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ゴジラ-1.0ページノート閲覧編集履歴を表示ツール表示 非表示テキスト小標準大幅標準広め色 (ベータ)自動ライトダーク出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ゴジラシリーズ > ゴジラ-1.0このページのノートに、このページに関する議論があります。(2024年2月)議論の要約:受賞一覧の表についてこの記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2024年7月)翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。ゴジラ-1.0GODZILLA MINUS ONEゴジラ-1.0ロゴ監督 山崎貴脚本 山崎貴製作 阿部豪守屋圭一郎製作総指揮 臼井央阿部秀司出演者 神木隆之介浜辺美波山田裕貴青木崇高吉岡秀隆安藤サクラ佐々木蔵之介音楽 佐藤直紀伊福部昭撮影 柴崎幸三編集 宮島竜治制作会社 TOHOスタジオROBOT製作会社 東宝配給 日本の旗アメリカ合衆国の旗 東宝公開 日本の旗 2023年11月3日アメリカ合衆国の旗 2023年12月1日上映時間 125分製作国 日本の旗 日本言語 日本語製作費 15億円以下[1]興行収入 日本の旗76.5億円[2]アメリカ合衆国の旗$56,418,793[要出典]世界の旗$115,857,413[要出典]前作 GODZILLA (アニメ映画)(アニメ映画を含む)シン・ゴジラ(実写映画のみ)テンプレートを表示『ゴジラ-1.0』(ゴジラ マイナスワン[3][4]、英題: GODZILLA MINUS ONE[5])は、2023年11月3日に公開された日本の特撮映画。TOHOスタジオとROBOT製作。戦後間もない日本を舞台に描かれる、山崎貴、VFX・脚本・監督による[6]怪獣映画である[5]。略称「マイゴジ」[7]。タイトルに付けられた-1.0には、「戦後、無(ゼロ)になった日本へ追い打ちをかけるように現れたゴジラがこの国を負(マイナス)に叩き落とす」という意味がある[8]。『ゴジラ』シリーズでは37作目であり、国産の実写作品としては通算30作目[6][9]。『シン・ゴジラ』以来7年ぶりとなり、ゴジラ生誕70周年記念作品と位置付けられている[10][11][12][13][注釈 1]。第96回アカデミー賞では邦画・アジア映画史上初の視覚効果賞を受賞した[13]。また歴代のアカデミー賞の中で、監督として視覚効果賞を受賞したのは『2001年宇宙の旅』のスタンリー・キューブリックのみであり、山崎監督は55年ぶり、史上2人目の受賞監督となった[14][15][13]。映画史に名を残す錚々たる大作が並ぶ視覚効果賞の歴代受賞作と比較して、製作費が15億円以下とかなりの低予算[注釈 2][注釈 3]であることもアメリカの映画関係者を驚かせた[16]。あらすじ第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)。敷島浩一は特攻へ向かう途中で零戦が故障したと偽り、小笠原諸島に位置する大戸島の守備隊基地に着陸し、海岸で深海魚の死骸が浮かび上がるのを見る。その日の夜、島の伝説で語り継がれる、全長15メートルほどの恐竜のような生物「呉爾羅(ゴジラ)」が基地を襲撃する。敷島は零戦に装着されている20ミリ砲でゴジラを撃てと整備兵の橘宗作に懇願されるが、恐怖にかられて撃てなかったうえ、敷島と橘以外の整備兵たちはゴジラを攻撃したため、敵と見なされて殺害される。橘は仲間たちの遺体を前にして敷島を罵倒する[注釈 4]。同年冬、東京へ帰ってきた敷島は、隣家の太田澄子から空襲によって両親が亡くなったことを伝えられる。敷島は闇市で、彼同様に空襲で親を失った女性・大石典子と、彼女が空襲の最中見知らぬ他人から託されたという赤ん坊の明子に出会い、成り行きで共同生活を始める。敷島は米軍が戦争中に残した機雷の撤去作業の仕事に就き、特設掃海艇・新生丸艇長の秋津淸治、乗組員の水島四郎、元技術士官の野田健治と出会う。