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1位The Elder Scrolls V: Skyrim

引用元: Amazon
| ジャンル | アクションRPG |
|---|---|
| 対応機種 | PS4、Xbox One、Switch、PC |
| プレイ人数 | 1人 |
| 対象年齢 | CERO:Z(18歳以上のみ対象) |
| 発売日 | 2011年11月11日 |
| メーカー | ベセスダ・ソフトワークス |
| 公式サイト | elderscrolls.bethesda.net/ja/skyrim |
2位ウィッチャー3 ワイルドハント

引用元: Amazon
| ジャンル | アドベンチャー |
|---|---|
| 対応機種 | PS4、Xbox One、Switch ほか |
| プレイ人数 | 1人 |
| 対象年齢 | CERO:Z(18歳以上対象) |
| 価格 | PS Store価格:6,035円 ※2019年10月25日現在 |
| 発売日 | 2015年5月21日 |
| メーカー | スパイク・チェンソフト/CD Projekt |
| 公式サイト | https://www.spike-chunsoft.co.jp/witcher3/ |
【 黙示録 】古の神話を塗り替える、現代文明の創世記。
本作の特異性は、その原点が小説にありながら、ゲーム自体の文法はファイナルファンタジーシリーズが確立した、客観視点型の物語体験という系譜の上に成り立っている点にある。
プレイヤーの分身ではなく、確固たる人格を持った主人公の葛藤を追い、映画的な演出によってドラマを盛り上げる。
これまでJRPGが磨き上げてきた語りの作法は、洗練された現代技術と融合することで、一つの完成された答えへと進化を遂げた。
その答えが、本作『 The Witcher 3: Wild Hunt 』である。
本作の舞台は一見すると、古典的な中世ファンタジーのように見える。
だが、その実態を覗けば、そこには現代的な社会形態が描かれている。
人々はただ王権に怯えているわけではない。
大都市ノヴィグラドでは、株式取引に近い投資や銀行制度が経済の屋台骨を支え、その暗部では組織化されたマフィアが利権を掌握している。
人種差別、宗教的対立、そして学問の進歩などといった近代化のうねりが、魔法というエッセンスを加えながら、驚くほど緻密に再現されている。
中世の封建制度に、魔法という空想の力を、社会を運営するための高度な技術や知識として組み込むこの手法は、かつてクリスタルを産業利用の基盤に据え、文明の発展を描いた『 ファイナルファンタジーV 』の高解像度版とも言える。
FFVが、魔法と技術を融合させて社会の仕組みそのものを描き出したように、本作もまた、魔法を単なる奇跡ではなく、政治・医学・経済を裏から動かす実利的な力として定義した。
FFVが提示した特殊な力が文明の形を規定するという視点は、本作において、歪んだ政策や差別といった現実的な社会問題と複雑に絡み合う、より冷徹で完成された社会構造へと進化を遂げたのである。
また、この人種差別が渦巻く泥々した人間社会は、サルバドール・ダリの傑作「ヴォルテールの見えない胸像がある奴隷市場」のような、粛清的な二極化を表している。
しかし、本作の世界観における作り込みの妙は、これだけではない。
丹念に構築されたこの巨大な世界が、本作の主人公である「ゲラルト」の行動に対して、あまりにも敏感に、そして冷徹なまでに正直な反応を返してくる点も、大きな注目点である。
従来のRPGのNPCは、壮大な歴史の背景として存在する記号的な存在であり、決まった台詞を繰り返すアナウンスに過ぎなかった。
しかし、本作のNPCはそれとは違う。
彼らは世界の傍観者ではなく、物語の当事者として状況に応じて変化していく。
ゲラルトがどの地域の問題を解決し、どの政治的暗殺に関わったかなど、それらの結果に応じて、通りすがりの農民の噂話や街角の貼り紙、更にはその地域の景気や空気感にまで浸透し、世界の景色をリアルタイムに塗り替えていくのだ。
本作が目指したのは、単なる情緒の垂れ流しではなく、物語と世界の完全なる同期である。
戦争の長期化が村を焼け野原に変え、差別の激化が街路に死体を吊るす。
あるいは、過去に交わした些細な人情が、数時間後のメインストーリーにおいて決定的な言葉となって跳ね返ってくる。
