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ひろさんの「戦国武将・大名ランキング」

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更新日: 2020/08/30

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ランキング結果

1上杉謙信

上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。

戦国無双

戦術家として戦は当代随一
北条か武田のどちらかとは味方になっておけば良かったのに武に頼りすぎたかも
あと領土欲も持たないと将軍も助けられない

2立花宗茂

立花宗茂

立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。大友氏の一族で、重臣。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将は他にもいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である。 なお、宗茂は晩年の名乗りであり、幾度も名前を変えているが、本項では便宜的に宗茂で統一する。

スモール謙信

スケールは劣るが戦術家としては謙信の次
忠義は紹運と道雪譲り
武将や大名としての才覚は本多忠勝とは比べ物にならない

3大谷吉継

大谷吉継

大谷 吉継(おおたに よしつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。豊臣秀吉の家臣で、越前敦賀城主。名前については「吉隆」ともされるが、現存する古文書で「吉隆」と署名する文書は確認できず、いずれも「吉継」である。通称は紀之介、号は白頭。官途は刑部少輔で、大谷刑部(おおたに ぎょうぶ)の通称でも知られる。業病を患い、眼疾のために失明して関ヶ原の戦いでは輿に乗って軍の指揮を執ったが、小早川秀秋らの離反で敗戦すると家臣・湯浅隆貞の介錯で切腹して死去した。

義理深い

自分の家や家臣を守るために東軍につくべきだった
でも西軍についたので人気がある

4島津家久

No Image

島津 家久(しまづ いえひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。島津氏の家臣。島津貴久の四男。母は本田丹波守親康の女。

島津最強

他の三兄弟とは異母兄弟で身分は劣るが、その戦上手は島津で随一
その一人息子は義弘を関ヶ原から撤退させるために討ち死にしてしまった。家久こそ島津を九州第一の勢力にした功労者

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