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1位ARB
2位シーナ&ロケッツ

引用元: タレントデータバンク
プロフィール | 1978年、鮎川誠、シーナを中心に結成され、『涙のハイウエイ』でデビュー。2013年11月で結成35年を迎える。1979年、細野晴臣プロデュース、YMOとのコラボによるアルバム『真空パック』を発表、『ユー・メイ・ドリーム』の大ヒットでTVにも登場する。初ステージ以来、一切のブランクがなく活動し続け、数多くのアーティストに影響を与えてきたレジェンド・ロックバンドとして唯一無二の存在を誇る。シーナのパワフルなボーカルとダイナミックなステージ、鮎川誠のマーシャル直結の1969年製ブラック・レスポールサウンドは鮎川誠が65歳を迎えた2013年も衰えるどころか、ますます凄みを増す。彼らのステージでのハッピーでスリリングなバイブスとパンク・ロック・ブルースに深く根ざした音楽性は日本のロック・アイコンとして多方面で敬愛され、世代を越えて熱狂的な支持を受ける。海外のアーティストとの親交も多く、2013年1月のWILKO JOHNSONとの2度目の東京セッション、ロンドンセッションをはじめ、Elvis Costello、Bo Diddley、RAMONES、IGGY POP、Steve Douglas(The Ronettes、Phil Spector他)、Chris Spedding(Roxy Music)、Elliott Murphy、Solomon Burke、Albert King、The Rolling Stonesのツアーメンバーであるホーン・セクション/The Uptown Hornsらとライヴで共演・アルバムを共作。N.YのCBGBでは過去2度出演し、2度ともSOLD OUTを記録する。ジョン・レノン&オノヨーコの写真で知られる世界的に有名なNYCのフォトグラファー、Bob Gruenの写真集には"日本の最高峰パンクバンド"として幾度も取り上げられる。『ユー・メイ・ドリーム』『レイジー・クレイジー・ブルース』『ハッピーハウス』『レモンティ』『ビールスカプセル』、2012年映画化された『I'M FLASH』や阿久悠作詞による『ロックの好きなベイビー抱いて』等数々の代表曲を発表し、次世代のバンドから次々とカバーされる。『#1』『真空パック』、『JAPANIK』をはじめ、アメリカのA&Mレコード、フランスのスカイドッグ・レコード他海外でもアルバムをリリース。国内外含め35枚のアルバム・16枚のシングルをリリース。(2013年10月時点)鮎川とシーナは、映画俳優、ファッション・モデル、執筆、CM・広告出演、ラジオDJなど幅広い分野でも活躍。 |
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代表作品 | CM『UNIQLO「PARKA1000」』鮎川・シーナ出演(2009)
CDアルバム『JAPANIK』デビュー30周年記念アルバム(2008) 著書『200CDロックンロール』鮎川監修(2005) |
3位BARBEE BOYS

引用元: Amazon
BARBEE BOYS(バービーボーイズ)は、ツインボーカル編成の男女5人組で構成される日本のロックバンド。 1982年に結成され、1984年にデビューした後に1992年に解散。その後幾度か再結成された後、2018年より本格的に再始動。
3位THE BLUE HEARTS

引用元: Amazon
THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)は、日本のパンク・ロックバンド。1985年結成。1987年にメジャーデビューし、1980年代後半から1990年代前半にかけて活動し、1995年に解散した。ヒット曲は「リンダリンダ」「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」など[1]。コード進行は3、4コードを主としたシンプルなものが多いにもかかわらず、オリジナリティ溢れる楽曲を多く作り上げた。
4位THE STREET SLIDERS

引用元: Amazon
THE STREET SLIDERS(ザ・ストリート・スライダーズ)は、日本のロックンロール・バンド。結成は1980年。福生のUZUをホームに横田基地のキャンプ等でライブを重ね、「リトル・ストーンズ」と称され人気を博す。1983年にはEPICソニーからデビュー。ブルースを基調にした音楽性と、時代に媚びることのない姿勢は、2000年の解散までぶれることがなかった。なお、メンバーは20年間不動であった。
5位爆風スランプ
5位THE ROOSTERS

