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みんみんさんの「戦国武将・大名ランキング」

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更新日: 2023/08/29

みんみん

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ランキング結果

1織田信長

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが、天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、天下人。

戦国時代と言ったら織田信長‼︎

信長は「海道一の弓取り」といわれた今川義元をあっけなく討ち取ってみせたからとってもすごいです。

小松姫の婿選び

小松姫を養女にした家康は将来有望な青年武将を集めて婿選びをさせました。平伏する青年たちの髷をつかんで頭をのぞき込んでいます。女にこんなことされて青年たちは腹立たしく思いますが、相手の実父は本多忠勝、養父は徳川家康です。誰も何も言えませんでした。その中に真田信之がいて小松姫の手を鉄扇で打ち据え「無礼であろう!」と言います。
小松姫は信之を婿にして、彼に嫁ぐことを決めたという逸話が残っています。

2浅井長政

浅井長政

浅井 長政(あざいながまさ、旧字体表記:淺井 長政)は、戦国時代の武将。北近江の戦国大名。浅井氏の3代目にして最後の当主。浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、北東部に勢力をもっていた。妻の兄・織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏の全盛期を築いたが、後に信長と決裂して織田軍との戦いに敗れて自害。浅井氏は滅亡した。官位は贈従二位中納言(徳川家光の外祖父にあたるため、死後の寛永9年(1632年)9月15日に贈られた)。

可哀想😢

上杉謙信が後継者を指名していれば御館の乱もなかったはず。
27歳という若さでこの世を旅立つなんて・・・・・・子供・道満丸も斬られているからとっても悲しかったと思います。

カッコイイ❤️

小田原攻めの時に波切丸を手に出陣し、敵に斬り込み、翻弄しました。
大坂夏の陣のあと、豊臣秀頼の遺児・天秀尼とともに出家し、鎌倉の東慶寺に入りました。
ちなみに私は小3です。
つまらない自己紹介ですみません🙏

手先が器用‼︎

忠興は、百人一首の札を手作りして、細川ガラシャに贈っています。その札は扇の形をして、金箔が張られていました。
この札は数枚だけ現存しています。

5上杉謙信

上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。

上杉謙信の名前

上杉謙信の幼名は虎千代、15歳で元服して、長尾景虎、関東管領になり、上杉政虎、上杉輝虎、上杉謙信となる。

5斎藤道三

斎藤道三

斎藤 道三/利政(さいとう どうさん/としまさ)は、戦国時代の武将。美濃の戦国大名。道三流斎藤氏初代当主。名としては、長井規秀(新九郎)・長井秀龍(新九郎)・斎藤利政(新九郎)・道三などが伝わるが、書状などに現れているのは、藤原(長井)規秀・斎藤利政・道三などのみである。美濃の蝮(マムシ)という綽名でも知られる。

6明智光秀

明智光秀

明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。戦国大名・織田信長に見出されて重臣に取り立てられるが、本能寺の変を起こして主君を自害させた。直後に中国大返しにより戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れる。一説では、落ちていく途中、小栗栖(現・京都府京都市伏見区小栗栖)において落ち武者狩りで殺害されたとも、致命傷を受けて自害したともされる。

織田信長を殺すな!!!!!!!!!!!

明智光秀絶対に許さない!!!!!!!!!!!!!!!!!

ひどい

父•斎藤道三を討つとは・・・・・・
しかも異母弟(斎藤義龍は土岐頼芸の子供だったという説がありますが、ここでは斎藤道三の子供ということにさせていただきます)の孫四郎と喜平次も殺しています。当たり前ですが、現代では逮捕されることです。

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