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戦国武将・大名最強ランキング!最も強い武将は?

織田信長武田信玄上杉謙信真田幸村(真田信繁)本多忠勝

このお題は投票により総合ランキングが決定

ランクイン数73
投票参加者数1,711
投票数10,225

みんなの投票で「戦国武将・大名最強ランキング」を決定!無敗を誇った武闘派の戦国武将や、危機的状況を策で乗り越えた頭脳派の戦国大名など、戦国時代には日本史を代表する強者たちが綺羅星のごとく存在します。第六天魔王と呼ばれ恐れられた「織田信長」を筆頭に、勇猛果敢な越後の龍「上杉謙信」や、織田信長ですら戦いを避けた「武田信玄」、戦国屈指の策略家「毛利元就」など、数多くの戦国武将&大名が誕生しました。あなたが戦国最強だと考える武将や大名に投票してください。

最終更新日: 2021/09/24

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ランキングの前に

1分でわかる「戦国武将・大名」

武将&大名が乱立した戦国時代とは

主に日本の15世紀〜16世紀にあたる戦国時代。幕府の権力が地に落ちたために、武士の家系で日本各地に日本人なら誰もが知っている武将や大名が乱立し、下克上を狙った戦が頻繁に行われる戦乱の時代でした。1467年に生じた応仁の乱をきっかけに全国各地で領土の奪い合いが始まったことから、戦国時代に突入したという説があります。

戦国時代を象徴する戦国武将・戦国大名

戦国時代に登場する、足軽や武士などで構成された、いわゆる軍勢を率いる人物のことを戦国武将と呼びます。戦国武将は、領地を広げたり守ったりと戦に明け暮れていただけではく、城や道路を作ったり堤防を作って川の氾濫を防いだりと、現代の公共事業と同じような方法で国を治めていました。一方、領地を多く治めている戦国武将を指して、戦国大名と呼ぶことがありますが、明確な違いはありません。

戦国最強候補にふさわしい武将・大名たち

戦国武将や大名のなかには、強さゆえに現代でも語り継がれるエピソードを持つ人物もいます。たとえば、尾張の大うつけと呼ばれた「織田信長」といえば、自軍の約5倍の軍勢を蹴散らした「桶狭間の戦い」で有名です。戦の天才と評された「上杉謙信」には、3万以上の敵兵に攻められた落城寸前の城を救ったという逸話があります。さらに、甲斐の虎と呼ばれた「武田信玄」は、軍馬の育成や兵の鍛錬など、圧倒的な軍勢を作り上げた人物です。最強と呼ぶにふさわしい戦国武将・大名はこのほかにも多数!

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このランキングの投票ルール

このランキングでは、「日本の戦国時代に活躍した武将や大名」に投票対象です。なお、本ランキングのテーマである「最強」の基準は、剣術や体術など個人の戦闘力でも、相手を策で撃破する頭脳的な能力でも、なんでもOKです。

ランキングの順位について

ランキングの順位は、ユーザーの投票によって決まります。「4つのボタン」または「ランキングを作成・編集する」から、投票対象のアイテムに1〜100の点数をつけることで、ランキング結果に影響を与える投票を行うことができます。

順位の決まり方・不正投票について

ランキング結果

\男女別・年代別などのランキングも見てみよう/

1上杉謙信

上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。

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負けない美学を持つ武将

上杉謙信は、武田信玄のように多くの有力な家臣を携えているわけでもありません。また織田信長や豊臣秀吉のように圧倒的な軍事力で相手を圧倒させる武将でもありません。
そう言うとそんなに強い武将ではないのでは?と思うかもしれませんが、私は上杉謙信こそ「人生」という戦場を戦う上で最も強い戦い方をした武将であると考えます。

上杉謙信は、決して無理をしない戦国武将でした、また謙信自信、家臣そして領国が損をしないようにするためにはどうしたらよいかということを第一にあくまでも冷静に分析して判断して行動していく武将であるということが最近のの上杉謙信の書状の研究などから明らかになってきています。

