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今回は、そうした疑似体験を感じることが出来る洋画を選んでみました。まるで、一緒に犯罪の現場に立ち会っているかのような、まるで一緒に追っ手から逃げているかのような、まるで一緒にパートナーと濃密な時間を過ごしているかのような――そんな映画をセレクトしました。
それから、外国映画の定義とは何か?ということにも思いをはせることが出来る作品を選んでみましたので、自分の観てきた映画体験を思い出してもらえればと思います。
ランキング結果
2位カプリコン・1
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引用元: Amazon
制作年 | 1977年 |
---|---|
上映時間 | 129分 |
監督 | ピーター・ハイアムズ |
メインキャスト | エリオット・グールド(ロバート・コールフィールド)、ジェームズ・ブローリン(チャールズ・ブルーベーカー)、ブレンダ・ヴァッカロ(ブルーベーカー夫人)、サム・ウォーターストン(ピーター・ウィリス)、O・J・シンプソン(ジョン・ウォーカー)ほか |
主題歌・挿入歌 | - |
公式サイト | - |
全世界をだます空前の陰謀
アポロ計画陰謀説を聞いたことがあるでしょうか?
1969年にアポロ11号で人類が月に降り立ったのが真っ赤なウソだという説です。意外に真剣に信じる人が近年は増えたと言われていますが、その元ネタになった映画が『カプリコン・1』です。
人類初の火星有人飛行へ向かうための宇宙船カプリコン・1の発射寸前、宇宙飛行士たちが降ろされ、無人のまま打ち上げられてしまいます。宇宙船に不具合があったものの、中止すれば計画が中止に追い込まれる可能性があったことから、政府ぐるみで大がかりなペテンを打つことになったのです。
宇宙飛行士たちは隔離され、やがて火星から無人で帰還した宇宙船にそっと乗り込んで火星に行ってきたかのように見せかけることになります。そのために火星のセットと着陸船のレプリカが作られ、テレビ中継までもやってのけようというのです。全てが上手く行ったかに見えましたが、宇宙船が大気圏突入時に燃え尽きてしまいます。宇宙飛行士たちは一転、生きていることが許されない存在となるのです。
物語を聞いただけで、面白いに違いないと思わせる映画がありますが、この作品はまさにそんな1本です。全世界を相手にだまそうというのですから、いつの間にか観客は、陰謀をしかけた側の視点になってしまい、いつバレるかとドキドキしながら見守ることになります。
映画の後半は、砂漠を舞台にした宇宙飛行士たちの逃亡劇となり、陰謀に気づいた新聞記者が妨害されながらも、彼らを助けようとします。複葉機とヘリ2機がおりなす迫力満点のスカイ・チェイスは、撮影にあたってカメラマンを宙吊りにして飛んだというだけあって、今見ても色あせていません。
3位愛のコリーダ
日本で撮られたフランス映画が描く究極の愛
監督もキャストも日本人で、撮影は京都。にもかかわらず、この作品は日本映画ではなく、外国映画です。その理由はフランスの映画会社がお金を出して製作したから。
日本のヌーヴェルヴァーグの異名を持ち、実験的な映画の数々を1960年代に作ってきた大島渚監督が、フランスの映画化会社から持ちかけられて選んだ企画が阿部定事件でした。
これは1936年に阿部定(阿部サダヲの芸名の由来です)が愛人男性の首を絞めて殺し、彼の性器を切り取って逃走した日本の犯罪史上に残る事件です。 有名なこの事件は、それまでも2度にわたって映画化されていただけに、フツーに作るだけでは目新しくはありません。そこで大島はアクロバティックな方法を編み出します。フランスではポルノが解禁されたことから、『愛のコリーダ』では性行為を演技ではなく実際に撮影しようとしたのです。これは〈外国映画〉だからできることでした。
もちろん、日本で性行為そのものを何も隠さずに撮影した場合、フィルムを現像する際に現像所が摘発される可能性がありました。そこで大島は日本で撮影を終えたフィルムは未現像のままフランスへ送り、現地で現像と編集を行って映画を完成させました。この方法を取ることで日本の刑法をすり抜けたのです。この作品は日本でも上映されましたが、そのときは外国映画が輸入されるのと同じ手順を取り、税関で審査され、日本の法律に則ってボカシだらけの映画として公開されました。しかし、海外ではノーカットで上映されています。
こうしたスキャンダラスな面ばかりが話題になりがちですが、映画としても素晴らしく、性以外の要素は一切入れずに、男と女が出会い、身体を重ね合うというシンプルな、それでいて根源的なむきだしの愛が美しく描かれており、公開時もリバイバル上映された時も女性客が多かったのが納得できる名作です。
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観客と主人公を一体化させる恐るべき映画
映画館で映画を観ている間は、様々な不自由があります。上映前のマナーCMにもあるように、上映中にしゃべったり、携帯を見たりすると他の観客の迷惑になるので控えることは当然として、それ以前に自宅でDVDや配信で観るときと違って一時静止も出来ないし、トイレも極力上映前に済ませておくべきなので、上映中は基本的に立ち上がることも出来ません。つまり、身動きできない状況に置かれています。
アルフレッド・ヒッチコックという生涯にサスペンス映画ばかりを撮ってきた名監督は、観客を映画と一体化させる恐るべきアイデアを生み出しました。足を骨折して身動きできない男を主人公に、退屈した彼が自室から近所の様子をながめるというシチュエーションだけで映画を作ってしまいました。それが『裏窓』です。
セットの中に主人公の部屋から見える近所のアパートを全て作り、どの部屋で誰が何をやっているかを一目でわかるようにしました。
そんな中で主人公はひとつの疑惑を持ちます。向かいのアパートに住む男が妻を殺したのではないか? しかし、直接殺害する瞬間を見たわけではありません。妻の姿が見えなくなり、夫の怪しげな行動にそう疑いを持ち続けるのです。彼を監視するために望遠レンズ付きのカメラや双眼鏡で部屋をのぞき、遂には証拠を掴むため、恋人に彼の部屋へと侵入させます。
映画を観ている間、座席から立てない観客は主人公と同じ立場となり、手に汗握ることになります。疑惑の男がのぞかれていることに気づいて、カメラ目線になったとき、主人公と同時に観客も飛び上がりそうになります。実に見事な悪魔的なまでに映画と観客を一体化させる手法です。
それにしても面白いのは、この映画が描く〈正義感〉です。終盤近くまで、向かいのアパートの男が本当に妻を殺したのかどうかは明らかになりません。つまり、証拠もないのに犯人と決めつけた主人公が彼を監視し、部屋に侵入したり、郵便物を開封したりするのですが、もし違っていたら、主人公こそが犯罪者です。
正義の暴走が完全犯罪を防ぐこともできれば、罪もない市民を陥れることもできてしまいます。主人公と一体化した観客も、正義と犯罪の間で揺れ動くことになるのですから、まさに身も心も映画と一心同体になってしまうのです。これほど恐ろしくも面白い映画体験はめったに味わうことが出来ないでしょう。