生活にも余裕ができ、敷島は秋津らに典子との正式な結婚を勧められるが、戦争とゴジラによるトラウマを抱える敷島は関係の進展に踏み出せない。1946年(昭和21年)夏。ビキニ環礁で行われた米軍による核実験「クロスロード作戦」により、その近海にいたゴジラは被曝し、全身を焼き尽くされてしまうが、それによってゴジラの細胞内でエラーが発生し、その全身は体高50.1メートル[19]までに巨大化する。1947年(昭和22年)5月。赤ん坊だった明子は歩けるほどに成長し、典子は自立するために銀座で働き始めていた。一方、巨大化したゴジラは活動範囲を広げ、日本を新たな縄張りとすべく日本へ進行する。そして米国の艦船や潜水艦が謎の被害に遭う事態が発生し、発生場所の時期などから巨大生物(ゴジラ)が日本に向かっていると推測し、米国防省は日本政府に打診する[注釈 5]。敷島たちは作業中の日本近海にゴジラが現れていることを知り、新生丸で足止めをしろという命令が出る。敷島たちは回収した機雷や船の機銃でゴジラに応戦し、ゴジラ口内に入った機雷を誘爆させるが、頭部の一部を失っても即座に回復してしまいまったく歯が立たない。シンガポールから帰ってきた接収艦の重巡洋艦「高雄」も主砲で応戦するが、ゴジラが口から放った熱線によって高雄は海の藻屑となる。病院で目覚めた敷島は野田から、ゴジラが東京に向かっていること、そして政府が混乱を恐れてゴジラのことを国民に伏せていることを聞かされる。翌日、ゴジラは東京湾の防衛ラインを越えて上陸し、家屋を蹂躙しながら品川を経て典子の働く銀座へ進撃する。敷島は典子のもとへ駆けつけ、一緒に逃げる。日本政府も国会議事堂前に配備した戦車隊で応戦するが、ゴジラの熱線によって国会議事堂もろとも蒸発する。その余波で発生した爆風から典子はとっさに敷島を建物の陰に押し込んで助けた結果、自身は爆風に吹き飛ばされて行方不明になってしまう。熱線はゴジラ自身の口周りをも損傷させており、ゴジラはその傷を癒すべく海に戻る。熱線の着弾地点では、蒸発した国会議事堂跡のクレーターを中心に半径6キロメートルが灰塵と化して政治機能が麻痺したほか、ゴジラの肉片から発する放射能によって各地域が汚染され、死傷者数および行方不明者数は約3万人に破壊された家屋が2万戸以上と、ゴジラによって東京は壊滅的な被害を受けたが[21]、駐留連合国軍はソ連軍を刺激する恐れがあるとして軍事行動を避けていた。そのため、占領下で独自の軍隊を持たない日本は民間人のみでゴジラに立ち向かうこととなる。典子の死に苦悶する敷島を、野田はゴジラ打倒の作戦に誘う。駆逐艦「雪風」の元艦長である堀田辰雄がリーダーとなって開かれた「巨大生物對策説明会」には、新生丸のメンバーの他、東洋バルーンの社員や、元海軍の人間が多数集まった。そこで野田が、ゴジラが完治して日本に再上陸するのに約10日経かると推測し、部分的なダメージでは即座に回復するため、第一次攻撃としてゴジラを相模トラフまでおびき寄せてフロンガスの泡で全身を包み込むことで浮力を奪い[注釈 6]、深海まで一気に沈めて急激な水圧の変化を与え、それでも倒せなかった場合、予備策として第二次攻撃として深海まで沈めたボンベに東洋バルーンの大きな浮袋[注釈 7]を装着し、それを膨らませて海底から海上まで一気に引き揚げ、凄まじい減圧を与えてゴジラの身体全体にダメージを与えて完全に息の根を止めるという「海神作戦(わだつみさくせん)」を立案する。一方、敷島は野田たちとは別に万が一の事態に備えて戦闘機による誘導役を進言し、本来本土決戦に配備される予定だったが終戦の混乱で忘れ去られ、それゆえに解体処分から免れていた機体「震電」を発見する。震電には高度な技能を用いての整備が必要であるため、敷島は橘にわざとでたらめの手紙を出して誘き寄せ、再会する。怒った橘は敷島を殴って去ろうとするが、彼は掃海艇でゴジラと戦った時の経験を橘に語り、震電に爆弾を搭載して口内への特攻で刺し違えてでもゴジラを倒すと説明する。その覚悟を汲んだ橘は、震電の整備を引き受ける[注釈 8]。それぞれゴジラ上陸に備えて準備していたが、予想より早くゴジラは防衛ラインを越えて相模湾から上陸すると、相模湾の逗子軍港を半壊させて鎌倉の町村を蹂躙していく。