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1位真田幸村(真田信繁)
真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。
2位武田信玄
上杉謙信の一撃を受け止める力
武田信玄と聞くと信玄堤や甲州金、天下の知将などのイメージがありますが、一番有名なのは川中島の戦いです。昔から上杉謙信と信玄の一騎打ちが有名で小説や映像でも描かれてきました。よくよく考えると馬上から振り下ろす力を鉄扇で受け止めるなんて結構力がいる気がするんです。それもとっさにです。信玄も必死だったかもしれませんが、もし本当だとすれば相当の反射神経と武勇です。
3位本多忠勝
家康といえば本多忠勝
家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八という有名な言葉が残っているほど知名度が高い人物で、人生で57度の合戦に挑み一度も傷を受けなかったのが凄いです。参加したのは天下の武田信玄や関ヶ原合戦といった有名なものばかりで、徳川家の主要な戦いにすべて参加している豪傑です。彼の武勇には敵味方を問わず称賛したとの事。
家康を追い詰めた男
大河ドラマの主人公になったことでも話題の人物で、知将と恐れられた昌幸から学んだ戦術と激しい領地争いのなかで培われたハングリー精神を持った人物です。大坂の陣の時には家康は、その才幹を恐れて50万石で召し抱えると申し出て引き抜こうとした逸話がある程です。もちろん当時にそのような余分な土地が余っている筈もなく、空手形に笑って幸村も拒否をしました。いざ戦いが始まると真田丸での攻防や茶臼山の家康本陣へと迫るなど、余裕を見せていた徳川方の肝を冷やす活躍をしました。絶対的な勝者に対して必死にあらがう戦士としてカッコよさがあります。