引用元: Amazon
ザ・ルースターズ(THE ROOSTERS、THE ROOSTERZ)は、日本のロックバンド。1979年に結成、2004年に解散。2009年頃より、不定期的に活動。
5位シャ乱Q

引用元: タレントデータバンク
プロフィール | 1988年12月、地元大阪で3つのアマチュアバンド「シャッターズ(まこと、しゅう所属)」「乱(つんく♂、しゅう、たいせい所属)」「QP(はたけ所属)」のメンバーが集まり、「乱」というバンド名のままライブに向けて始動。パートは、つんく(Vo)、はたけ(G)、まこと(Dr)、たいせい(Key)、しゅう(Ba)。1989年1月、「シャ乱Q」としての大阪バナナホールで初ライブを行う(まことは、実家が火事にあったため欠席)。まことの復帰を機に、以前各々が属していたバンド名を取り「シャ乱Q」と命名。積極的にイベントに出演し、夏には初の大阪城ストリートライブ(通称「城天」)を実施。1990年、OFFICEシャ乱Qを設立。数組の関西のアマチュアバンドが集結した「すっぽんファミリー」が発足。毎週日曜日に行われる「城天」は定例化し、大阪の新しい文化を築き上げる。1991年、単独ライブで関西のライブハウス動員記録を次々と塗り替える。9月、第2回NHK-BSヤングバトル大阪代表に選ばれる。10月『ラーメン大好き小池さんの唄』でヤマハバンドエクスプロージョンに日本大会出場。BMGビクター(現BMG JAPAN)賞、フォーライフレコード賞を同時受賞。12月、第2回NHK-BSヤングバトル全国大会に『ラーメン大好き小池さんの唄』で出場しグランプリ受賞。全国応募総数3404組のうち1位となる。1992年1月、NHK朝の連続小説ドラマ『女は度胸』にバンドで出演。翌月、アマチュアとして最後のライブ。7月22日、シングル『18ヶ月/お嬢様』でBMGビクターよりメジャーデビュー。1993年9月、ファンクラブ「CLUB QUE」発足。1994年の4thシングル『上・京・物・語』は、初の10万枚突破のスマッシュヒットとなる(オリコンチャート最高47位、有線最高15位)。次第にライブ活動が全国化していく。同年リリースの6thシングル『シングルベッド』は、1995年に入ってから初のミリオンセラーとなる。1995年7thシングル『ズルい女』もヒットを飛ばし、一躍音楽シーンの最前線に躍り出る。また、5thアルバム『勝負師(ギャンブラー)』は、アルバムでの初のミリオンセラーとなる。同年12月、『ズルい女』ではその年の数々の賞を総なめ。1996年10月、ステージ衣装盗難事件勃発。被害総額は2500万円相当。同年12月、『涙の影』で第29回全日本有線放送大賞グランプリ、『いいわけ』で第38回日本レコード大賞優秀作品賞&編曲賞を受賞。1998年、テレビ東京『ASAYAN』にてシャ乱Q女性ロックボーカルオーディションを開始。同年12月、しゅうがシャ乱Qを脱退。2000年1月、シャ乱Qオフィシャルウェブサイト正式オープン。2000年12月、活動一時凍結・休憩を発表。2005年、つんく♂の夏のディナーショーにて堀内孝雄氏よりシャ乱Q再活動を促され、再始動を決意。12月、つんく♂冬のディナーショーの本番中に、シャ乱Qの再始動を発表。2006年4月、品川アクアスタジアムにて記者会見を行う。再始動と同時に「たいせー」は「たいせい」に改名。2008年、バンド結成20周年を記念して、武道館にて一夜限りのライブを開催。 |
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代表作品 | シングル『上・京・物・語』(1994)
シングル『シングルベッド』(1994) シングル『ズルい女』(1994) |
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魂こがして
16歳でARBと出会い、今でも聴いています