みんなのランキング

【投票結果 1~79位】戦国時代の軍師 最強ランキング!歴史上最も優れた智将は?

斎藤道三前田利家本多正信鍋島直茂

このお題は投票により総合ランキングが決定

ランクイン数79
投票参加者数904
投票数4,631

みんなの投票で「戦国時代の軍師最強ランキング」を決定!その智謀と策略で、戦国武将を陰ながら支えた歴代の名軍師たち。型破りの発想で豊臣秀吉の軍師として活躍した「黒田官兵衛」をはじめ、イケメンだったとされる天才軍師「竹中半兵衛」や、「我が眼の如し」と全幅の信頼を寄せられた武田信玄の家臣「真田昌幸」、謎に包まれた伝説の軍師「山本勘助」など、数多くの名軍師が戦国時代に誕生しました。あなたが最も優れていると考える、戦国時代の軍師(智将)に投票してください。

最終更新日: 2025/08/02

注目のユーザー

ランキングの順位について

ランキングの順位は、ユーザーの投票によって決まります。「4つのボタン」または「ランキングを作成・編集する」から、投票対象のアイテムに1〜100の点数をつけることで、ランキング結果に影響を与える投票を行うことができます。

順位の決まり方・不正投票について

ランキング結果

\男女別・年代別などのランキングも見てみよう/

1位から見る

21斎藤道三

64.3(58人が評価)
斎藤道三

斎藤 道三/利政(さいとう どうさん/としまさ)は、戦国時代の武将。美濃の戦国大名。道三流斎藤氏初代当主。名としては、長井規秀(新九郎)・長井秀龍(新九郎)・斎藤利政(新九郎)・道三などが伝わるが、書状などに現れているのは、藤原(長井)規秀・斎藤利政・道三などのみである。美濃の蝮(マムシ)という綽名でも知られる。 (引用元: Wikipedia)

もっと見る

優秀なのは間違いないが他の武将たちと比べると...

勿論実力は確かだし歴史上での活躍も申し分ないんですが、実は主家のっとりが親子二代だったり、息子の人心掌握ミスって殺されたりとちょっと拍子抜けな部分が目立つ気がしました。とはいえ優秀なのに間違いはなく、普通価はなんか違うと思ったのでぎりぎり高評価の65点をつけさせていただきました。

とらとらさん

1位(65点)の評価

報告

長良川の戦い

義龍に負けちゃったのは兵の数が少ないから。 兵の数が多ければ勝てたかもしれない。

🍎🥝🍑🍉🥥さん

1位(100点)の評価

報告

22太田道灌

64.3(31人が評価)

最強

名将の中の名将

ジャイアンのバーカさん

1位(100点)の評価

報告

戦国前夜の名軍師

知る人ぞ知る名軍師、名将、名文化人だと思います。暗殺さえされなければ戦国時代に大きな影響をもたらしたと思います。

やーやんさん

1位(100点)の評価

報告

23前田利家

64.2(21人が評価)
前田利家

前田 利家(まえだ としいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。加賀藩主前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。俗に加賀百万石の祖とも称されるが、前田家が百万石を超えるのは利長・利常ら利家の息子たちの世代からである。(引用元: Wikipedia)

もっと見る

24本多正信

64.1(64人が評価)
本多正信

本多 正信(ほんだ まさのぶ)は、戦国時代から江戸時代前期の武将・大名。徳川家康の家臣で、江戸幕府の老中。相模国玉縄藩主。正信系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。 徳川家康が抱える鷹匠から身を興したが、三河一向一揆に与して鎮圧後に三河を出奔。一時松永久秀に仕えた後に数年から10年以上の間を流浪の身として送る。後に許されて家康のもとへ帰参し、江戸開府後は家康、次いで2代将軍・徳川秀忠の側近として幕政の中枢にあり権勢を振るった。 (引用元: Wikipedia)

もっと見る

家康と対等に渡り合った

家臣との上下関係を重んじた徳川家康が唯一、友として台頭に戦略を語り合うほど信頼を得ていた優秀な軍師だった。

サトシ

サトシさん

5位(70点)の評価

報告

新着・注目

まだまだ採点・コメントが少ない候補です。ご存知の場合はぜひ採点をお願いします!