この容赦のない世界の変貌こそが、プレイヤーに「自分はこの歴史の一部である」という逃げ場のない責任を突きつけるのだ。
政治、宗教、人情が重層的に絡み合うこの地は、もはや単なるゲームの舞台ではない。
プレイヤーの主体性によって脈動し続ける、動いている歴史そのものなのである。
そして、その歴史の流れに対して、プレイヤーが唯一介入することを許された窓口が、本作において最も重要な「選択肢」というシステムである。
それは単なるシナリオ分岐のガイドではない。
プレイヤーの意志を、直接的に世界の変貌へと変換するための装置なのだ。
対話の端々で、絶え間なく突きつけられる選択の連続によって、プレイヤーを物語の深淵へと引きずり込む、本作のメインテーマそのものと言っても過言ではない。
現実の人生において誰もが抱える「あの時、あんなことをしなければ・・・」といった、胸をえぐられるような後悔を味わわせるための装置として機能している。
女魔術師の悲惨な最期や、血まみれ男爵の首吊り自殺など、良かれと思って選んだ言葉が最悪の結末の引き金となる正解のない迷路は、一周目の痛みを糧に、二周目で運命をねじ伏せるための「大人のケジメ」とも言える体験を提示する。
特に、ラドヴィッド王亡き後の「究極の二択」が悲惨だ。
人として誠実なロッシュを助けるべきか、それとも、皮肉屋だが味のあるディクストラの信念を尊重すべきなのか・・・。
それを、自分自身で決断しなければならない。
この痛みと葛藤は、メタルギア ソリッド3のザ・ボスや、ダークソウルのシフを自らの手で葬らねばならない時の、あの身が裂かれるような苦しみとはまた少し異なる。
ザ・ボスやシフとの戦いには、避けられない運命という名の気高さがあった。
彼らは敵であっても敬意の対象であり、その死は物語の必然として、私の心に美しい喪失感を刻んだ。
しかし、本作が突きつけてくるのは、そうした倒さねばならない運命への涙ではない。
自らの意志で、どちらか片方の戦友を無慈悲に切り捨てるという、プレイヤー自身の決断が招く、あまりにも生々しく残酷な痛みだ。
運命のせいにはできない。
誰を殺し、誰を見捨てたのか。
その全責任が、コントローラーを握る私の指先にのし掛かった。
これほどまでに自分の正義を試し、一生消えない傷跡を刻み込むような体験が、かつてあっただろうか・・・。
こうした選ぶことへの覚悟をプレイヤーに強いるのが、鋭い五感で真実を暴く「ウィッチャーの感覚」だ。
単に提示された道を選ぶのではなく、自らの手で証拠を導き出し、その目で現実を直視する探偵のようなプロセスがあるからこそ、その後に続く選択肢に震えるような説得力が生まれるのである。
まるで、一人で心霊スポットに訪れた時のような緊張感を味わえるであろう。
そんな伝説のウィッチャーであるゲラルトという男の魅力は、その強さ以上に情けないほどの人間臭さにある。
普段はブラックジョークを好むクールな彼が、成り行きでお芝居の舞台に立たされ、ぎこちない演技を披露する姿や、二人の美女の間でちちくりあった結果、醜態をさらす「3人でタンゴを」というサブクエストでの笑える結末など、そのギャップが遠い世界の英雄譚を、すぐ隣にある人間ドラマへと引き寄せてくれる。
そして彼を取り巻く仲間たちもまた、JRPGが確立した仲間との絆や、親しみやすさという伝統的な魅力を、現代のリアリティを基準に再定義している。
仲間たちが記号ではなく共に生きる人間として描かれているからこそ、前述した究極の二択は単なるゲームの分岐ではなく、大切な誰かの人生を切り裂くような、一生消えない傷跡としてプレイヤーの心に刻まれるのである。
こうした絆は、本作の個性的な敵キャラクターの筆頭にも挙げられる「森の貴婦人」とも、運命の赤い糸で結ばれている。
女性三人組なので、色々な意味でお世話になるであろう。
ゲラルトは、そんな彼女らを見て「ほう。実際のお前達は・・・タペストリーとはずいぶん違うな・・・」とぼやいていた。
まるで、写真と実物が違いすぎることに落胆した、マッチングアプリの被害者ムーブのようである。
また、世界設定の根幹にある「天体の合」にも、本作の深みを垣間見ることができる。
この設定は、かつて『 ファイナルファンタジーIX 』が描いた星の衝突や命の循環という問いと、深く重なるものである。
FFIXのジタンやビビが自らの出自に苦悩したように、本作でも異質として蔑まれる者たちがどう生きるかを常に問いかけてくるのだ。
