山本 勘助(やまもと かんすけ)は、戦国時代の武将。
『甲陽軍鑑』においては名を勘助、諱を晴幸、出家後道鬼を称したという。勘助の諱・出家号については文書上からは確認されていなかったが、近年、沼津山本家文書「御証文之覚」「道鬼ヨリ某迄四代相続仕候覚」により、江戸時代段階で山本菅助子孫が諱を「晴幸」、出家号を「道鬼」と認識していたことは確認された。ただし「晴幸」の諱については、明治25年(1892年)に星野恒が「武田晴信(信玄)が家臣に対し室町将軍足利義晴の偏諱である「晴」字を与えることは社会通念上ありえなかった」とも指摘している。
醜いじゃが・・・
醜いじゃが、儀式のサポートをしてくれたのじゃ。キツツキ戦法という闘い方も教わってもらったんじゃが、第4回の川中島の戦いで上杉謙信に見破られて死んじゃったのじゃ・・・