1分でわかる「ザ・ドリフターズ」
国民的人気を博した伝説のコントグループ・ドリフ
日本のお笑い史に多大な影響を与えた、コントグループ「ザ・ドリフターズ」。音楽バンドとして1969年頃まで活動後、コントグループへと転身を図り、大成功を収めました。“ドリフ”の愛称で国民的人気を獲得し、出演番組は軒並み高視聴率を記録しています。ミュージシャンとしても高い技術を持ち、多数の楽曲を発表。1969年発売の『ドリフのズンドコ節』は、115万枚以上の売り上げを記録しました。初期メンバーには、坂本九や小野ヤスシなどが在籍。その後、加入したいかりや長介がリーダーを務め、荒井注・高木ブー・仲本工事・加藤茶・志村けんといったおなじみのメンバーでの体制が続いています。
















付き人からの這い上がってきたコメディアン
いかりや長介さんに弟子入りをして、下積みを経験してから、荒井注さんの脱退を機に8時だョ!全員集合でデビューした志村さん。最初はウケなかったのに、その後、社会現象になる程のギャグを生み出し、お茶の間の人気者になったのが本当に素晴らしいと思います。志村けんさんが出てこなかったらドリフターズの飛躍もなかったと思います。
太郎匿名改めさん
1位の評価
生まれながらのコメディアンだと思います。
「志村けんのだいじょうぶだあ」。セリフ無しで、悲しいBGMが流れる、シリアスな志村さんのコントを鮮明に覚えています。当時の私には強烈で、お笑い番組で悲しい物語を披露する必要があるのだろうか?と思ったものですが、今では何となくわかる気がします。笑いと悲しみは表裏一体なのですね。何もかも恵まれた令和の時代、こんなコメディアンは二度と世に出てこないでしょう。合掌。
ゲンスルーさん
1位の評価
世界一のコメディアン
志村けんさんは、世界一のコメディアンだと僕は思っています。ドリフの見習いとしてしていた頃から、自分がしたい笑いを考えてると追悼番組で聞いて、その頃から、お笑いの努力かなんだったんだなと思いました。亡くなったときは、ショックでしたが、志村けんさんは、みんなの心のなかに永遠に生き続けていると思いながら、志村けんさんの復活特番見ています。今も、バカ殿様ひとみ婆さん変なおじさんデシ男いいよなおじさん芸者シリーズイエイエおじさん、研ナオコさんとの夫婦コント、田代まさしさんとのコンビ、大好きです。お芝居も天下一品でした。
これは、個人的な考えなのですが、志村さんが今も、もし存命で、バカ殿様だいじょうぶだぁが放送していたら、ゲストに、研ナオコさん、柄本明さん、小林稔侍さん、西田敏行さん、吉幾三さん、よしもと新喜劇の間寛平さんアキさん、すっちーさんの座長3人と、山田花子さん、内場勝則さん、未知やすえさん、マツコデラックスさん、麻生祐未さん、石田靖さん、いしのようこさん、月亭方正さん、ダウンタウンの浜田雅功さん、里見浩太朗さん、武田鉄矢さん、末成由美さん、三遊亭円楽さん、桂歌丸さん、橋爪功さん、由紀さおりさんなどのゲストのみなさんとのコントと、旅のコーナーで、愛媛と香川に来て、ぜひ、豊浜のちょうさ祭でのかきくらべ、川之江の太鼓まつりでの川之江太鼓台統一寄席と、四地区太鼓台統一寄席、新居浜太鼓祭りでの、山根グランド統一寄席などの秋祭りの紹介や、讃岐うどんや、祖谷そば、伊予の鯛めし、愛媛のみかん、霧の森大福蕎麦米雑炊、今治の焼き鳥、高知のかつおのたたきなど、御当地の名産名物を食べてほしかったです。後、四国地方の観光スポット、翠波高原や、桂浜、道後温泉、石鎚山、秩父が浜、剣山、四万十川、高屋神社の天空などに来て紹介してほしかったです。もしも、志村さんが、時代劇に挑戦したら、まずは水戸黄門で、7代目の水戸中納言光圀公になってほしかったです。[続きを読む]
大ちゃんさん
1位の評価