真田幸村(真田信繁)の詳細情報
生没年 | 1567年〜1615年 |
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真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。(引用元: Wikipedia)
真田幸村(真田信繁)がランクインしているランキング
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そこまで強くない
夏の陣では最初の徳川に突撃したのは毛利勝永のうえに,真田十勇士による活躍が大きすぎだった。家康を怖がらせたのは信繁ではなく、真田十勇士だったのである。堀埋め作戦に巻き返せる強い作戦が思いつかず、ただ突撃をするだけだったので討ち取られたということで信繁はそこまで強くないと思います。
まあ、真田丸で前田利長などの軍隊を追い詰めたのは確かだからある程度の強さはあると思いますが。
ゲスト家康さんの評価
正直そんなじゃね?
父(真田昌幸)の名が全国に知れ渡っていたからじゃね?そんなに活躍してる戦なんて少ししかないし、家康を追い詰めたわけでもなくない?倒せてないんだから。強さって言ったって全然戦出てないじゃん。。。だいたい真田十勇士の逸話がほとんどだし。俺は好きじゃない。
YUPONの剣力さんの評価
過大評価されている武将
最初の徳川に突撃したのは毛利勝永だったうえに,真田十勇士による活躍が大きすぎだった。家康を怖がらせたのは信繁ではなく、真田十勇士だったのである。 夏の陣では堀埋め作戦に巻き返せる強い作戦が思いつかず、ただ突撃をするだけだったので討ち取られたということで信繁は強くないと思います。
ゲスト15さんの評価
強くない,過大評価されてる武将
最初の徳川に突撃したのは毛利だったということや,夏の陣では作戦で巻き返すことができず、ただ突撃をするだけだったので討ち取られたということで信繁は強くないと思います。
NO.10さんの評価
過大評価されすぎの人
一度この人の歴史を調べてみて下さい。ほとんど何もしてません。でも、大阪の陣で華々しく散ったのが逆によかったのかもね。人間というのは判官贔屓するものだから。私は理解に苦しんでしまいます。ちなみに真田十勇士は作り話です。
鳥の粉さんの評価
戦国武将一過大評価されている武将
真田幸村が活躍したのは、大阪夏の陣、冬の陣のみ。
「上田城の合戦は父、昌幸の指揮なのでカウントしない」
並み居る歴戦の武将を差し置いて、このランキングは無い。
冬の陣で徳川家康を追い詰めたと言うが、最初に徳川の陣に突撃したのは毛利勝永で、後から来たほぼ無傷の真田勢が突き崩した。
毛利はその前に多勢を正面から散々に打ち破っての突撃で、真田勢が壊滅した後も、城まで見事撤退している。
つまり局地的に徳川家康を追い詰めたのは真田であるが、戦局的に徳川を追い詰めたのは毛利である。
真田丸さんの評価