武田 勝頼(たけだ かつより) / 諏訪 勝頼(すわ かつより)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての甲斐国の戦国大名。甲斐武田家第20代当主。
通称は四郎。当初は諏訪氏(高遠諏訪氏)を継いだため、諏訪四郎勝頼、あるいは信濃国伊那谷の高遠城主であったため、伊奈四郎勝頼ともいう。または、武田四郎、武田四郎勝頼とも言う。「頼」は諏訪氏の通字で、「勝」は信玄の幼名「勝千代」に由来する偏諱であると考えられている。父・信玄は足利義昭に官位と偏諱の授与を願ったが、織田信長の圧力によって果たせなかった。そのため正式な官位はない。
一番好きな武将
もっと評価高くてもいいと思います。武田信玄と結構比べられますが、愚将ではなかったようです。武田家を滅ぼしたのは勝頼のせいだけじゃない。勝頼は、民思いなところもあったし、優しいところもあったと私は思っています。どうか、もっと勝頼の再評価が進みますように。