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戦国マニア君さんの「戦国武将最強ランキング」

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更新日: 2021/07/14

戦国マニア君

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ランキング結果

1上杉謙信

上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。

心も強い

上杉謙信は、ただたんに武田氏と戦うのではなく、
村上義清などの大名を守りながら戦っていました。
もちろん戦い面でも強いですが心も強い大名だと言えます。

異次元の強さ

可児才蔵は、森長可の家臣だったときに14の首を取りました。
それはすごすぎて疑われるほどの量。
しかもちゃんと証拠まで残してある。頭の良さも強い戦国武将です。

3竹中重治(竹中半兵衛)

竹中重治(竹中半兵衛)

竹中 重治(たけなか しげはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初名は重虎、のちに重治。通称は半兵衛(はんべえ)。父は竹中重元、弟に重矩。子に重門。従弟に竹中重利(府内藩初代藩主)。 羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の参謀として活躍し、黒田孝高(黒田官兵衛)とともに「両兵衛」「二兵衛」と称された。しかし、軍功に関する逸話や美談の多くは後世の創作によるものと見られ、史実上の実像が不明瞭な人物である。

稲葉山城をすぐ落とす強さ

竹中半兵衛は、少しの兵で守りの型かった稲葉山城を落としてしまいました。
これは織田信長でも苦戦するほどです。
豊臣秀吉(当時 木下 藤吉朗 秀吉)に仕えてからも、半兵衛の作戦で
稲葉山城を落としました。

4真田幸村(真田信繁)

真田幸村(真田信繁)

真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。

勇気と忠義の男

真田幸村は、関ケ原の戦いのときに徳川家忠の8000の兵を上田城の
2000の兵で足止めをしました。
大坂冬の陣では真田丸を作って徳川軍を大阪城に入らせないようにしました。 ですが、豊臣 秀頼が、徳川家康の講和条件の「真田丸を壊す」「堀の埋め立て」というのに乗ってしまって、真田幸村が考えた策が壊されました。
そして大坂夏の陣の時は、どんどん散ってった豊臣家臣団の中で、
独り覚悟を決め徳川本陣へと駆け込みました。
それで家康は「もうだめだ」とあきらめるほど追い詰めました。
死んでしまいましたが、勇気と賢さそして忠義のある武将だと言えます。
正直真田幸村が大阪城だけが自分の持ち城で、当主だったら
徳川家康に勝っていたと思います

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