このカオス理論は、アイン・エレの地へと繋がるダンジョンの構造にも表れている。
ディディウェイト砂漠から始まり、そこを抜ければ今度は、ドゥームメタルを主体とするフィンランドのバンド「アーニ (Aarni) 」がリリースした名盤「Bathos」のような、どこか虚ろで世紀末を感じさせる有機的なエリアに足を踏み入れ、その後も水中や極寒の世界など次々と姿を変えていく。
ここでも、FFVの「次元のはざま」の構造と共通している。
しかし、アイン・エレの地に到着し、ティル・ナ・リアのテラスから眺める風景には、これまでの過酷な環境とは打って変わって、想像を絶する美しさに満ち溢れている。
是非とも、赤ワインと牛フィレ肉を味わいながら堪能したくなる、絵画のような世界だ。
DLC「血塗られた美酒」で訪れることができるボークレール宮殿もそうだが、本作には芸術的な建造物や幻想的な演出が非常に多い。
まるで、泥に這いつくばる昆虫を養分にして、美しい姿を見せつける「ヘリアンフォラ」のように。
では、そろそろシステム面について言及しよう。
本作は、戦闘回りのシステム面では明確な課題も見える。
錬金術やアビリティビルド、あるいは各地の設計図を巡る宝探しには胸が高鳴るが、どれも横の広がりに欠ける側面があるのも否めない。
戦闘自体も、単純なアクションでテンポがあまり良くないので、物語を消化するための単調な作業になりがちである。
洞窟などのダンジョンも、入ったらすぐに行き止まりというケースが多い。
また、ゲラルトは少し高めの塀の上から飛び降りただけで、即死してしまうというバグもある。
高度な研究機関まで存在しているのに、何故か接骨院すらないこの世界は、足腰の弱いおじさんにとっては涙目である。
一方で、黄金期のFFシリーズは、ジョブやマテリアを駆使した遊びの幅に加え、青魔法のコンプリートや裏ボス攻略、更には隠しネタの宝庫だったりなど、黄金期のやり込み要素は今もなお、世界最高峰のボリュームである。
本作は、そのクリア後のやり込み面においても、物足りなさが残ってしまう。
しかし、そんな単調さを補って余りあるのが、カードゲーム「グウェント」である。
これは『 ファイナルファンタジーVIII 』の「トリプルトライアド」の魂を継承していると言っても過言ではない。
世界中が同じ遊びに興じる空気感は、FFVIIIの楽しさをよりリアルに進化させたものだ。
そして、物語が最高潮を迎える「ケィア・モルヘンの戦い」は、まさにそのFFシリーズが得意とする仲間の結束という様式美の集大成と言える。
自らの選択によって、築いてきた人間関係が味方の顔ぶれを変え、恩師であり親でもある「ヴェセミルの死」という悲劇で幕を閉じる。
この王道の演出こそが、冷徹なWRPGにJRPGの熱い血を注ぎ込み、本作を特別な傑作へと押し上げたのである。
勿論、全てにおいて完璧なわけではない。
物の動きが不自然になるような細かな粗に直面し、現実に引き戻される瞬間もあるだろう。
しかし、そんな欠点すらも本作の圧倒的な完成度の前では、愛すべき傷跡にすぎない。
ここで改めて振り返るべきは、かつてドット絵の頂点に君臨していた『 ファイナルファンタジーVI 』の存在だ。
FFVIはあの時代において、既にJRPGのドラマ性とWRPGのオープンワールド的なアプローチを、高い次元で融合させていた先駆者であった。
本作は、その偉大なる『 神話 』の系譜を継承し、最新の技術という器によって、これこそが次世代のRPGのあるべき姿であるということを、現代に示したのである。
自分の選択肢が招いた後悔に震え、それでも仲間を求めて荒野を駆ける。
この血の通った本物の体験を味わわせてくれる本作の登場は、RPGという歴史における一つの時代の終わりであり、同時に新たな時代の幕開けを告げる『 創世記 』に他ならない。
かつての名作たちが積み上げてきた魂を飲み込み、未来のRPGが目指すべき地平を照らし出す。
我々は今、この手にある究極の『 黙示録 』を胸に、伝説が歴史へと変わる瞬間に立ち会っているのだ。
本作は史上最高のRPGの一つとして、永遠に語り継がれることであろう。
【 狂気 】The Dark Side of the Moon
もし世界中を旅していて、遠くにペルーの複合遺産「マチュ・ピチュ」の姿が見え始めたらどうする?
可能ならば行ってみたいと思わないか?
ガウディの作品群である「サグラダ・ファミリア」の美しい姿を想像してみよう。
中に入ってみたいと思うだろう?
