豊臣秀吉の詳細情報
生没年 | 1537年〜1598年 |
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豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、旧字体: 豐臣 秀吉)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。(引用元: Wikipedia)
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弱すぎる
秀吉が勝ったと思われる戦は全て家臣団が敵に勝ったようなもの。
小田原の時は茶会を楽しんでいるだけだったし、備中高松城の時は黒田官兵衛に堤防造りを命令されて家臣が堤防を造って勝ったようなもの。
秀吉は千利休を切腹させたり朝鮮出兵をして豊臣を衰えさせた。
ゲスト2さんの評価
豊臣を衰えさせた
秀吉の活躍と見られることは全て家臣の手柄である。
戦では秀吉は茶会を楽しんでいるだけで、ただ天下の名前だけ。
本当は秀吉の家臣団が天下を取ったというべきである。
作戦は黒田と竹中、武勇では福島と加藤などと秀吉は活躍していない。
秀吉は千利休を切腹させたり朝鮮へ出兵させたりと豊臣を衰えさせた。
ゲスト2さんの評価
誇り無き天下人
1590年代には2度も明・朝鮮出兵をした。当時の日本とは桁違いの明を甘くみすぎている。官兵衛が思うとうり、秀吉が天下人として日本を治めるのは危険すぎる。
それに、秀吉は戦に関わっていないで、ずっとリラックスしているだけ。
備中高松城の戦いの時は官兵衛が主君なのと同じだし、賤ヶ岳の戦いの時は加藤・福島・長束などだけの活躍で勝ったということになるし、小田原の時は自分だけリラックスしているだけだった。天下というのは名前だけであり、下剋上の世で天下人になれる人材じゃない。
ゲスト9さんの評価
天下人となると危険
織田信雄の配下なはずなのに勝手に自分が偉そうにして天下をな乗り上げ、小田原の時は黒田官兵衛を都合のいいように使って北条氏との約束を破って氏政を切腹させた。
さらに1590年代には2度も明・朝鮮出兵をした。当時の日本とは桁違いの明を甘くみすぎている。官兵衛が思うとうり、秀吉が天下人として日本を治めるのは危険すぎる。
北条にも、黒田にも、実力や地位で相手を無理やり押さえつけた後に自分に都合の良いように・使い捨てのように使うという信長のようなところがあり、非常に嫌いです。
ゲスト7さんの評価
豊臣秀吉のせいで豊臣が滅亡した
豊臣秀吉が豊臣秀次と三条河原の公開処刑なんてしなければ豊臣が滅亡しなかったです。(それでもある可能性がある)
私は小学生(3年生 甲斐姫でも言いました。)だから知っていることが間違いなのかもしれないけれど毎日コメント📝頑張っています。
ただの自己紹介ですみません🙏
みんみんさんの評価
天下を取った後の行動に減点
主君の信長を守ろうと奮戦した金ケ崎の退き口など、いいエピソードも多い一方で、朝鮮出兵や千利休、秀次の切腹など、暴走期に行ったことが
残酷。よって、彼は好きと嫌いの二方に分かれることが多い。
(とはいえども、どんな人物も見方によって変わるもの)
.さんの評価
真の天下人ではない
秀吉は戦に関わっていないで、ずっとリラックスしているだけ。
備中高松城の戦いの時は官兵衛が主君なのと同じだし、賤ヶ岳の戦いの時は加藤・福島・長束などだけの活躍で勝ったということになるし、小田原の時は自分だけリラックスしているだけだった。天下というのは名前だけであり、義は下剋上の世で天下人になれる人材じゃない。 さらに1590年代には2度も明・朝鮮出兵をした。当時の日本とは桁違いの明を甘くみすぎている。それに千利休・豊臣秀次を切腹させていて、官兵衛が思うとうり、秀吉が天下人として日本を治めるのは危険すぎる。名前だけの天下人とはこういうことだ。普通の家臣だったら秀吉を支えてきたことに後悔していたことだろう。
ゲスト15さんの評価
名前だけの天下人
秀吉は戦に関わっていないで、ずっとリラックスしているだけ。
備中高松城の戦いの時は官兵衛が主君なのと同じだし、賤ヶ岳の戦いの時は加藤・福島・長束などだけの活躍で勝ったということになるし、小田原の時は自分だけリラックスしているだけだった。天下というのは名前だけであり、義は下剋上の世で天下人になれる人材じゃない。 さらに1590年代には2度も明・朝鮮出兵をした。当時の日本とは桁違いの明を甘くみすぎている。それに千利休・豊臣秀次を切腹させていて、官兵衛が思うとうり、秀吉が天下人として日本を治めるのは危険すぎる。名前だけの天下人とはこういうことだ。普通の家臣だったら秀吉を支えてきたことに後悔していたことだろう。
ゲスト12さんの評価