このいかに負けないかということが重要なのです。そのためのリスクコントロールやマインドの管理などを徹底的に行って戦ったという点においては、他の戦国武将に見られない大きな特徴であると言えます。

金谷 俊一郎

歴史コメンテーター

金谷 俊一郎さん

1位に評価

めちゃくちゃ強い戦国武将

上杉謙信は自身が出陣した合戦で負け知らずというのがすごいです。こんなに強い戦国武将にあこがれてしまう。最後は戦死するのではなく、酒を飲みすぎて病死するというところも好きです。名前のひびきがかっこいいのも高ポイントです。

武勇と知

「最強」という基準で考えた際に、人をまとめるトップとしての力と、個人としての武道の力両方が必要だと考えた際に、パッと思いついたのは川中島の戦いの主役である上杉謙信と武田信玄でした。そして上杉謙信を選んだ理由としまして、謙信は自らのことを毘沙門天の生まれ変わりとして信じ、戦を好み、名を馳せたためです。

ケイ

ケイさん

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2武田信玄

武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。

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戦国の厳しさを知っている名将

武田信玄は軍の作り方、国作りも含めて、戦国時代の世の中の生き抜き方を熟知していた名将だと思います。
人望に厚く、家臣に裏切る者がいなかったことも、この人についていきたいと思わせる空気を漂わせていたことも全て武田信玄の芯のある心からだと思います。

上杉謙信の一撃を受け止める力

武田信玄と聞くと信玄堤や甲州金、天下の知将などのイメージがありますが、一番有名なのは川中島の戦いです。昔から上杉謙信と信玄の一騎打ちが有名で小説や映像でも描かれてきました。よくよく考えると馬上から振り下ろす力を鉄扇で受け止めるなんて結構力がいる気がするんです。それもとっさにです。信玄も必死だったかもしれませんが、もし本当だとすれば相当の反射神経と武勇です。

勇ましい

かっこ良さと、勇ましさや村人に優しく、村人からも評価が高く、みんなが慕う素晴らしい戦国武将です。それに信玄堤も実は農民のためで洪水が起きない為でもあるので、すごくそんな部分を尊敬しています。戦でもあの上杉謙信と一騎打ちするという川中島の戦いも繰り広げるほどの戦強さもあるからです。

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3真田幸村(真田信繁)

真田幸村(真田信繁)

真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。

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漢気

なんと言っても漢気がある男は、この方しかいません。なんせ、大阪夏の陣の際に16万人いたと言われる徳永の軍にたいして本陣まで攻め込んだと聞きます。普通の方ならやめるくらいだと思うのですが、本当に決心が非常に強いと感じられます。

家康を追い詰めた男

大河ドラマの主人公になったことでも話題の人物で、知将と恐れられた昌幸から学んだ戦術と激しい領地争いのなかで培われたハングリー精神を持った人物です。大坂の陣の時には家康は、その才幹を恐れて50万石で召し抱えると申し出て引き抜こうとした逸話がある程です。もちろん当時にそのような余分な土地が余っている筈もなく、空手形に笑って幸村も拒否をしました。いざ戦いが始まると真田丸での攻防や茶臼山の家康本陣へと迫るなど、余裕を見せていた徳川方の肝を冷やす活躍をしました。絶対的な勝者に対して必死にあらがう戦士としてカッコよさがあります。

敗軍の将

今ではゲームやアニメ、大河ドラマなどで最も有名となった戦国武将の一人ではないかと思います。大坂夏の陣のでは敵陣に突っ込んで行き徳川家康をあとわずかの所まで追い詰めた所はなかなかできる物ではないと思いました。

Brendon

Brendonさん

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4織田信長

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが、天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、天下人。

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政治家

織田信長は、今の現代の世の中でも有名になる程、多才な持ち主です。映画によく出る登場人物はやはりそれくらいの才能がないと、いけないと思います。私が注目したいのは、はやり政治能力楽天楽座や、兵農分離など大胆な政治ができる人物ははやり凄い。

かっこいい革命家!