そう、本作はそんな人間のリアルな欲求を、ゲーム内での探索欲に変換してしまうほどの、抗いがたい魔性に満ち溢れているのだ。
チュートリアルを終えると、目の前には広大なオープンワールドが広がっている。
そして北に歩いていくと、禍々しくも立派なストームヴィル城が徐々に見えてくる。
城が見え始めた時、多くのプレイヤーはここを目指したくなるであろう。
だが何故、皆は揃いも揃ってこの城を目指したくなるのか?
何か大きな目印でもあるのだろうか?
その理由は、とある計算された「誘導メカニズム」によるものだが、これについては後述で具体的に説明しよう。
まずは探索面での特徴について言及しておく。
実は本作には、多くのオープンワールド作品に採用されているマーカーが存在しない。
つまり、リムグレイブに降り立った瞬間に、どこへ行けばいいのか全くわからない状態からのスタートとなるのだ。
それを聞いて「オープンワールドゲーにマーカーがないなんてありえない。不親切にも程がある」と思ってしまう人も多いだろう。
しかし、もしそのような迷子の状態で、目の前に巨大な城が見えてきたらどうする?
とりあえず入って探索してみたいと思うだろう?
そして、そこを攻略するにはどうすれば良いか、どれほどのレベルまで上げれば良いのかなど、自ずと攻略プランを考えることになる。
まさに、それが本作の狙いなのだ。
マーカーといった指示待ちシステムを廃止してでも、生と死が隣り合わせの極限状態をプレイヤーに味わってもらいたいという、フロム・ソフトウェアからのサディスティックな挑戦状である。
もし本能的にストームヴィル城を探索したいと思ったのならば、それが正解なのだ。
そこに必要なのは、マーカーではなく「意思」である。
ようするに、プレイヤーの主体性を完全に信頼してくれているゲームデザインであるということ。
そして、ここで改めて前述した誘導メカニズムについての説明をしよう。
最も大きな理由は、やはりマーカーのようなシステム的な記号を廃止したおかげである。
その分、画面には余計な情報が表示されないわけだ。
マーカーどころかミニマップすらないので、プレイヤーの視点が自然と、ゲームの風景そのものに向けられることになる。
つまり、それらのノイズがない分、巨大な建造物や黄金樹などのオブジェクトが、プレイヤーを強く引き寄せる「魔力」として機能し始めるからである。
これによって、主体性の伴った臨場感をより深く、より現実的に味わうことができるようになったというわけだ。
また、RPGでは当たり前となっている町や村がないという点も、この魔力の効果を大きく増幅させている。
町に着いた時の安堵感の代替えを、不気味なダンジョンを発見した時の「好奇心」が引き受けてくれるからだ。
つまり、我々は安息を奪われたことで、真に「冒険をしている感覚」を得ることに成功したのだ。
本作は基本的にはどこへ行こうと自由だ。
しかし、遠くへ行けば行くほど当然のように危険度は増してくる。
開始直後のアンロックがされていない状態での遠出は、あまりにも非効率であろう。
そこで、ストームヴィル城のような目立つ建造物を、通り道からはっきりと見える位置に設置することで、例え初心者のようなプレイヤーでも、目指すべきシンボルとして認識できるようになる。
これによって、道から大きく外れる心配も少なくなるという、必要最低限の配慮をしていることが理解できるであろう。
勿論、ストームヴィル城を確実に攻略するには、ある程度のレベルと準備が必要にはなるがね。
開始してすぐ近くにエレの教会があるのも配慮ポイントである。
ここでアイテムを購入できるからだ。
なお、教会の近くには、変な金色のプラモデルがうろついているが、もし気になるなら話しかけてみるといい。
きっと、素敵なアドバイスをしてくれるはずだ。
とにかく、本作には魅力的なオブジェクトが多く用意されている。
あっちへ行きたい、もしくはここに入ってみたいなどと、プレイヤーの好奇心を常に刺激してくれるのだ。
まさに冒頭の世界遺産のくだりで述べた人間の本能的な欲求を、ゲーム内で満たしてくれるわけだ。
また、本作にはマーカーだけでなく、クエストリストも廃止されている。
なので、人によってはいちいち情報をメモしないといけないという、面倒臭い作業を余儀なくされてしまうであろう。
これも、自分だけの冒険日誌を脳内に刻み込んでいくような主体性の要求である。
この廃止による「引き算の美学」は、2002年発売の『 The Elder Scrolls III: Morrowind 』から、強く影響を受けていると言える。
だが、モロウウィンドの方にはいくつもの都市があり、NPCも数多くその世界に暮らしている。
その分、対話によって社会的に情報収集ができるといった楽しみ方を見出せる。
まさに、オープンワールドの魅力そのものとも言える構造であるため、上述の引き算の美学との相性が非常に良い。
