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転生したら藤堂高虎だった件さんの「戦国武将最強ランキング」

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更新日: 2024/02/24

転生したら藤堂高虎だった件

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ランキング結果

1藤堂高虎

藤堂高虎

藤堂 高虎(とうどう たかとら)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。伊予今治藩主、後に伊勢津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。 何度も主君を変えた戦国武将として知られる。築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城・二条城などを築城し黒田孝高、加藤清正とともに名人として知られる。高虎の築城は、石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴があり、石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。

時代の流れを読める出世上手

主君をたくさん変えながらも、その主君全てに忠義を尽くしているところがかっこいい。また、高虎がつくった城もすごい!!!
そして高虎の黒漆塗唐冠形兜(うさ耳の)も好き

1加藤清正

加藤清正

加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。肥後熊本藩初代藩主。通称は虎之助(とらのすけ)。熊本などでは現代でも清正公さん(せいしょうこうさん、せいしょこさん)と呼ばれて親しまれている(清正公信仰)。 豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国の大名となる。秀吉没後は徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍に荷担して活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて熊本藩主になった。明治43年(1910年)に従三位を追贈されている。

異国にも名の知れた豊臣の忠義の武将

豊臣家の分断派の筆頭。朝鮮出兵では槍一本でトラを退治したという(鉄砲とも)他にも2番隊として活躍。また、築城の名手としても有名で熊本城や肥後名護屋城などを築城

毛利一の名将

とにもかくにも強い

3片倉景綱

片倉景綱

片倉 景綱(かたくら かげつな)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。伊達家の家臣。伊達政宗の近習となり、のち軍師的役割を務めたとされる。仙台藩片倉氏の初代で、景綱の通称小十郎(こじゅうろう)は代々の当主が踏襲して名乗るようになった。兜は、神符八日月前立筋兜。

独眼竜政宗の右目

政宗の小姓に抜擢された時から、失明した政宗の右目のような活躍をしている。例えば、「人取橋の戦い」では政宗の兜をかぶり身代わりとなったり、政宗が小田原に遅刻した際も景綱により秀吉に許されるなど(ちなみにこの時、伊達成実は徹底抗戦を主張したとか)政宗のピンチには、必ず景綱が救っている

4山県昌景

山県昌景

山県 昌景(やまがた まさかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の武将。甲斐武田氏の家臣で、譜代家老衆。後代には武田四天王の一人に数えられる。

武田の最強武将

武田の最強と恐れられた騎馬隊の中でも、武具を全て赤でそめた
「武田の赤備え」を率いた武将

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