
ただこれらはすべて兄義久や弟たち、家臣など島津家全体がすごいからです

もし島津家全体が上方に生まれてたら織田といい勝負できただろうに…

おきゃやまさん

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12本多忠勝

本多忠勝

本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。通称は平八郎(へいはちろう)。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。

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男らしい武将と言えばこの人しかいない

他の武将とは違い歴史上ではあまり目立つような存在ではない本田忠勝ですが戦国時代の漫画や本を読むと徳川政権には無くてはならない重要人物であることが良くわかりいつも武骨で男らしく誰よりも戦国武将らしいところが素敵です。

徳川四天王の1人、伝説の男だから

徳川家に仕えた家臣で、伝説になるくらい強かったから。特に有名なのがトンボ斬り。槍に当たったトンボが真っ二つに切れるなんて、最初聞いた時はどういう事?と目がテンになりました。織田信長や豊田秀吉からも一目置かれていたという強さがかっこいいです。

最強の男

57度戦場に出て手傷を負わなかったから最強の男だと思います。
男らしく徳川家康を守り抜いた戦国時代最強で男らしい人だと思います。

ナタさん

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13明智光秀

明智光秀

明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。戦国大名・織田信長に見出されて重臣に取り立てられるが、本能寺の変を起こして主君を自害させた。直後に中国大返しにより戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れる。一説では、落ちていく途中、小栗栖(現・京都府京都市伏見区小栗栖)において落ち武者狩りで殺害されたとも、致命傷を受けて自害したともされる。

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いろいろ言われても歴史を変えた武将

本能寺の変で織田信長を破りその後、歴史上では3日で亡くなったとされているのであまりよく書かれないことが多い明智光秀ですが誰も何もできなかった織田信長政権を変えたのは間違いなく明智光秀であり歴史を変えたことはどんな方法でもすごい事であり歴史に残る武将で何故か憎めずに好きです。

今なお議論を呼ぶ武将

明智光秀といえば、本能寺の変の首謀者として知られています。果たして本人の意思だったのか、それとも誰かにそそのかされたのか、今でも様々な議論を呼んでいます。彼の気持ちを、様々なゲーム作品、映画、漫画などを通して、想像するのはとても楽しく、魅力に溢れた武将だと思います。

裏切り者でもあるが芸達者な武将

明智光秀は謀反を働いた裏切り者ではありますが、京都で嗜んだ和歌や茶道に関しては腕がかなりあったとのことで好きな武将です。教養もあった武将なので、謀反もよほどのことがあったのだと思っています。この武将を考えると、歴史のロマンが広がるので好きです。

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14伊達政宗

伊達政宗

伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主。近世大名としては仙台藩の初代藩主である。幼名梵天丸。没後は法名から貞山公と尊称された。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世「独眼竜」の異名がある。

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外交

コミュニケーション能力が高く、イスパニアの外交に力を入れて、日本人として初めてヨーロッパで交渉した人物。

政治は得意な独眼竜。

実はとんでもない戦下手。
しかしそれ以外はだいたいできる。

東北の誇りです!

伊達政宗は、私のふるさと東北の誇りです!

百瀬 崇裕さん

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15北条氏康

北条氏康

北条 氏康(ほうじょう うじやす)は、戦国時代の武将。相模国の戦国大名。後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。後北条氏第3代目当主。母は氏綱の正室の養珠院。 関東から山内・扇谷両上杉氏を追うなど、外征に実績を残すと共に、武田氏・今川氏との間に甲相駿三国同盟を結んで関東を支配し、上杉謙信を退け、後世につながる民政制度を充実させるなど、政治的手腕も発揮した。後北条氏当主として19年間、隠居後も後継者である第4代当主北条氏政との共同統治を12年間続け、30年以上にわたって後北条氏を率いた。

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なんでも出来る相模の獅子、信玄や謙信すら恐れた男。

先見性のある政治を行い領民の心を掴んだ。
さらに戦も得意で河越夜戦では10万を超える大軍を撃破したまさに名将。

謙信を手こずらせた武将

関東の雄(相模の獅子)と言われあの軍神上杉謙信を手こずらせたのでかなり強いと思います

マイキーさん

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強すぎる

なんといってもやっぱり強い

大好きさん

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16黒田官兵衛(黒田孝高)

黒田官兵衛(黒田孝高)

黒田 孝高(くろだ よしたか、旧字体:黑田 孝高)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった。 諱(実名)は初め祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、のち孝高といったが、一般には通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)として広く知られる。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。竹中重治(半兵衛)とともに秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。

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才能あふれる家臣

豊臣秀吉を支えた名家臣として有名な武将です。大河ドラマでも取り上げられた調略が得意な知略型の武将で、家臣の割には名前が大きく残っています。秀吉からもう少し大きな領地をもらっていれば、家康と一戦交えることもできたかもと思うと、楽しくなります。