本作はどちらかというと、アクションアドベンチャー寄りの属性が強いため、探索の面白さとプレイヤーの主体性を重視したコンセプトの双方の相性が、必ずしも良いとは言い難い。
したがって、GOTY受賞の決定的な理由にもなった「革新性」については、首を傾げてしまうところである。
悪い言い方をしてしまうと、モロウウィンドの二番煎じだからだ。
これが革新なら、ウィッチャー3の「選択による運命の分岐」も革新と言えるのではないだろうか。
どうも、GOTYの選考基準の曖昧さが浮き彫りとなってしまっているようだ。
何より、権威に流されやすいSNS界隈や、一部メディアの忖度によって、異常なまでに神格化されている事実が大きな懸念点である。
その本質を見極めずに表面的な深度のみを抜粋し、不当に持ち上げようとする風潮には辟易している。
GOTYはあくまで、その年の最高傑作を競い合う賞レースというだけであって、歴史的に偉大な作品を展示する場ではない。
それこそ「世界ビデオゲームの殿堂」を差し置いてまで、騒ぎ立てることではないはずだ。
勿論、本作が四大GOTYを獲得した実力そのものには、全く異論はない。
何故なら、本作の真価は革新ではなく、モロウウィンドをソウルライクの文脈で更新した「洗練」だからである。
話を戻そう。
更にソウルライクの特性上、敵とのバトルがメインとなるので、折角のオープンワールドの醍醐味が戦闘に邪魔されて生かされていないという見方もある。
例えばゆっくりと散歩をして景色を堪能することが中々できなかったりなどね。
スカイリムと比較してしまうと、道中においてはどうしてもスカスカ感を感じてしまう点も否めない。
あちらは正統派のRPGであるため、ランダムイベントが豊富で、NPCもフィールドの至る部分に配置されているからだ。
モロウウィンドの項でも言及したが、それらが常に社会性をベースにしたイベントである故に、空白を動的に埋められるメリットとして機能しているからである。
個人的に最も気になったのは、オープンワールドにしてしまったことで、皮肉にも従来のダークソウルやブラッドボーンで強く味わうことができた、死にゲー特有の「緊張感」が薄れてしまったことかな。
その自由度の高さが逆に仇となり、難問を後回しにできる行動選択肢を幅広く生み出してしまったことで、ソウルライクの旨味そのものが氷が溶けて薄まったコーラのようになってしまったのが残念な点である。
とはいえ、本作は前述したようにプレイヤーの導き方が非常に上手く、新たなロケーションを発見する度に、湧き上がってくるような探求心を与えてくれた。
グラフィック自体はそこまでハイクオリティというわけではないが、永遠の都であるノクローンやノクステラに代表される破壊的な芸術性に加え、エフェクトを十分に生かした演出面や腐れ湖の禍々しさなど、プレイヤーをその世界に極限まで依存させるべく計算された精神的ギミックが、これでもかと散りばめられている。
戦闘面では従来のフロム作品と比較すると、やや敵のAIが賢くなっている傾向がある。
モンスターハンター4Gの大型モンスターのような、プレイヤーの入力に反応したいやらしい挙動を見せてくることもしばしばあった。
ここに関しても割と賛否両論の風潮があるようだが、その分、武器を変更し戦技を使い分けることで体感難易度を緩和できたりなど、戦略性の幅は寧ろ広がったと言えるだろう。
ボス戦の付近には還魂碑が設置されていることが多いので、霊体を召喚することで撃破難易度を大きく下げることができる。
ここでも初心者への配慮が顕著に表れている。
これらの要素が重なって、結果的には過去作よりもやや難易度が低くなっていると言えるだろう。
私としては、霊馬トレントに乗りながらバトルをするのが好きだった。
スカイリムの馬の性能にほとんどメリットを感じなかったため、彼に有能感を感じてしまったのだ。
だが、騎乗する時の掛け声くらいはほしかったかな。
断末魔時に声を出してくれても何も嬉しくない。
アセットの再利用の仕方が露骨な点も含め、細かい部分での不満点が結構多い。
だが、本作が傑作である事実は揺るがない。
ゲーム内の各所に点在する断片を拾い集めて余白を埋めていくといった、主体性の問われる物語の構築プロセスは、もはや見事の一言である。
それはまさに、古文書を解読する学者のような、あるいは事件現場の遺留品から真相を追う探偵のような体験である。
何より高難度であるが故に、ゲームをやめて現実に戻った時の安堵感が凄まじい。
まるで、実際に戦場を体験してきたかのような覚悟と緊張感が、一気に解かれたかのような感覚を覚えた。
しかし、一度味わってしまったからなのか、何故かまたあの荒廃した世界に戻りたくなってしまう。
きっと、私の中の刺激を求める本能があの幻想的な死地を、まるで「ディズニーリゾート」のように見せていたのだろう。
なぜ死の大地がリゾートに転じるのか?