作戦は頓挫したと思われたその時、敷島が整備を完了した震電に乗って現れ、ゴジラを誘導する。ゴジラは震電を追いかけるべく沖合に進路を変え、日本の存亡をかけた海神作戦は開始された。駆逐艦「雪風」「響」「夕風」「欅」からなる駆逐艦群がゴジラを取り囲むように周回し、フロンガスのボンベとバルーンが取り付けられたワイヤーを括り付け、第一次攻撃のゴジラ沈降は成功した。だが、それでも死ななかったことで、予備策の第二次攻撃のバルーンによる急浮上を行ったが、途中でゴジラにバルーンを食い破られてしまう。堀田は繋がっているワイヤーを利用してゴジラの引き揚げを指示するも、駆逐艦数隻程度のパワーではどうにもならない。そこへ腕の骨折と戦争経験がないことを理由に海神作戦への参加を拒否された水島が多数のタグボートを率いて姿を見せ、ゴジラの引き揚げに力を貸す。そうして第二次攻撃を成功させたもののゴジラは死んでおらず、さらには駆逐艦群に向けて熱線の発射準備に入る。誰もが万事休すかと思われたその時、敷島がゴジラの口内めがけて特攻を敢行、ゴジラの頭部は大爆発して海へ沈んでいく。野田たちが敷島の死を嘆いている中、空から彼がパラシュートで降下してくる。橘は敷島を死なせないよう、震電に脱出装置[注釈 9]を取り付けており、敷島は震電がゴジラの口内に飛び込む寸前で脱出に成功していたのだった。帰港した敷島たちが勝利の余韻に浸っていたところ、澄子が家に一通の電報が届けられたことを知らせる。それは典子が一命を取り止めて病院にいることを知らせるものであり、敷島は明子を伴って急行した病院にて典子との再会を果たす。包帯姿の典子は「戦争は終わりましたか?」と優しく敷島に尋ね、彼は力強く頷いた。だが、典子の首には謎の黒い痣のようなものが浮き上がっており、海底ではゴジラの肉片が徐々に再生を始めていた[24]。
引用元: Amazon
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デストロイヤの皮膚を焼いて逃走させる威力はすごいけど、あのキャッチコピーの「ゴジラ、死す」のキャッチコピーいらないかな
2000年に公開されたならこの題名もうなづけるけど1999年に公開されたからちょっとおかしいかな
あれは、マイクラの着火剤みたいなものならもう少しかっこよく吐いたほうがいい
日本産ゴジラと違い、マグロを主食としていたりミサイルを撃たれただけで死んで卵を生むとかぜんぜん違うからこの点数かな。
目つき悪すぎ
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ゴジラ-1.0
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ゴジラシリーズ > ゴジラ-1.0
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ゴジラ-1.0
GODZILLA MINUS ONE
ゴジラ-1.0ロゴ
監督 山崎貴
脚本 山崎貴
製作
阿部豪
守屋圭一郎
製作総指揮
臼井央
阿部秀司
出演者
神木隆之介
浜辺美波
山田裕貴
青木崇高
吉岡秀隆
安藤サクラ
佐々木蔵之介
音楽
佐藤直紀
伊福部昭
撮影 柴崎幸三
編集 宮島竜治
制作会社
TOHOスタジオ
ROBOT
製作会社 東宝
配給 日本の旗アメリカ合衆国の旗 東宝
公開
日本の旗 2023年11月3日
アメリカ合衆国の旗 2023年12月1日
上映時間 125分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
製作費 15億円以下[1]
興行収入
日本の旗76.5億円[2]
アメリカ合衆国の旗$56,418,793[要出典]
世界の旗$115,857,413[要出典]
前作 GODZILLA (アニメ映画)(アニメ映画を含む)
シン・ゴジラ(実写映画のみ)
