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1位呂布
2位張飛
最強呂布とまともに戦えた武将
三国志最強武将は呂布・そしてその呂布相手にまともに戦えた武将のは、張飛ぐらいというのが二位の理由です。関羽も何合か打ち合いましたが、それは張飛vs呂布の横やりという形でしたし、まともに呂布のプレッシャーを受け止めらたこと、三国志最強の一角である関羽が自分より強いと評価したことのもその理由です。
3位馬超
馬 超(ば ちょう、拼音: Mǎ Chāo マ チャオ、熹平5年(176年) - 章武2年(222年))は、中国後漢末期から三国時代にかけての蜀漢の将軍。字は孟起(もうき)。諡は威侯。司隷扶風郡茂陵県の人。『三国志』蜀志に伝がある。 後漢の名将馬援の子孫の出身。祖父は馬平(子碩)。父は馬騰。弟は馬休・馬鉄。従弟は馬岱。妻は楊氏・董氏(側室)。子は馬秋・馬承。娘は劉理の妻。 父が羌族との混血であったため(『典略』)、この血を引いている馬超も漢王朝の支配を受けない民族からの信望が厚かった。関中の独立軍閥の長の座を父から引き継ぎ、曹操に服属していたが、後に韓遂と共に曹操に反乱を起こして敗れた。一族も勢力も失い流浪した末、益州の劉備の下に身を寄せ、厚遇を受けた。
張飛相手と互角
張飛相手に一騎打ちをし、長時間戦って決着つかずという互角の戦いを演じた馬超が3位です。なら張飛や張飛と互角の戦いを演じた呂布との優劣はどうつける?とも感じたのですが、これは年齢差を考慮しました。馬超と戦った時の張飛はかなりの年齢で戦闘力は下降気味だったと思います。対して呂布は張飛の若い頃、即ち全盛期だったわけなので馬超は少し劣っていたかもしれません。
圧倒的戦闘力
単純な武力で一位は?と問われれば、呂布だと即答します。虎牢関での戦いでの活躍は凄かったですし、vs曹操では三国志でも最強格の武将である許褚と典韋の二人係での攻撃すら寄せ付けなかったのはさすがの一言。間違いなく最強でしょう。