その理由は、以下の「五芒星」に関係している。
■ マーカー廃止により機能した「オブジェクトの魔力」
■ クエストリスト廃止による「主体的冒険心の点火」
■ 現実を凌駕するロケーションの「芸術性」
■ 死闘の末に掴む戦略的「カタルシス」
■ 断片から真実を編む「主体的物語構築」
これまで説明してきた、プレイヤーを魅了し縛り付ける体験メカニズムを、箇条書きで纏めたリストである。
この五芒星が人間の内側に潜む、恐怖・不安・高揚・好奇心・探究心といった五つの精神性と共鳴し合うことで、鮮やかな『 プリズム 』に色を変え、それらのエネルギーを蓄積した魔法陣が形成される。
それが、高難度のボス戦をクリアした時の達成感によって増幅され、眩い光となって解き放たれるのだ。
この呪術的なまでに計算された設計によって、過酷な戦場は「陶酔的な非日常」へと昇華される。
前述した本作の異常な神格化も、この高純度ドラッグによってプレイヤーがトランス状態になってしまうのが原因なのだろう。
私には、宮崎英高氏が天からマリオネットの糸を操っている光景が想像できる。
まさに、マインドコントロールの原理に近いゲーム設計である。
この次から次へと狂ったような悪意と未知の快感が、同時に襲いかかってくるような展開はまさに、ピンク・フロイドの超名盤『 狂気 (The Dark Side of the Moon) 』を、最初から最後まで通しで聴いているような『 トータル・コンセプト・ロールプレイング 』とも呼ぶべき、世にも贅沢な一大プログレ体験である。
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【 四次元 】自らが宇宙の管理者になれる、究極のシミュレーション体験。
本作は、広大なオープンワールドを舞台とした、限りなく自由度の高いアメリカ産の本格的な大作アクションRPGである。
その世界売上本数はなんと6000万本を超えているという、歴史上世界で最も売れたRPGである。
勿論、その売上数に比例して作り込みも尋常ではなく、評価も非常に高い。
史上初の四大GOTYを獲得したタイトルでもあるのだから、その大作感が容易に想像できることであろう。
PC版だけでなく、コンシューマー (CS) 版も発売されているので、PS4やXbox One、Switchなどでもプレイ可能だ。
本作の最大の特徴と言えば、とにかく自由度が高いことである。
世界を破滅に導こうと企む邪悪の化身を打ち倒し、伝説の英雄としてプレイするのもよし。
魔法大学で呪文を極める修行の日々を送るのもよし。
あるいは盗賊になって盗みに励んだり、暗殺者になって罪もないNPCを殺害しまくる極悪人として生きることさえ可能である。
その他、無理やり鍵をこじ開けて民家に不法侵入したり、落ちているお金や食べ物、装備品などを自由に拾ったり盗んだりすることも可能だし、何なら下着泥棒にだってなれる。
つまり、何をするにしても自由なのだ。
勿論、衛兵に見つかれば牢屋にぶちこまれるけどね。
でも、その衛兵さえも返り討ちにすることだってできる。
何度も捕まりながらも脱獄の達人として生きるのも面白いかもしれない。
ゲームを始める前に、どのようにロールプレイするかを予め決めておくといいかもね。
物語が始まると、このシリーズの定番でもある囚人からのスタートとなるが、ゲーム開始直後の脱出イベントが終われば、いきなりスカイリム全域を歩き回ることだってできるのだ。
クエストを進める順序にも、JRPGのような縛りなど一切ない。
好きなタイミングでメインクエスト、および世界中に散らばるサイドクエストの数々を堪能できるというわけだ。
だがその自由度の高さ故に、行き先を丁寧に示してくれるJRPGに慣れてしまったプレイヤーからしたら「何をすればいいかわからない」といった事態に陥ってしまうことも少なくないであろう。
しかし、そこまで深く考える必要はない。
もしそのような事態に陥ってしまった時こそ、自分の気持ちに正直になろう。
何をすればいいかではなく「何をしたいか」といった発想に切り替えること。
本作を最大限に楽しむには、ゲームシステムからの指示を待つのではなく、自身の欲求に忠実に従えるかどうかが鍵である。
それでもなお、何をしていいかわからないのなら、とりあえず町にいるNPCに片っ端から声をかけてみるといい。