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『ゴジラ-1.0』(ゴジラ マイナスワン[3][4]、英題: GODZILLA MINUS ONE[5])は、2023年11月3日に公開された日本の特撮映画。TOHOスタジオとROBOT製作。戦後間もない日本を舞台に描かれる、山崎貴、VFX・脚本・監督による[6]怪獣映画である[5]。略称「マイゴジ」[7]。タイトルに付けられた-1.0には、「戦後、無(ゼロ)になった日本へ追い打ちをかけるように現れたゴジラがこの国を負(マイナス)に叩き落とす」という意味がある[8]。
『ゴジラ』シリーズでは37作目であり、国産の実写作品としては通算30作目[6][9]。『シン・ゴジラ』以来7年ぶりとなり、ゴジラ生誕70周年記念作品と位置付けられている[10][11][12][13][注釈 1]。
第96回アカデミー賞では邦画・アジア映画史上初の視覚効果賞を受賞した[13]。また歴代のアカデミー賞の中で、監督として視覚効果賞を受賞したのは『2001年宇宙の旅』のスタンリー・キューブリックのみであり、山崎監督は55年ぶり、史上2人目の受賞監督となった[14][15][13]。映画史に名を残す錚々たる大作が並ぶ視覚効果賞の歴代受賞作と比較して、製作費が15億円以下とかなりの低予算[注釈 2][注釈 3]であることもアメリカの映画関係者を驚かせた[16]。
あらすじ
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)。敷島浩一は特攻へ向かう途中で零戦が故障したと偽り、小笠原諸島に位置する大戸島の守備隊基地に着陸し、海岸で深海魚の死骸が浮かび上がるのを見る。その日の夜、島の伝説で語り継がれる、全長15メートルほどの恐竜のような生物「呉爾羅(ゴジラ)」が基地を襲撃する。敷島は零戦に装着されている20ミリ砲でゴジラを撃てと整備兵の橘宗作に懇願されるが、恐怖にかられて撃てなかったうえ、敷島と橘以外の整備兵たちはゴジラを攻撃したため、敵と見なされて殺害される。橘は仲間たちの遺体を前にして敷島を罵倒する[注釈 4]。
同年冬、東京へ帰ってきた敷島は、隣家の太田澄子から空襲によって両親が亡くなったことを伝えられる。敷島は闇市で、彼同様に空襲で親を失った女性・大石典子と、彼女が空襲の最中見知らぬ他人から託されたという赤ん坊の明子に出会い、成り行きで共同生活を始める。敷島は米軍が戦争中に残した機雷の撤去作業の仕事に就き、特設掃海艇・新生丸艇長の秋津淸治、乗組員の水島四郎、元技術士官の野田健治と出会う。生活にも余裕ができ、敷島は秋津らに典子との正式な結婚を勧められるが、戦争とゴジラによるトラウマを抱える敷島は関係の進展に踏み出せない。
1946年(昭和21年)夏。ビキニ環礁で行われた米軍による核実験「クロスロード作戦」により、その近海にいたゴジラは被曝し、全身を焼き尽くされてしまうが、それによってゴジラの細胞内でエラーが発生し、その全身は体高50.1メートル[19]までに巨大化する。
1947年(昭和22年)5月。赤ん坊だった明子は歩けるほどに成長し、典子は自立するために銀座で働き始めていた。一方、巨大化したゴジラは活動範囲を広げ、日本を新たな縄張りとすべく日本へ進行する。そして米国の艦船や潜水艦が謎の被害に遭う事態が発生し、発生場所の時期などから巨大生物(ゴジラ)が日本に向かっていると推測し、米国防省は日本政府に打診する[注釈 5]。
敷島たちは作業中の日本近海にゴジラが現れていることを知り、新生丸で足止めをしろという命令が出る。敷島たちは回収した機雷や船の機銃でゴジラに応戦し、ゴジラ口内に入った機雷を誘爆させるが、頭部の一部を失っても即座に回復してしまいまったく歯が立たない。シンガポールから帰ってきた接収艦の重巡洋艦「高雄」も主砲で応戦するが、ゴジラが口から放った熱線によって高雄は海の藻屑となる。病院で目覚めた敷島は野田から、ゴジラが東京に向かっていること、そして政府が混乱を恐れてゴジラのことを国民に伏せていることを聞かされる。
翌日、ゴジラは東京湾の防衛ラインを越えて上陸し、家屋を蹂躙しながら品川を経て典子の働く銀座へ進撃する。敷島は典子のもとへ駆けつけ、一緒に逃げる。日本政府も国会議事堂前に配備した戦車隊で応戦するが、ゴジラの熱線によって国会議事堂もろとも蒸発する。その余波で発生した爆風から典子はとっさに敷島を建物の陰に押し込んで助けた結果、自身は爆風に吹き飛ばされて行方不明になってしまう。熱線はゴジラ自身の口周りをも損傷させており、ゴジラはその傷を癒すべく海に戻る。