注目
注目
注目
注目
注目
注目
注目
注目
注目

25鍋島直茂

63.5(48人が評価)
鍋島直茂

鍋島 直茂(なべしま なおしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、実質的には大名。戦国大名・龍造寺隆信の家老。肥前佐賀藩の藩祖。(引用元: Wikipedia)

もっと見る

九州筆頭軍師

九州三強の1つ龍造寺家を支え、現在まで家名を維持した知勇兼備の名将。

信長、秀吉、家康のそれぞれの時代を家を滅ぼさず戦い抜き、幕末まで残る鍋島家の礎を築いた手腕は高く評価できる。

葉隠武士さん

1位(90点)の評価

報告

葉隠の精神

龍造寺の家を守りつつ自分の家も栄させ秀吉や家康から一目置かれる立場になった先見性はすごいと思う

ゴンスケ

ゴンスケさん

2位(85点)の評価

報告

鍋島直茂 はすごい

大友も 苦しませる 強さ 頭が良い

クラフトさん

1位(100点)の評価

報告

26蒲生氏郷

63.4(50人が評価)
蒲生氏郷

蒲生 氏郷(がもう うじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。 蒲生賢秀の三男(嫡男)。初名は賦秀(やすひで)または教秀(のりひで)。キリシタン大名であり、洗礼名はレオン(またはレオ)。子に蒲生秀行。 (引用元: Wikipedia)

もっと見る

sannkyo-

蒲生氏郷は、伊達政宗と言い争ったとき、
豊臣秀吉も下で、石田三成などの
重心との人質生活でいろいろなことを学び
おつむだけでは、なく戦闘で指揮をとったりしていることが、
桁違いにすごすぎる

ああああさん

1位(100点)の評価

報告

27黒田長政

63.3(46人が評価)

28最上義光

63.1(29人が評価)

知力もやばい

頭いい

たっつさん

1位(100点)の評価

報告

知力もやばい

頭いい

たっつさん

1位(100点)の評価

報告

29丹羽長秀

62.9(22人が評価)

30徳川家康

62.5(65人が評価)
徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康(まつだいら もとやす)。戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開府し征夷大将軍となる。三英傑のひとり。(引用元: Wikipedia)

もっと見る

天下の頭

小さな時に石合戦の勝敗を人数が少ない方がかつと予想し、その桃李になった。
姉川の戦いで信長を救う奇策を思いついた天才。
長久手の戦いで秀吉を背後から追いかけて発砲したという大軍の秀吉への勝利のきっかけを掴める作戦を思いついた。大砲と掘り埋め作戦によって勢いで自分に勝った真田勢に大勝。

ゲスト1さん

1位(100点)の評価

報告

天下の頭

家康はとても頭が良い。姉川の戦い・長篠の戦い・長久手の戦い・関ヶ原の戦い・大阪の陣などの年をとった家康が本気で作戦を考えた合戦は全て勝っている。これこそ天下の頭なのじゃ。

ゲスト1さん

1位(100点)の評価

報告

天下の頭

1575年以降の家康自身が参加した合戦は家康は負けたことがない。
特に大阪の陣では大砲作戦と騙しとり堀埋め作戦を合わせて豊臣と真田に勝った。家康の作戦は完璧である。

ゲスト1さん

1位(100点)の評価

報告
コメントをもっと読む

31柴田勝家

62.5(47人が評価)
柴田勝家

柴田 勝家(しばた かついえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。 (引用元: Wikipedia)

もっと見る

32藤堂高虎

61.6(28人が評価)
藤堂高虎

藤堂 高虎(とうどう たかとら)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。伊予今治藩主、後に伊勢津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。 何度も主君を変えた戦国武将として知られる。築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城・二条城などを築城し黒田孝高、加藤清正とともに名人として知られる。高虎の築城は、石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴があり、石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。 (引用元: Wikipedia)

もっと見る

エグい

高虎は、何度も主君をかえて、家康に信頼されなさそうだけど、大坂の陣の戦いぶりで、家康の信頼を勝ち取った!