何かしらのサイドクエストが発生する可能性が高いので、それらをこなしていくうちに徐々に流れを掴めるはずだ。
慣れてきた頃にはきっと、本作の圧倒的な面白さの虜になるであろう。
さて、自由度の高さについては上述の説明で、ある程度はイメージできたと思う。
しかし、本作の魅力は何も自由度の高さだけではない。
NPCの挙動、およびAIによるタイムテーブルの設定が、尋常じゃないレベルで作り込まれているのだ。
まるで命でも吹き込まれているかのような、リアルな生活感を目にすることができるであろう。
例えば、NPCのAさんは、朝10時になると市場で果物を売り始め、夜は宿屋で食事をしてから家に帰って就寝する。
一方で、NPCのBさんは、土曜日の昼になると荷物を届けるために隣町に移動し、日曜日の朝に帰ってくるといった風に、NPC一人一人に詳細な設定が施されている。
ダイアログも豊富で、選択によってはシナリオの結末やそのNPCの行動サイクルが大きく変化したりなど、JRPGにありがちな「いいえ」を選んでも無限ループするだけの、手抜きの選択肢とはわけが違う。
こういった芸の細かさも、本作がプレイヤーの主体性を大いに尊重してくれている何よりの証なのだ。
他にも、町に点在しているほとんどの建物内に入れるなど、他のオープンワールド大作でよく見られるハリボテだらけの舞台装置とは違い、その徹底された作り込みが大きな魅力である。
また、書物を読み漁ることで、このシリーズの舞台であるタムリエル大陸の歴史を学ぶこともできる。
世界観の奥深さを知るには、これも欠かせない要素の一つである。
しかし、同時に無視できない深刻な欠点も存在する。
それは「バグがとても多い」という点である。
中には進行不能にまで陥るバグも存在しているとのこと。
幸い、現在ではCS版でもバグを回避できるパッチが配布されているらしいが、恐らくMODによる解決策だと思われるので、初心者には割と敷居が高いかもしれない。
PC版と比較すると数や種類は圧倒的に少ないものの、現在ではCS版でもある程度のMODを使用できる環境が整いつつあるようだ。
MODと言われても何のことかわからない人もいると思うので、これについては後述する。
他にも、カプコンやフロム・ソフトウェアの作品のような、秀逸かつ奥の深いアクション性に慣れすぎてしまったプレイヤーからすれば、本作の戦闘アクションはあまりにももっさりとしていて、その上単調なのであまり面白さを感じることができない恐れがある。
そもそもがFPS視点をメインコンセプトとした戦闘システムであるため、洋ゲーのプレイ経験が浅いとその魅力を理解することすら困難かもしれないのだ。
慣れてくれば、本作の戦闘にも味があることを理解できるようになってくるものの、そこまで辿り着くのに時間と経験が必要となってくるので、それが非常にネックである。
まだある。
ポリコレ絡みの影響で、キャラの造形があまりにも酷い点が挙げられる。
本作は最初の一回のみ自由にキャラクリをすることができるが、なんせ元の素材が酷いので、どんなに頑張っても美男美女を作成することは不可能に近い。
NPCもそのほとんどが、まるでアメコミのキャラクターをリアル風に置き換えたかのような造形なので、見るものを悉く戦慄させてしまうのだ。
美男美女しかいない世界にもそれはそれで違和感を覚えるが、化物だらけの本作の世界にも、大いなる不自然さを感じてしまうこと間違いなしである。
本作は北欧をモデルとした舞台ではあるが、あそこまで酷いと北欧人に対する冒涜とすら思えてしまうほどだ。
現実の北欧人には美男美女も多いのにね。
このように本作はゲームとして、RPGとして圧倒的な面白さを堪能できる一方で、欠点も非常に多いという癖の強い仕上がりとなっているため、プレイできる人は間違いなく限られてくるであろう。
だが、しかし!
これがPC版となると話は大きく変わってくる。
私が史上最高のRPGとして評価しているのは、PC版のスカイリムの方なのだ。
結論から述べてしまうと、CS版とPC版ではもはや別ゲーくらいの違いがある。
その面白さは異次元のレベルに到達していると断言しよう。
これを体験してから私は、その他の全てのゲームをプレイする気力を奪われてしまったほどである。
それは一体何故なのか?
その理由が上述したMODの存在によるものである。
まずMODとは何か?
