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今回選んだのは、その瞬間にしか作ることが出来なかったと思わせる各時代の気分を伝える傑作です。それはひょっとすると、今観ると感覚的なズレを覚えるかもしれませんし、時代を越えても魅力は衰えていないかもしれません。十人十色、自分の目にはどう映るのか、ぜひ確かめてみてください。
ランキング結果
デジタルビデオカメラが映す1997年の渋谷
庵野秀明監督が旧劇エヴァこと『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を完成させた直後に撮影に入ったのが、村上龍原作の『ラブ&ポップ』です。当時、社会問題にもなっていた女子高生の援助交際をテーマにした作品です。
もっとも、庵野監督は最新の風俗を取り入れた映画にするのではなく、普通の女子高生が、トパーズの指輪を今この瞬間に買いたいという欲求から援交に走る心情をドキュメンタリーのように描いています。
実写の商業映画を撮るのはこれが初めてとなる庵野監督は、映画撮影が複雑なシステムで成り立っていることを熟知していたことから、当時としては異色の撮影方法を選択しました。それが全編を家庭用のデジタルビデオカメラで撮るというものでした。現在で言うならiPhoneで映画を撮るようなものです。当時、商業映画でそんなことをやった人はほとんどいませんでした。
画質も当時の劇場用映画で使われていたフィルムに比べれば、かなり落ちます。それでもあえてこの方法を選んだのは、素人でも録画ボタンを押せば撮影が可能で、60分テープを使えば、1時間の長回しも可能だったことにありました。つまり、監督自身や出演者がカメラを持って撮影したり、カットをかけずにいつまでも撮り続けることが可能になったのです。それまでの映画との革命的な違いがそこにありました。
実際、この作品では、渋谷の街で動き回る姿をデジカメで切り取ることで、生き生きとした姿を記録しています。つまり、女子高生の心情はオジサンの監督にはわからないものの、できるだけ彼女たちの生理に沿って撮影する方法を選択することで、内面をあぶり出そうとしたのです。
庵野監督らしい凝ったアングルからの撮られた渋谷は、今では失われた風景も多く、1997年の渋谷の空気をそのまま詰め込んだような魅力にあふれています。映画は作られた時代を知ることが出来ると言いますが、この映画こそまさにそうした1本と言えるでしょう。
映画監督・北野武が到達した究極の映画
今では、『アウトレイジ』シリーズや『座頭市』などのエンターテインメントの印象が強い北野武監督ですが、デビュー作の『その男、凶暴につき』こそヒットしたものの、以降は作家性が強まり、興行成績は下降線をたどります。しかし、その時期は、本当に自分が撮りたい映画を、誰にも媚びずに作る先鋭的な時代でもありました。そのなかでも監督4作目の『ソナチネ』は北野映画の極北ともいうべき傑作です。
暴力団幹部の村川(ビートたけし)たちは組長から指示を受け、沖縄の抗争に助っ人として向かいます。しかし、彼らが東京からやって来たことで抗争は激化してしまいます。村川たちは人気のない海辺の民家に隠れることになり、時間を持て余しながら事態の沈静化を待つことに。
ヤクザ映画を観たことがあれば、こうした物語では派手な抗争が見せ場になることが多いことは想像がつくと思いますが、北野監督はヤクザたちが暇を持て余し、ひたすら暇つぶしをする時間を中心に描いています。
そんな何もない時間が面白くなるのだろうかと思うかもしれませんが、中年の男たちが紙相撲をしたり、花火をして、子どもに返ったかのように無邪気に過ごす姿が、どういうわけか異様に魅力があるのです。沖縄の抜けるような青空と、澄んだ海、砂浜を前にすると時間の感覚が観ている者も薄れていきます。気づいてみれば、この時間がいつまでも続いて欲しいと思えてくるから不思議です。
しかし、この永遠に続くような退屈な時間が終わるときは、再び抗争に巻き込まれるときです。死がひたひたと間近に迫ってくることを感じる彼らは、舞台となる海辺にひと気がないこともあって、生者なのか死者なのか確信が持てなくなっていくほどです。
北野映画では、沖縄は特別な空間です。監督第2作『3-4x10月』でも、沖縄パートは異様に面白くなっていましたが、沖縄の時間の流れ、空気感が北野映画とマッチするのです。
しかし、こうした作り方が災いして、製作費5億円に対し、配給収入は6千万円に終わったと言われており、興行は惨敗に終わりました。北野監督は次回作の『みんな〜やってるか!』という大暴発のお笑い映画を経て、『キッズ・リターン』『HANA-BI』という一般の観客にも受け入れられやすい普遍的な要素を持つ映画へと路線変更し、その質の高さがヒットにつながるようになり、やがて『座頭市』や『アウトレイジ』シリーズのような大衆的な作品も手掛けてヒット作を生むようになっていきます。
おそらく、『ソナチネ』のようなお金をかけた〈プライヴェート・フィルム〉を作ることは、今後も不可能でしょう。北野映画が到達した唯一無二の作品といえるのではないでしょうか。
黒澤明が描く放射能への恐怖
黒澤明監督が『七人の侍』に続いて撮ったのがこの映画。
繰り返される水爆実験に恐れを抱いた老人が、一家ごとブラジルへ移住しようとしますが、家族は猛反対。しかし、老人の放射能への恐怖はどんどん肥大化してゆくことに。
この映画が製作されたのは1955年。前年3月1日、南太平洋のビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって近海を航行していた日本の漁船が死の灰を浴び、乗務員1名が半年後に死亡しました。遠い場所で行われていた水爆実験が、被爆国日本にも忍び寄ってきたのです。
その恐怖を黒澤明の作品で音楽を担当してきた早坂文雄は、「こう生命を脅かされちゃ仕事は出来ないね」と語ったといいます。その言葉に反応して、黒澤は『生きものの記録』を作ることを思い立ったのです。
黒澤映画は、いつもダイナミックに観客に迫ってきます。雨は普通よりも激しく、血はおそろしく噴出し、槍は無数に飛んできます。その過剰さこそが黒澤映画の面白さです。
今回も、主人公の老人の恐怖はいっそう激しく表現されます。最初は新聞などを読んで気を揉む程度なのですが、恐怖が蓄積され、遂にじっとしていられなくなります。そうなると、もう暴走機関車のようです。脇目も振らずに自分が信じる正義に沿って行動するのみです。とどまるところを知らない狂気の世界に突き進んでいきます。
しかし、最後まで観ると、狂っているのは老人なのか、それとも自分たちなのか、と自問したくなります。公開当時は、この映画自体が主人公と同じく、世間からの理解を得ることが出来ませんでした。ですが、原発事故を経験した現代に生きる私たちの視点で観ると、主人公の行動はとても身近に見えてくるはずです。
主人公の老人を、当時35歳の三船敏郎が演じています。当時としても異例の老け役なのですが、実年齢の老人をキャスティングするのではなく、若く体力にあふれた三船をメイクで老けさせてしまうことで、エネルギッシュに猪突猛進する老人像を描くことが可能になりました。
こうした映画ならではのウソが、地味なホームドラマを、とてつもなくパワフルな映画へと変貌させています。