誇り無き天下人
1590年代には2度も明・朝鮮出兵をした。当時の日本とは桁違いの明を甘くみすぎている。官兵衛が思うとうり、秀吉が天下人として日本を治めるのは危険すぎる。
それに、秀吉は戦に関わっていないで、ずっとリラックスしているだけ。
備中高松城の戦いの時は官兵衛が主君なのと同じだし、賤ヶ岳の戦いの時は加藤・福島・長束などだけの活躍で勝ったということになるし、小田原の時は自分だけリラックスしているだけだった。天下というのは名前だけであり、下剋上の世で天下人になれる人材じゃない。
ゲスト9さんの評価
名前だけの天下人
秀吉は戦に関わっていないで、ずっとリラックスしているだけ。
備中高松城の戦いの時は官兵衛が主君なのと同じだし、賤ヶ岳の戦いの時は加藤・福島・長束などだけの活躍で勝ったということになるし、小田原の時は自分だけリラックスしているだけだった。天下というのは名前だけであり、義は下剋上の世で天下人になれる人材じゃない。 さらに1590年代には2度も明・朝鮮出兵をした。当時の日本とは桁違いの明を甘くみすぎている。それに千利休・豊臣秀次を切腹させていて、官兵衛が思うとうり、秀吉が天下人として日本を治めるのは危険すぎる。名前だけの天下人とはこういうことだ。普通の家臣だったら秀吉を支えてきたことに後悔していたことだろう。
ゲスト15さんの評価
自分的には好きではない
天下を目指すのはいいんですけど、気になることはありますね。
信長の跡を継いだ?これは、信長は、自分の天下取りの道具しかなかったんですか?(まあでも、尊敬しているとは思いますけど・・・・・・)
朝鮮出兵は?何ほったらかして、自分は死んでしまっているんですか?
(まあ、高齢ですしね・・・・・・多少は秀吉のことも分かります)
こんなに散々いって、秀吉ファンの方、本当にすみません!🙇
MISANさんの評価
終わってる
そもそも活躍できたのは軍師がいてからこそだと思う。黒田官兵衛、竹中半兵衛のおかげで作戦を立てて勝てたと思う。さらに愚行はあれやばい。秀次や家族、関わった人全員皆殺し。ちょっとおかしいと思う。子供ですら打ち首?子供や大人の人生を台無しにして今どんな気持ちなんだろう。前半生の頑張りはすごいと思ったけど偉人としてはあんま認めたくさいかな。人生、命をもっと尊く扱って欲しかった。そしたら点数90はあげられた。
本名をさらしたくないスプラとマリカ大好きかのたんさんの評価
こいつ自体は強くない
正直黒田官兵衛や加藤清正や竹中半兵衛、福島正則などの有力な家臣がいただけ。それをまとめるのは確かにすごいけど戦には関連していない。賤ヶ岳の戦いも明智光秀を打っただけなのに信頼されて柴田勝家に10000もの兵の差を見せて勝った。中国大返しもすごいけど結局家臣頼りの天下人。
神さんの評価
全て兵力と家臣のおかげ
秀吉は蜂須賀小六がいなければ墨俣に城を築けなかった。
秀吉は黒田官兵衛がいなければ毛利を味方にできないまま、明智を倒すこともできなかった。しかも、光秀自身を殺したのは落武者狩り。
小田原の陣では茶会を楽しんでいるだけだった。
ゲスト1さんの評価
家臣がいないと何もできない
墨俣一夜城を築くのは蜂須賀小六がいないとできなかった。
天下統一をしたのも黒田・竹中・加藤・福島がいないとできなかった。
秀吉だけであれば天下は絶対無理であろう。たった3年ぐらいで徳川に滅ぼされていただろう。
ゲスト 1さんの評価
優秀家臣がいないと何もできない
作戦面では黒田・竹中が、武力・政治では秀長・加藤・福島・前田などの優秀家臣が力を合わせて天下をとっただけであり、秀吉は全然合戦に関わっていない。
そして明征服の目標は朝鮮さえ占領できてなかったと言うことで大失敗。(ちょっと笑っちゃう)
ゲスト1さんの評価
有力家臣がいないと何もできない
墨俣一夜城・中国攻め・天下統一などの秀吉の活躍だとされていることは実はほぼ全てが黒田・竹中・加藤・福島・蜂須賀などの強い家臣がいなければ成り立たないことであった。秀吉だけでは、天下など夢の夢の夢の夢であっただろう。
ゲスト1さんの評価
家臣がいないと何もできない
黒田・秀長・竹中また、本能寺の変後は小早川・丹波・徳川などの有力な家臣がいないと秀吉は出世できなくて明智を討てなかった。しかも北条戦では茶会を楽しんでいるだけだった。
ゲスト1さんの評価
優秀家臣がいないと何もできない
秀吉は弱いです。
理由1 秀吉は戦ではあんまり活躍していない。
賤ヶ岳では加藤・黒田・福島の活躍だけだったし、山崎・備中高松城の時は黒田軍が敵に勝ったようなもので、小田原の時も徳川・蒲生の他 、家臣の水軍しか使っていなかったから。
理由2 豊臣を衰えさせたり、無茶なことをやっていたこと。
千利休・秀次を切腹させたことも、朝鮮出兵をして多くの死者を出したのも、秀吉のせいだったから。
ゲストさんの評価