簡単に言ってしまえば、スカイリムそのものを改造できる外部データである。
こう言ってしまうと違法のように思えてしまうかもしれないが、本作の場合は違法ではない。
寧ろ本作の開発メーカーであるベセスダ・ソフトワークスが、MODの使用を推進しているほどだ。
ベセスダ自体が「プレイヤーがその世界に自由に干渉できるのが、RPGの本来のあるべき形である」といったスタンスなので、寧ろ非公式でありながらもほぼ公式と言っても過言ではないコンテンツでもある。
つまり、DLCの一種であると捉えても良い。
しかもほとんどは無料である。
前述したように、MODはCS版でもある程度は使用できるが、種類が極端に少なく、ゲームプレイを大きく進化させるような大規模なMODは用意されていない。
しかし、これがPC版だと圧倒的かつ大規模なMODがよりどりみどりなので、あのディズニーリゾートもビックリの夢の世界を構築することが可能となるのだ。
ここまで読めば、具体的にどのようなMODがあるのか気になることであろう。
とりあえず一言で言ってしまえば、ドラえもんの『 四次元 』ポケットである。
あるいは、CS版のスカイリムをベースに、RPGツクールの超上位互換機能を搭載したような何かである。
以下では、Q & A 形式で具体例をいくつか挙げてみよう。
Q:町を大きく拡張できますか?
A:勿論できます。
Q:スカイリムの醜いキャラを美男美女にできますか?
A:余裕です。
ニーアの2Bやステラブレードのイヴのように美化することもできます。
Q:グラフィックの質を現代レベルにまで引き上げることはできますか?
A:そんなものは朝飯前です。
Q:アクションの質を引き上げることはできますか?
A:勿論です。
DMCやモンハンなど、あらゆるゲームのアクション性を実現することが可能です。
Q:女性NPCを裸にして、自分の男キャラとセクロスさせたいのですが。
A:それも可能ですよ。
Grokのような誰得規制は一切ありません。
(ただし、幼女とちょめちょめだけはやめた方がいいです。アメリカはロリコンに厳しいです)
Q:ゲーム内のBGMを変更したいです。
A:当然できますよ。
Q:ブレワイのような空を飛べるパラセールがほしいです。
A:はい、どうぞ。
何なら飛空艇も差し上げましょうか?
Q:TESシリーズの歴史の中でも、一度も訪れることができなかった東洋の大陸「アカヴィル」に行ってみたいです。
A:勿論行けますよ。
アカヴィルを舞台にした大規模なクエストMODがあります。
まるで厳島神社や京都の文化財のような、和の魅力をたっぷりと堪能できます。
以上のように、何でもできてしまうのですよ。
中でも『 CHIM 』というMODが、まさに革命と言えるものでね。
なんとスカイリムに存在する全てのNPCをAI化し、キーボードを使ってテキスト入力することで会話ができてしまうという、とんでもない代物である。
世界中の大手ゲームメーカーでさえ、そのほとんどがまだ実装していない近未来的システムを、スカイリムの天才モッダーさんが先駆けて開発してしまったわけだ。
例えばNPCに「お前は本当に出来損ないだな」と声をかけると、顔を赤らめて怒鳴り散らしてきたりなど、ゲームの中であるにも関わらず本物の人間と会話をしているような感覚になるのだ。
PC版にはキャンプMODもあるので、それを組み合わせるとまさに「旅行のリアルな擬似体験」が可能になるというわけだ。
仲間キャラクター達がまるで本物の旅行仲間のように、キャンプ先で無邪気にはしゃぐ姿を見ていると、思わず愛らしさを感じてしまうほどである。
私の場合に至っては、現在だとキャラクターを美化するMODやAI設定の変更MOD、町の改変MODなど、これくらいなら自作できるようになった。
ここまで来ればどんなゲームをプレイする時も、まるで『 四次元 』空間から下界を見下ろす『 観測者 』のような視座になるであろう。
今ではゲームをプレイするよりも、MODを作ることが楽しくなっているほどである。
さて、PC版のスカイリムに関しては、これだけ説明してもまだまだ氷山の一角にすぎない。
プレイヤーの数だけ、世界に一つしか存在しない「貴方だけのプレイ環境」が生み出されるからだ。
したがって、説明はこれで終わりにするとしよう。
本作は数式を全て把握し、点を線で結んで立体化させたあらゆる事象に、スクリプトを走らせることができる『 宇宙の管理者 』が手に入れた、真の自由の追体験記である。
きっと「この世にはこんなに凄いRPGがあったのか!」と驚愕することになるでしょう。
MODによって、時代すらも超越できる権利を得るのだから。