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大輔さんの「戦国武将最強ランキング」

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更新日: 2020/09/29

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ランキング結果

1本多忠勝

本多忠勝

本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。通称は平八郎(へいはちろう)。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。

徳川最強の武将

勇将の多い三河武士の中でも際立つのが、この本多忠勝ですね。56回も戦に参加し、一度も怪我を負っていないというのですから、その強さは大したもの。愛槍蜻蛉切も有名ですし、強さと豪胆さを兼ね備えた戦国最強武将だと思います。

2後藤又兵衛(後藤基次)

後藤又兵衛(後藤基次)

後藤 基次(ごとう もとつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。黒田氏、豊臣氏の家臣。通称は後藤 又兵衛(ごとう またべえ)。黒田孝高(如水)、黒田長政、豊臣秀頼に仕え、数多くの軍功を挙げ、江戸時代に、「黒田二十四騎」「黒田八虎」、また大坂の陣の講談や軍記物語などで豪傑な英雄として描かれ、「大坂城五人衆」の一人に数えられた。

後藤基次欲しさに大名同士が戦になりかけた程の武勇

後藤基次といえば、大阪夏の陣で真田幸村と並んで比類なき働きをしたと言われた戦国武将です。実際に一騎打ち等を見たわけではありませんが、過去の経歴から相当な強さだと思います。例えば黒田家に仕えていた頃、その手柄と能力によって小大名同様の所領を与えられていました。また黒田如水の死後は出奔したのですが、後藤基次欲しさに細川家と黒田家で戦になりかけた程。徳川家が仲裁して戦にはなりませんでしたが、それだけ優れた武勇をほこった武将だというわけです。

3島津義弘

島津義弘

島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主。島津氏18代当主・島津忠恒(のち家久に改名)の父。後に剃髪して惟新斎[注釈 2]と号したため、惟新公(いしんこう)との敬称でも呼ばれた。武勇の誉れ高く「鬼島津」の異名で知られ、戦国(安土桃山)時代でも屈指の猛将として当時から有名であった。日本では「鬼島津」の名で呼ばれ親しまれている。

まさかの敵中突破を成功させた

関ヶ原での戦いの最終局面で島津義弘が成功させた島津の退き口、これが凄いですね。もちろんこれは捨て奸という兵士達の捨て身の攻撃あってのものですが、たった300人で敵中突破を果たしたわけですから、島津義弘本人が弱いわけないと思います。

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