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パピコさんの「戦国武将・大名ランキング」

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更新日: 2020/10/26

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ランキング結果

1大谷吉継

大谷吉継

大谷 吉継(おおたに よしつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。豊臣秀吉の家臣で、越前敦賀城主。名前については「吉隆」ともされるが、現存する古文書で「吉隆」と署名する文書は確認できず、いずれも「吉継」である。通称は紀之介、号は白頭。官途は刑部少輔で、大谷刑部(おおたに ぎょうぶ)の通称でも知られる。業病を患い、眼疾のために失明して関ヶ原の戦いでは輿に乗って軍の指揮を執ったが、小早川秀秋らの離反で敗戦すると家臣・湯浅隆貞の介錯で切腹して死去した。

義を尽くした武将

大谷吉継は、関ヶ原の戦いにて、味方の裏切りによって苦境に立たされた西軍において、最後まで何とか抗おうとした武将です。それは、西軍の実質的なリーダーである、石田三成への、義の気持ちによるものでした。その気持ちは、現代においてもきっと必要とされるもので、見習わなければならない存在だと思います。

2明智光秀

明智光秀

明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。戦国大名・織田信長に見出されて重臣に取り立てられるが、本能寺の変を起こして主君を自害させた。直後に中国大返しにより戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れる。一説では、落ちていく途中、小栗栖(現・京都府京都市伏見区小栗栖)において落ち武者狩りで殺害されたとも、致命傷を受けて自害したともされる。

今なお議論を呼ぶ武将

明智光秀といえば、本能寺の変の首謀者として知られています。果たして本人の意思だったのか、それとも誰かにそそのかされたのか、今でも様々な議論を呼んでいます。彼の気持ちを、様々なゲーム作品、映画、漫画などを通して、想像するのはとても楽しく、魅力に溢れた武将だと思います。

3加藤清正

加藤清正

加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。肥後熊本藩初代藩主。通称は虎之助(とらのすけ)。熊本などでは現代でも清正公さん(せいしょうこうさん、せいしょこさん)と呼ばれて親しまれている(清正公信仰)。 豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国の大名となる。秀吉没後は徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍に荷担して活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて熊本藩主になった。明治43年(1910年)に従三位を追贈されている。

地元の有名武将

私の地元である、熊本県を代表する武将です。熊本城を建築したことでも知られています。熊本に移る前は、石田三成、福島正則らと共に、豊臣秀吉子飼の将として活躍しており、戦国時代全体を見ても有名です。そんな武将が自分の地元の武将であることを、誇りに思います。

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