YUPONの剣力さん

1位(80点)の評価

報告

神、神、神、神、神

藤堂高虎は、宇和島城を建てたり江戸城の設計をしたこともあるすごい武将なんですよ。

藤堂高虎大好き人間さん

1位(100点)の評価

報告

関ヶ原

とにかくすごいので100点にしました。

🍎🥝🍑🍉🥥さん

1位(100点)の評価

報告

33武田信繁

61.5(18人が評価)

34細川幽斎

61.3(22人が評価)

35池田恒興

59.9(20人が評価)

36宇佐美定満

59.8(27人が評価)
宇佐美定満

宇佐美 定満(うさみ さだみつ)は、戦国時代の武将。越後国(現在の新潟県)において琵琶島城(現在の柏崎市元城町付近)に勢力を持っていたとされている。伊豆国宇佐美荘(現在の静岡県伊東市宇佐美)を発祥とし、越後守護上杉家の重臣を務めた宇佐美氏出身。(引用元: Wikipedia)

もっと見る

37前田慶次

59.4(15人が評価)
前田慶次

前田 利益(まえだ とします)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将。小説や漫画の影響で、現在では前田慶次/慶次郎の通称で知られるが、宗兵衛、利益、利太、利大、利貞など複数の名前を用いており、道号でも、穀蔵院飄戸斎(こくぞういん ひょっとこさい)や穀蔵院忽之斎(こくぞういん ひょつとさい)、または龍砕軒不便斎(りゅうさいけん ふべんさい)と時期によって名乗りが異なる。(引用元: Wikipedia)

もっと見る

たくましい心を持った教養人

細川幽斎の歌集に慶次興行の連歌会に幽斎が出席した事が記され、松永貞徳の連歌の記録にも幽斎と慶次の交流が記されている。

直江兼続主催の詩歌会に出席し、兼続から本を借りていたり等、兼続とは同好の士

幽斎と交流があり、兼続と同好の士になる事が出来る教養人なのが窺える。

上杉家に仕官した際に上杉家の分限帳に組外衆の筆頭と記され、共に従軍した配下からは「心たくましく猛将」と評された。

そして、上杉家の猛将安田能元と詩歌会で同席したり、二人の親交の深さを伝える連歌が残り、相通じるものがあり、互いに文武を認め合う仲だったと思われる。

Abさん

1位(100点)の評価

報告

38石田三成

59.2(100人が評価)
石田三成

石田 三成(いしだ みつなり)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。佐和山城主。豊臣政権の奉行として活動し、五奉行のうちの一人となる。豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織したが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑された。 (引用元: Wikipedia)

もっと見る

最強のナンバー2

石田三成は若さゆえの滅びだと思います。戦術、外交、統治能力、教養のどれもがハイレベルな武将です。また、義にも熱く信頼のおける人物です。まさにナンバー2に相応しい武将です。後10年生きたらと思うと残念で仕方がない人物です。

槇村

槇村さん

1位(100点)の評価

報告

ナンバー2

豊臣家に仕えた天才
関ケ原で徳川家康と戦った

山本勘助⚔さん

1位(100点)の評価

報告

39宇喜多直家

58.7(20人が評価)

40三好長慶

58.7(20人が評価)

近畿の覇者はこの人しかいない

後継問題以外欠点らしい欠点がないです。芸道や政治的に幕府を支えてもしくは支配することに抜かりなかった。
松永久秀などの偉人に支えて貰って中世の偉人としては最高

あじーさん

1位(100点)の評価

報告

41

41位~60位を見る

このランキングに関連しているタグ

ライフスタイルの新着記事

おすすめのランキング

あわせて読みたいランキング

ページ内ジャンプ