地元出身の人物だから

同じ県の出身人物だから。大河ドラマにもなりましたが、とても頭の良い策士っぷりがかっこいいと思います。結局頭の良さから恐れられ疎まれ九州に追いやらてしまったのは残念でしたが、それだけ聡明だったのだと思いますね。すごい人が同じ県で嬉しくて選びました。

西国諸将を悩ませた謀将。

毛利、長宗我部、島津と渡り合い勝利を続けた名将。

17立花宗茂

立花宗茂

立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。大友氏の一族で、重臣。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将は他にもいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である。 なお、宗茂は晩年の名乗りであり、幾度も名前を変えているが、本項では便宜的に宗茂で統一する。

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スモール謙信

スケールは劣るが戦術家としては謙信の次
忠義は紹運と道雪譲り
武将や大名としての才覚は本多忠勝とは比べ物にならない

ひろ

ひろさん

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西国無双。

寡兵で島津軍を圧倒した名将。

18加藤清正

加藤清正

加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。肥後熊本藩初代藩主。通称は虎之助(とらのすけ)。熊本などでは現代でも清正公さん(せいしょうこうさん、せいしょこさん)と呼ばれて親しまれている(清正公信仰)。 豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国の大名となる。秀吉没後は徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍に荷担して活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて熊本藩主になった。明治43年(1910年)に従三位を追贈されている。

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猛将っぷりがハンパないから

王道じゃない人を選びたかったのもありますが、単純に好きだからです。あの秀吉が面倒見て育てたという、期待の星、加藤清正。朝鮮での虎退治の逸話は有名ですよね。虎を手で倒すなんて只者じゃない所業をやってのける猛将っぷりに惚れました。その上城作りまで一流と文句なしです。

地元の有名武将

私の地元である、熊本県を代表する武将です。熊本城を建築したことでも知られています。熊本に移る前は、石田三成、福島正則らと共に、豊臣秀吉子飼の将として活躍しており、戦国時代全体を見ても有名です。そんな武将が自分の地元の武将であることを、誇りに思います。

19竹中重治(竹中半兵衛)

竹中重治(竹中半兵衛)

竹中 重治(たけなか しげはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初名は重虎、のちに重治。通称は半兵衛(はんべえ)。父は竹中重元、弟に重矩。子に重門。従弟に竹中重利(府内藩初代藩主)。 羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の参謀として活躍し、黒田孝高(黒田官兵衛)とともに「両兵衛」「二兵衛」と称された。しかし、軍功に関する逸話や美談の多くは後世の創作によるものと見られ、史実上の実像が不明瞭な人物である。

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知将半兵衛

黒田官兵衛が出てくる前の秀吉の忠実な頭の良い家臣です。残念なのは、比較的若くして亡くなっていることで、本来、半兵衛がやるべきことを官兵衛にやられてしまったことです。

両兵衛の一人

かなり賢い武将なので寿命がもっと長ければもっと出世できたと思います

マイキーさん

4位に評価

おだけのほこり

豊臣秀吉がさそった武将です。せんりょくも高く有名な人物です

手取りがわのたたかいさん

1位に評価

20前田慶次

前田慶次

前田 利益(まえだ とします)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将。小説や漫画の影響で、現在では前田慶次/慶次郎の通称で知られるが、宗兵衛、利益、利太、利大、利貞など複数の名前を用いており、道号でも、穀蔵院飄戸斎(こくぞういん ひょっとこさい)や穀蔵院忽之斎(こくぞういん ひょつとさい)、または龍砕軒不便斎(りゅうさいけん ふべんさい)と時期によって名乗りが異なる。

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天下御免の歌舞伎者

あの秀吉に歌舞伎御免を許されるなんてなかなかの人物ですよね。ド派手で常識を超えた大物、前田慶次!しかもイケメンで背が高く、とっても腕っぷしが強いとか。きっと女性に大人気だったことでしょう。私、漫画も持ってます。大好きです。

男らしさとカッコよさ全てを持ち合わせる最強剣士

戦国時代の漫画やゲームでも必ず活躍する最強の剣士、武将といえば前田慶次以外には考えられません。強くて有名な武将なのに自由気ままであるところも戦国時代の武将らしくなく素敵でゲームでも漫画でも大柄なイケメンで描かれているところも好きです。

傾奇者

まさに傾奇者!!これは漫画やパチンコでも描かれている通り、自由気ままに生き、そして仁義に生きる男なら憧れる人物。まさに強くて美しい、そして頭が良い。天下一の傾奇者と名乗ったほど、その姿は華麗で力強かったと想像する。まさに私もこんな漢として生きていきたい。

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21位~40位を見る

運営からひとこと

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