みんなのランキング

春日左近丞さんの「戦国武将・大名ランキング」

0 0
更新日: 2026/10/05

春日左近丞

ランキング結果をSNSでシェアしよう

Twitterでシェア

ランキング結果

逃げ弾正

農民(豪農)出身で、最初は上の人に冷たい目で見られていたのに、侍大将になったのはすごいと思います
戦では撤退が難しいと言われているのを逃げ切ったのがやはりかっこいい。
犠牲を弔ったりしているところが良いです。やはり農民ならではの心情だと自分は思います。

1位山本勘助

山本勘助

山本 勘助(やまもと かんすけ)は、戦国時代の武将。 『甲陽軍鑑』においては名を勘助、諱を晴幸、出家後道鬼を称したという。勘助の諱・出家号については文書上からは確認されていなかったが、近年、沼津山本家文書「御証文之覚」「道鬼ヨリ某迄四代相続仕候覚」により、江戸時代段階で山本菅助子孫が諱を「晴幸」、出家号を「道鬼」と認識していたことは確認された。ただし「晴幸」の諱については、明治25年(1892年)に星野恒が「武田晴信(信玄)が家臣に対し室町将軍足利義晴の偏諱である「晴」字を与えることは社会通念上ありえなかった」とも指摘している。

信玄の天才軍師

勘助はやっぱりかっこいいと思います。軍師ではないのかも思いますが超賢いと思います。
高坂昌信と山本勘助が自分の中では一番好き!!!
順位が低いので、もっと愛されてほしいです!
小学5年生でまだ知識は薄いですがよろしくお願いします。

忠誠がすごい

父は裏切りの天才(?)だというのに、秀家は忠誠を尽くしたのがすごい!
岡山に住んでいるので大河になってほしいとは思うのですが…多分地味になると思います。

3位島清興(島左近)

島清興(島左近)

島 清興(嶋 清興、しま きよおき)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。筒井氏、石田三成の家臣。通称は左近で、一般には島 左近(しま さこん)の名で広く知られる。実名は勝猛(かつたけ)などの俗称が広まってはいるが、自筆文書においても「清興」の花押を使用しており、正確には清興であると考えられる。

三成を影から支えた

三成に過ぎたるものは2つあり、島の左近に佐和山のと言われるほどなのですごいと思います。
しかも関ヶ原で戦った黒田兵は左近を恐れてさらに夢に左近が出てきたそうなのでやはり武に優れていたのかなと思います。

武田家の大黒柱

信繁が信玄の全てを担っていたそうなので戦死した後、信玄が全てを担っい、ストレスが原因の1つで病気になったと言われています。
信虎にも愛されたので人柄も良く、文武両道なのでしょう。

織田信長を支えた重臣

織田信長はあまり好きではないのですがこの人だけは大好きです。
鉄砲の名手で茶人なところが良いです。
進むも滝川、退くも滝川と呼ばれているのも魅力です。
攻めるのも、退くのも判断が難しいと思うのでやはり賢いのかなと自分では思います

6位真田幸村(真田信繁)

真田幸村(真田信繁)

真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。

さすがは日本一の兵

幸村は忠義を尽くしてるのがすごい!長い月日が経っても良く忠義心がキープできたなと思います。
祖父から幸村まで有能な人ばっかりいる真田家。かっこいい!

6位大谷吉継

大谷吉継

大谷 吉継(おおたに よしつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。豊臣秀吉の家臣で、越前敦賀城主。名前については「吉隆」ともされるが、現存する古文書で「吉隆」と署名する文書は確認できず、いずれも「吉継」である。通称は紀之介、号は白頭。官途は刑部少輔で、大谷刑部(おおたに ぎょうぶ)の通称でも知られる。業病を患い、眼疾のために失明して関ヶ原の戦いでは輿に乗って軍の指揮を執ったが、小早川秀秋らの離反で敗戦すると家臣・湯浅隆貞の介錯で切腹して死去した。

6位石田三成

石田三成

石田 三成(いしだ みつなり)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。佐和山城主。豊臣政権の奉行として活動し、五奉行のうちの一人となる。豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織したが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑された。

6位島津豊久

No Image

島津 豊久(しまづ とよひさ)は、安土桃山時代の武将。島津氏の家臣。島津家久の息子。

6位片倉景綱

片倉景綱

片倉 景綱(かたくら かげつな)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。伊達家の家臣。伊達政宗の近習となり、のち軍師的役割を務めたとされる。仙台藩片倉氏の初代で、景綱の通称小十郎(こじゅうろう)は代々の当主が踏襲して名乗るようになった。兜は、神符八日月前立筋兜。

忠義がやはりすごい

政宗は天下の野望を燃やしても何回も成果がでないのに最後まで忠誠をつくしたのがすごいです。

6位北条氏政

北条氏政

北条 氏政(ほうじょう うじまさ)は、戦国時代の相模国の戦国大名・武将。後北条氏の第4代当主。父は北条氏康、母は今川氏親の娘・瑞渓院。子に北条氏直など。正室の黄梅院は武田信玄の娘で、武田義信や武田勝頼とは義兄弟にあたる。通称は新九郎で、官位の左京大夫または相模守も同様に称した。号は截流斎。

もう少し

氏政は民に優しい政治をしていたので、評価はもう少し高くても良いかなと思います

7位立花誾千代

立花誾千代

立花誾千代(たちばな ぎんちよ、永禄12年8月13日(1569年9月23日) - 慶長7年10月17日(1602年11月30日))は、戦国時代の女性武将。

すごい

朝鮮出兵の時戦国の女好き・秀吉が誾千代と会う時、秀吉は誾千代の女の服装を着て美しい誾千代に期待したんですが現れたのは鉢巻や襷掛けをして薙刀を持って現れたそうです。

苦手

山本勘助を討ち取った武将といわれています。
それに自分は勘助も大好きなので討ち取ってなかったら興味は湧いていたと思います。

9位伊達政宗

伊達政宗

伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主。近世大名としては仙台藩の初代藩主である。幼名梵天丸。没後は法名から貞山公と尊称された。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世「独眼竜」の異名がある。

何回も狙ってるのに

天下を狙っていて何度も策を練ってるのに度々マイナスされるのが嫌ですね。
しかも大内定綱との戦いで老若男女皆殺ししたことを叔父に自慢してるのがもう最悪!何か狙いがあったとは思うんですが嫌です!

このランキングに共感できましたか?

総合ランキングをみる

ライフスタイルの新着記事

おすすめのランキング

あわせて読みたいランキング