織田信長は知名度が圧倒的に高いですが、やはりすごい人なのです。いろんなアイデアで戦国時代を暴れまわった革命家。桶狭間の戦いで4万の大軍を2千人の戦士で破ってしまうというエピソードにもしびれました。本能寺で自死するという最期もかっこいいです。

とにかく強い歴史上の武将!

この織田信長が評価される店はなんと言っても数的に圧倒的不利であると言える状況でも戦いに勝ちきることができる戦のセンスにあると思います。また様々な面でそのセンスは光り、歴史的に代々その強さが語り継がれていくことが魅力であると言えるでしょう。

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5本多忠勝

本多忠勝

本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。通称は平八郎(へいはちろう)。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。

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天下を取った家康ですらもったいないほどの逸材

「家康に過ぎたるもの二つあり、唐の頭に本多平八」という言葉が残っているほどの武将です。徳川家康に仕えいいなおまさらと共に徳川四天王とされた人物ですが彼のすごいところはその戦績です。
生涯で57度もの合戦に参戦したのに一度も傷を受けていないのです。しかもほとんどの戦いで最前線で戦っているのにこのせいかというのがすごいです。

また、三方ヶ原の戦いで2万7000人の武田軍をわずか3000人の兵で進軍を止めました。こういうタイプの武将は戦国時代初期においては強い武将として君臨するのですが、戦国時代も終わり頃になるとなかなか芽を出さない場合が多いです。
しかし本多忠勝の場合は違います。関ヶ原の戦いまで戦い抜き、最終的には伊勢桑名15万石の大名にまで出世していきます。

金谷 俊一郎

歴史コメンテーター

金谷 俊一郎さん

2位に評価

最強

この方はゲームなどでも最強と取り上げられる事が多いと思います。理由としましては、三方ヶ原の戦いで2万7,000人の武田軍をわずか、3000人ほどの兵力でとめたり、多くの兵力の前で少ない人員でたちどめるなど最強だと思います。

強さ

57回の合戦でかすり傷一つも負わなかった武将であることや、徳川四天王の一人でもあるということなどから好きになりました。しかもあのとんぼぎりも本多忠勝の槍で一回振り回すだけで結構なダメージが来るらしく、凄く強いです。

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6徳川家康

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康(まつだいら もとやす)。戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開府し征夷大将軍となる。三英傑のひとり。

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徳川200年の歴史の創始者!

徳川家康が始めた江戸幕府が200年続きましたが、その江戸幕府を始めることができた強さはどの武将にも劣る事はありません。リーダーシップもとても高く、自分自身でも戦って強さを発揮することができると言うことが素晴らしい点であると思います。

わが道をいく世渡り上手

不遇な生まれから幼少時に人質にされたことなど波乱万丈の人生を生きた徳川家康は自力で戦国の世の渡り歩き方を学んだ忍耐力のある人物です。学びを積み重ねた結果、江戸に幕府を構える事ができたのも家康のわが道をいく強さがあったからだと思います。

最後に勝った我慢の人。

精強な三河武士をまとめあげ武田軍相手にも善戦した。260年続く幕府体制を整えたその政治センスは本物。

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7毛利元就

毛利元就

毛利 元就(もうり もとなり)は、戦国時代の武将。毛利氏の第12代当主。 安芸(現在の広島県西部)吉田荘の国人領主・毛利弘元の次男。毛利氏の本姓は大江氏で、大江広元の四男・毛利季光を祖とする。家紋は一文字三星紋。

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中国地方の大黒柱

毛利元就もブレのない人物だと思います。
戦国の世が激しくなっても方針を変えずに毛利家としてできることを貫く様子から、支配下の民を守り抜く覚悟を感じさせます。その後の天下統一に陰ながら貢献した人物だと思います。

