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こーじーさんの「三国志の武将最強ランキング」

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更新日: 2020/04/13

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ランキング結果

1呂布

呂布

呂 布(りょ ふ、? - 建安3年12月24日癸酉〔199年2月7日〕)は、中国後漢末期の武将・群雄。字は奉先。并州五原郡九原県(現在の内モンゴル自治区包頭市)の人。『三国志』巻七 呂布伝、『後漢書』列伝六十五 呂布伝などに記録がある。 丁原・董卓に仕え、抜群の軍事力を誇った。董卓との亀裂から彼を殺した後天下を失い、放浪するも最期は曹操との戦いに敗れ、殺された。

圧倒的戦闘力

単純な武力で一位は?と問われれば、呂布だと即答します。虎牢関での戦いでの活躍は凄かったですし、vs曹操では三国志でも最強格の武将である許褚と典韋の二人係での攻撃すら寄せ付けなかったのはさすがの一言。間違いなく最強でしょう。

2張飛

張飛

張 飛(ちょう ひ、拼音: Zhāng Fēi ヂャン フェイ、生年不詳 - 章武元年(221年)6月)は、中国後漢末期から三国時代の蜀の将軍、政治家。字は益徳。幽州涿郡(現在の河北省涿州市)の人。『三国志』蜀志に伝がある。封号は新亭侯、のち西郷侯。諡は桓侯。子は張苞・張紹・敬哀皇后張氏・張皇后。孫は張遵。 後漢末の群雄の1人である劉備の挙兵に当初から付き従った人物で、その人並み外れた勇猛さは下述の通り中原に轟いた。その武勇は後世にも称えられ、小説『三国志演義』を始めとした創作作品でも多くの脚色を加えて取り上げられており、現在でも中国や日本を中心にその人柄を大いに親しまれている。

最強呂布とまともに戦えた武将

三国志最強武将は呂布・そしてその呂布相手にまともに戦えた武将のは、張飛ぐらいというのが二位の理由です。関羽も何合か打ち合いましたが、それは張飛vs呂布の横やりという形でしたし、まともに呂布のプレッシャーを受け止めらたこと、三国志最強の一角である関羽が自分より強いと評価したことのもその理由です。

3馬超

馬超

馬 超(ば ちょう、拼音: Mǎ Chāo マ チャオ、熹平5年(176年) - 章武2年(222年))は、中国後漢末期から三国時代にかけての蜀漢の将軍。字は孟起(もうき)。諡は威侯。司隷扶風郡茂陵県の人。『三国志』蜀志に伝がある。 後漢の名将馬援の子孫の出身。祖父は馬平(子碩)。父は馬騰。弟は馬休・馬鉄。従弟は馬岱。妻は楊氏・董氏(側室)。子は馬秋・馬承。娘は劉理の妻。 父が羌族との混血であったため(『典略』)、この血を引いている馬超も漢王朝の支配を受けない民族からの信望が厚かった。関中の独立軍閥の長の座を父から引き継ぎ、曹操に服属していたが、後に韓遂と共に曹操に反乱を起こして敗れた。一族も勢力も失い流浪した末、益州の劉備の下に身を寄せ、厚遇を受けた。

張飛相手と互角

張飛相手に一騎打ちをし、長時間戦って決着つかずという互角の戦いを演じた馬超が3位です。なら張飛や張飛と互角の戦いを演じた呂布との優劣はどうつける?とも感じたのですが、これは年齢差を考慮しました。馬超と戦った時の張飛はかなりの年齢で戦闘力は下降気味だったと思います。対して呂布は張飛の若い頃、即ち全盛期だったわけなので馬超は少し劣っていたかもしれません。

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