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1位熊本城
2位大阪城
豊臣秀吉の権力の強さをしのぶ立派な城。桜の季節は見事!
壮観さ。大きな石垣の石は瀬戸内海の島々から運ばれたそう。当時の築城技術の見事さ。関西の中心に君臨している威圧感がある。敷地が広くて、歩くのが大変。しかし、さくらの季節はどこから撮影しても、堂々と君臨しながらも当時の日本の中心としての誇らしい建造物だ。
3位元離宮二条城
二条城(にじょうじょう)は、京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある江戸時代に造営された日本の城である。正式名称は元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう)。京都市街の中にある平城で、後述する足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがあるが、現在見られるものは徳川氏によるものである。また、後の近代において二条城は京都府の府庁や皇室の離宮として使用された。城内全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に「古都京都の文化財」として登録されている。 徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終わりの場所でもある。また、後の近代においては大正天皇即位の儀式である即位礼の饗宴場として使用された場所となった。
日本的な建造物で安らぎます。
戦闘的な城の作りとちがうし、高層建造物でもないので、おちつきと親しみを感じる。また、徳川家も皇室も使用されていたという歴史の変化を知らされる。
1603年、徳川家康が築城し江戸幕府が請け負った。明治17年から昭和14年までは皇室に使用されていた。
4位首里城
沖縄独特の彩色と形。
沖縄の心のよりどころ。昨年火事からの復興と回復を祈ります。どちらかというと、政務も行われた中心だが、祈りの場所としても使われていたようです。対戦的な城のイメージとはちがう。何世紀もの間、支那や日本との関係を平和的につないで存続してきた琉球王朝の文化と歴史の象徴の建造物。早く修復を願います。
5位小倉城
美しい。
細川家が築城したので、のちに肥後城主になられた親近感あり。大きくはないが、清々しい建物で、細川家の優雅な日本的建築觀が反映されている。吉野の竹林院と庭園、熊本の水前寺「成趣園」はいまだに、細川幽斎公などの実力がしのばれている。
400年前、加藤清正公築城の代表作で熊本のシンボル。
熊本大地震後、熊本市民のシンボルの熊本城のあちこちが崩れ始めた。明治初期の西南の役で天守閣が炎上し、戦後、昭和に市民たちの寄進からスタートして天守閣が再建。今回の地震後の熊本城天守閣再建のため、市民は一枚瓦城主となって寄付し、まず昨年度再び街の中心に天守閣が立ち上がり、市民も復興への希望が強められた。まだまだ大変、20年後まで。