稀代の謀神

何をしても天才な名将。
本気になれば天下すら狙えたかもしれない。

8伊達政宗

伊達政宗

伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主。近世大名としては仙台藩の初代藩主である。幼名梵天丸。没後は法名から貞山公と尊称された。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世「独眼竜」の異名がある。

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生まれるのが遅かったら

今の仙台の栄えた街並みを見ると、その街の礎を築いた伊達政宗の功績はとても大きかったと思います。この伊達政宗がもう10年ほど早く生まれていたら武田信玄や上杉謙信と互角にやり合ったのではないかと思います。

Brendon

Brendonさん

1位に評価

9豊臣秀吉

豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、旧字体: 豐臣 秀吉)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。

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城攻め上手の太閤さん。

どちらかと言うと政治家のイメージがあるが戦もかなりすごい。
秀吉の人海戦術を相手には誰もかなわないだろう。

天下統一達成

天下統一した武将

なやはさん

2位に評価

豊臣秀吉大好きです!

好きでたまらないですね、

*_*さん

1位に評価

10島津義弘

島津義弘

島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主。島津氏18代当主・島津忠恒(のち家久に改名)の父。後に剃髪して惟新斎[注釈 2]と号したため、惟新公(いしんこう)との敬称でも呼ばれた。武勇の誉れ高く「鬼島津」の異名で知られ、戦国(安土桃山)時代でも屈指の猛将として当時から有名であった。日本では「鬼島津」の名で呼ばれ親しまれている。

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まさかの敵中突破を成功させた

関ヶ原での戦いの最終局面で島津義弘が成功させた島津の退き口、これが凄いですね。もちろんこれは捨て奸という兵士達の捨て身の攻撃あってのものですが、たった300人で敵中突破を果たしたわけですから、島津義弘本人が弱いわけないと思います。

大輔

大輔さん

3位に評価

11黒田官兵衛(黒田孝高)

黒田官兵衛(黒田孝高)

黒田 孝高(くろだ よしたか、旧字体:黑田 孝高)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった。 諱(実名)は初め祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、のち孝高といったが、一般には通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)として広く知られる。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。竹中重治(半兵衛)とともに秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。

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頭が良い

なんと言っても頭のキレの良さが秀吉の天下統一の一番の手助けになったと思います。この方は、様々な点で色んな所に顔が出るほど多くの方に知られていると思います。その中でも、北条政宗などを説得できたなど本当に凄いかたです。

誰も勝てない天才軍師

多分本気を出せば天下取れた人。
関ヶ原の戦いの読みさえ間違えていなければいけた。

12真田昌幸

真田昌幸

真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。 甲斐国の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。 軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像としてよく知られ、武田二十四将の一人にも数えられることがある。子に真田信之(上田藩初代藩主)、真田信繁(真田幸村)ほかがいる。他にもお初という織田信長の使いに入った真田の子という説もある

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裏表裏の卑怯者

徳川軍を撃退したのも凄いが武田家家臣時代の軍功も見事なもの。

実質戦国最強

少勢力ながらも徳川に2度も勝利しているという事実。同勢力だったら日本はどうなっていたのだろう…と思ってしまうような恐ろしい存在

にっしーさん

1位に評価

表裏卑怯

徳川の大軍に二度も勝った、実質戦国最強の人

ddさん

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13北条氏康

北条氏康

北条 氏康(ほうじょう うじやす)は、戦国時代の武将。相模国の戦国大名。後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。後北条氏第3代目当主。母は氏綱の正室の養珠院。 関東から山内・扇谷両上杉氏を追うなど、外征に実績を残すと共に、武田氏・今川氏との間に甲相駿三国同盟を結んで関東を支配し、上杉謙信を退け、後世につながる民政制度を充実させるなど、政治的手腕も発揮した。後北条氏当主として19年間、隠居後も後継者である第4代当主北条氏政との共同統治を12年間続け、30年以上にわたって後北条氏を率いた。

