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戦国時代大好き小学生さんの「戦国武将・大名ランキング」

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更新日: 2023/10/06

戦国時代大好き小学生

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ランキング結果

1真田幸村(真田信繁)

真田幸村(真田信繁)

真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。

家康の恐れたもう1人の男

幸村は昌幸と共に関ヶ原の戦いで西軍につき、第二次上田合戦にて徳川秀忠の軍勢を足止めしました。しかし、関ヶ原本戦で西軍は敗北、幸村、昌幸は死罪とされます。徳川一の猛将、本多忠勝と真田信之によって除名されましたが、大阪の陣では家康に対抗すべく、豊臣方に付きました。おかしいと思いませんか?命を助けていただいたのに、何故豊臣についたのか。僕はそれはいくら本多忠勝に除名された深い恩があったとしたも豊臣家に義があり、家康が悪であると言うことを伝えたかったのだと思います。

隠れたヤバいヤツ

馬場信春は長篠設楽原の戦いで僅か700ほどの兵で6000の佐久間信盛隊を打ち破りました。コレはもう強いとしか言えません。さらに少数の兵で武田勝頼の撤退にも大きく貢献しました。マジでヤバいヤツ。

2加藤清正

加藤清正

加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。肥後熊本藩初代藩主。通称は虎之助(とらのすけ)。熊本などでは現代でも清正公さん(せいしょうこうさん、せいしょこさん)と呼ばれて親しまれている(清正公信仰)。 豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国の大名となる。秀吉没後は徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍に荷担して活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて熊本藩主になった。明治43年(1910年)に従三位を追贈されている。

結局は豊臣を滅ぼすのに加担した人

加藤清正ファンの人は気分が悪くなってしまう可能性があります。
関ヶ原では西軍側の人です。加藤清正は豊臣家の重臣でしたが、「三成が嫌い」という理由で天下を横取りしようとしている家康に加担しました。(そもそも何だよ…三成が嫌いだから討つって…)結局最後は豊臣秀頼を守れずに死んでしまった人です。そもそも加藤清正と福島正則が関ヶ原の合戦の発端ではないかと僕は思っています。加藤清正ファンで気分を悪くしてしまった人はすみません。

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