熱線の着弾地点では、蒸発した国会議事堂跡のクレーターを中心に半径6キロメートルが灰塵と化して政治機能が麻痺したほか、ゴジラの肉片から発する放射能によって各地域が汚染され、死傷者数および行方不明者数は約3万人に破壊された家屋が2万戸以上と、ゴジラによって東京は壊滅的な被害を受けたが[21]、駐留連合国軍はソ連軍を刺激する恐れがあるとして軍事行動を避けていた。そのため、占領下で独自の軍隊を持たない日本は民間人のみでゴジラに立ち向かうこととなる。典子の死に苦悶する敷島を、野田はゴジラ打倒の作戦に誘う。
駆逐艦「雪風」の元艦長である堀田辰雄がリーダーとなって開かれた「巨大生物對策説明会」には、新生丸のメンバーの他、東洋バルーンの社員や、元海軍の人間が多数集まった。そこで野田が、ゴジラが完治して日本に再上陸するのに約10日経かると推測し、部分的なダメージでは即座に回復するため、第一次攻撃としてゴジラを相模トラフまでおびき寄せてフロンガスの泡で全身を包み込むことで浮力を奪い[注釈 6]、深海まで一気に沈めて急激な水圧の変化を与え、それでも倒せなかった場合、予備策として第二次攻撃として深海まで沈めたボンベに東洋バルーンの大きな浮袋[注釈 7]を装着し、それを膨らませて海底から海上まで一気に引き揚げ、凄まじい減圧を与えてゴジラの身体全体にダメージを与えて完全に息の根を止めるという「海神作戦(わだつみさくせん)」を立案する。
一方、敷島は野田たちとは別に万が一の事態に備えて戦闘機による誘導役を進言し、本来本土決戦に配備される予定だったが終戦の混乱で忘れ去られ、それゆえに解体処分から免れていた機体「震電」を発見する。震電には高度な技能を用いての整備が必要であるため、敷島は橘にわざとでたらめの手紙を出して誘き寄せ、再会する。怒った橘は敷島を殴って去ろうとするが、彼は掃海艇でゴジラと戦った時の経験を橘に語り、震電に爆弾を搭載して口内への特攻で刺し違えてでもゴジラを倒すと説明する。その覚悟を汲んだ橘は、震電の整備を引き受ける[注釈 8]。
それぞれゴジラ上陸に備えて準備していたが、予想より早くゴジラは防衛ラインを越えて相模湾から上陸すると、相模湾の逗子軍港を半壊させて鎌倉の町村を蹂躙していく。作戦は頓挫したと思われたその時、敷島が整備を完了した震電に乗って現れ、ゴジラを誘導する。ゴジラは震電を追いかけるべく沖合に進路を変え、日本の存亡をかけた海神作戦は開始された。
駆逐艦「雪風」「響」「夕風」「欅」からなる駆逐艦群がゴジラを取り囲むように周回し、フロンガスのボンベとバルーンが取り付けられたワイヤーを括り付け、第一次攻撃のゴジラ沈降は成功した。だが、それでも死ななかったことで、予備策の第二次攻撃のバルーンによる急浮上を行ったが、途中でゴジラにバルーンを食い破られてしまう。堀田は繋がっているワイヤーを利用してゴジラの引き揚げを指示するも、駆逐艦数隻程度のパワーではどうにもならない。そこへ腕の骨折と戦争経験がないことを理由に海神作戦への参加を拒否された水島が多数のタグボートを率いて姿を見せ、ゴジラの引き揚げに力を貸す。そうして第二次攻撃を成功させたもののゴジラは死んでおらず、さらには駆逐艦群に向けて熱線の発射準備に入る。誰もが万事休すかと思われたその時、敷島がゴジラの口内めがけて特攻を敢行、ゴジラの頭部は大爆発して海へ沈んでいく。野田たちが敷島の死を嘆いている中、空から彼がパラシュートで降下してくる。橘は敷島を死なせないよう、震電に脱出装置[注釈 9]を取り付けており、敷島は震電がゴジラの口内に飛び込む寸前で脱出に成功していたのだった。
帰港した敷島たちが勝利の余韻に浸っていたところ、澄子が家に一通の電報が届けられたことを知らせる。それは典子が一命を取り止めて病院にいることを知らせるものであり、敷島は明子を伴って急行した病院にて典子との再会を果たす。包帯姿の典子は「戦争は終わりましたか?」と優しく敷島に尋ね、彼は力強く頷いた。だが、典子の首には謎の黒い痣のようなものが浮き上がっており、海底ではゴジラの肉片が徐々に再生を始めていた[24]。