最上義光の詳細情報
生没年 | 1546年〜1614年 |
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最上義光がランクインしているランキング
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あまりに可愛そすぎる
娘を豊臣秀次に奪われ、さらには豊臣秀次事件で秀吉に娘を殺され、ああ、なんてかわいそうなんだ。豊臣家め、許せない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
徳川方につくのも納得だわ。
srさんの評価
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鮭一筋
最上義光は鮭が好きな武将として知られています。
戦では庄内の大宝寺氏、陸奥の伊達氏、越後の上杉氏と争っていました。
ま、庄内が欲しい理由は鮭のためなんだけどね。
まぁ誰よりも強いことは絶対絶対絶対絶対変わらない。
だって伊達より強いもん。
なんちゃって
歴史マニア(中1)なぜ50点なんだ。
ゲスト1なぜ伊達の次なんだ。
10000000000000000000000000000000点でもいいぐらいなのに。
たっつさんの評価
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奥州の大名
奥州の大名として名を馳せ、伊達の次の名門と呼ばれる武将。しかし、実力的には伊達の上を行っているとんでもない武将です。近隣の戦国大名との関係性が非常に強く、それを利用し、同盟を結ぶことで後ろを守るなどの大きなアドバンテージを持っています。それ故に、家臣からも慕われ、人望が厚い人物でもあるのです。しかし、彼の本質は謀略の天才。北条早雲タイプですね。上山城の戦いで、城主の上山満兼の重臣である里見義近と里見民部を謀反に導き、満兼を討伐させることに成功。さらには、大宝寺義氏と戦った尾浦城の変でも、重臣の東禅寺義長を謀反に導き、義氏を討伐。その後、義長を傘下に収めることで、実質的な支配力を手に入れました。さらに、織田信長への接近を図るなど、外交によって有利性を得ようとした白鳥長久に対しては、まず、長久の娘を嫡男である義康の正室に迎え入れることで油断させ、次に自身が重病にかかったと嘘をつく。そして、長久に対して、「死後、義康の後見をお願いしたい」と弱気な手紙を出して見舞いに来させ、事前に仕組んであった刀で義久を暗殺。大規模な戦いになれば兵の犠牲も招くことを考慮した上に、人望が厚いことを利用した非常に高度な戦術であり、義光以外でできるとすれば、北条早雲だけでしょう。また、関ヶ原の戦いでは、直江兼続率いる約2万人の上杉軍と、約7000人の兵で戦い、互角に戦うなどの戦強さもあり、東軍が勝利したことを知った直江兼続ら上杉軍が撤退した際も、伊達政宗と協力して上杉軍を追い詰めている。この戦功により、出羽国と庄内地方の所有を認められた義光は、約57万石の大大名となった。よって義光は最強。
歴史マニア(中2)さんの評価