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あんこさんの「戦国武将・大名ランキング」

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更新日: 2020/08/11

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ランキング結果

1加藤清正

加藤清正

加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。肥後熊本藩初代藩主。通称は虎之助(とらのすけ)。熊本などでは現代でも清正公さん(せいしょうこうさん、せいしょこさん)と呼ばれて親しまれている(清正公信仰)。 豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国の大名となる。秀吉没後は徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍に荷担して活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて熊本藩主になった。明治43年(1910年)に従三位を追贈されている。

猛将っぷりがハンパないから

王道じゃない人を選びたかったのもありますが、単純に好きだからです。あの秀吉が面倒見て育てたという、期待の星、加藤清正。朝鮮での虎退治の逸話は有名ですよね。虎を手で倒すなんて只者じゃない所業をやってのける猛将っぷりに惚れました。その上城作りまで一流と文句なしです。

2前田慶次

前田慶次

前田 利益(まえだ とします)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将。小説や漫画の影響で、現在では前田慶次/慶次郎の通称で知られるが、宗兵衛、利益、利太、利大、利貞など複数の名前を用いており、道号でも、穀蔵院飄戸斎(こくぞういん ひょっとこさい)や穀蔵院忽之斎(こくぞういん ひょつとさい)、または龍砕軒不便斎(りゅうさいけん ふべんさい)と時期によって名乗りが異なる。

天下御免の歌舞伎者

あの秀吉に歌舞伎御免を許されるなんてなかなかの人物ですよね。ド派手で常識を超えた大物、前田慶次!しかもイケメンで背が高く、とっても腕っぷしが強いとか。きっと女性に大人気だったことでしょう。私、漫画も持ってます。大好きです。

3織田信長

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが、天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、天下人。

誰もが知ってる戦国大名だからと

やっぱり戦国武将と言えばこの人は外せないでしょう。
斬新な考えを持ち、常識に囚われないところが本当に面白い。黒人の召使いを雇ったり、象を城に連れてくるなど、何とも視点がグローバルかつ幅広いところに魅力を感じます。王道な方達の中では一番好きです。

4本多忠勝

本多忠勝

本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。通称は平八郎(へいはちろう)。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。

徳川四天王の1人、伝説の男だから

徳川家に仕えた家臣で、伝説になるくらい強かったから。特に有名なのがトンボ斬り。槍に当たったトンボが真っ二つに切れるなんて、最初聞いた時はどういう事?と目がテンになりました。織田信長や豊田秀吉からも一目置かれていたという強さがかっこいいです。

5黒田官兵衛(黒田孝高)

黒田官兵衛(黒田孝高)

黒田 孝高(くろだ よしたか、旧字体:黑田 孝高)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった。 諱(実名)は初め祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、のち孝高といったが、一般には通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)として広く知られる。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。竹中重治(半兵衛)とともに秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。

地元出身の人物だから

同じ県の出身人物だから。大河ドラマにもなりましたが、とても頭の良い策士っぷりがかっこいいと思います。結局頭の良さから恐れられ疎まれ九州に追いやらてしまったのは残念でしたが、それだけ聡明だったのだと思いますね。すごい人が同じ県で嬉しくて選びました。

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