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東国最強の相模の獅子

武田信玄、上杉謙信らと渡り合い彼らを凌駕した。
民からも慕われる万能型。

14立花宗茂

立花宗茂

立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。大友氏の一族で、重臣。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将は他にもいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である。 なお、宗茂は晩年の名乗りであり、幾度も名前を変えているが、本項では便宜的に宗茂で統一する。

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西国無双

島津の大軍を引き留め朝鮮出兵でも活躍する。
これぞ無双。

15長宗我部元親

長宗我部元親

長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての土佐国の戦国大名。長宗我部氏第21代当主。位階は従五位下で死後に正五位、昭和3年(1928年)には正三位が贈られた。

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土佐の出来人

鉄砲の有用性を理解し、土佐の特性を理解した上で領土を拡大した名将。

四国統一

若くして四国を統一した人物でありさらに信長のことをライバルだと思っていたしかも信長も元親のことを武田信玄、上杉謙信についで恐れていたすごい人物

麤麤麤麤麤さん

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16山県昌景

山県昌景

山県 昌景(やまがた まさかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の武将。甲斐武田氏の家臣で、譜代家老衆。後代には武田四天王の一人に数えられる。

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猛将

あの武田信玄に仕え、しかも最後は長篠の戦いで死を覚悟して突撃し、戦死するという勇敢さや、強さ、かっこよさなどが凄く好きです。しかも三方ヶ原の戦いでは、徳川家康を、あと一歩まで追い詰めるというエピソードが残っていることが凄く好きです。

鬼島津の大将

そもそも優秀じゃないと人は着いてこない。
だからこそ彼は凄い。

18北条早雲

北条早雲

北条 早雲(ほうじょう そううん)こと伊勢 宗瑞(いせ そうずい)は、室町時代中後期(戦国時代初期)の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖・初代である。早雲の代の時はまだ伊勢姓であった。早雲は戦国大名の嚆矢であり、その活動は東国の戦国時代の端緒として歴史的意義がある。

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最初の戦国大名

まず、北条早雲は戦国武将の中では初代当主で子が氏綱です。有名なエピソードは、神奈川県の小田原城で大森氏という人が当主をしていて北条早雲は牛の角にたいまつをつけてたった1000頭で攻めて見事に城を奪いとったという話です。

戦国最初の武将

あまり知らないが戦国最初だから

なやはさん

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19前田利家

前田利家

前田 利家(まえだ としいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。加賀藩主前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。俗に加賀百万石の祖とも称されるが、前田家が百万石を超えるのは利長・利常ら利家の息子たちの世代からである。

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前線で活躍する武将

戦国時代の初期から活躍している武将で信長の側近だった武将です。一時期、信長から家臣をクビにされたけど敵将の首を土産にして許してもらったと言う逸話もあり槍の又左という異名がつけられるほどで数々の戦いで武功をあげ個人の武勇がかなり目立っている人物だと思います。

owarin

owarinさん

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20今川義元

今川義元

今川 義元(いまがわ よしもと)は、戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。姉妹との婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義理の兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ東海道の広大な地域の支配者。 寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才覚を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで領土を拡大させた。戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長軍に敗れて毛利良勝(新助)に討ち取られた。

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東海一の弓取り

最近は評価されてるからここら辺。
僕は昔から評価していた()

東海一の弓取りと言われてたが…

桶狭間で信長に敗れた武将。
だが、東海一の弓取りと言われてた。

なやはさん

10位に評価

21

21位~40位を見る

運営からひとこと

戦国時代に活躍した強い武将や大名が集結する「戦国武将・大名最強ランキング」はいかがでしたか?このほかにも時代劇に関するランキングや、歴史・戦国漫画ランキングなど、おすすめのランキングを公開中。ぜひCHECKしてください!

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