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ゲスト1さんの「戦国武将最強ランキング」

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更新日: 2022/08/27

ゲスト1

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ランキング結果

1徳川家康

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康(まつだいら もとやす)。戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開府し征夷大将軍となる。三英傑のひとり。

これこそ最強の戦国武将

まず並外れた作戦を立てる能力です。姉川の戦い・高天神城の戦い・長久手の戦い・関ヶ原の戦い・大坂夏の陣などが挙げられます。特に大阪の陣では力では真田や後藤がいる方に劣ったものの、堀埋め作戦を考えて大勝利。
次に、政治の力です。大名の領地や役職など、幕府の支配を固めました。
誰も逆らえないようにしたこの幕府の支配体制は最強と言っても過言ではありません。

2上杉謙信

上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。

正義のために戦った越後の龍

武田信玄の本体を追い詰め、信玄と一騎討ちをしたことで有名な謙信。
キツツキ戦法を見破って密かに山を降りたところが戦上手。
政治を安定させながら勢力を広げた2番目に強い大名。

3本多忠勝

本多忠勝

本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。通称は平八郎(へいはちろう)。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。

徳川の豪傑

武田にも恐れられたという凄さ。3000の兵で27000の兵を食い止めた凄さ。徳川の豪傑である。

強いけど弱い

九州を統一することは秀吉が敵でないとしても多分無理。
でも、勢いとして九州一の勢力だという誇りはある。

大内に信頼された割にはわりにはちょっと弱め

大内に深く信頼された家臣であったが、厳島の戦いでボロ負けたし、ちょっと弱め。

6豊臣秀吉

豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、旧字体: 豐臣 秀吉)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。

優秀家臣がいないと何もできない

作戦面では黒田・竹中が、武力・政治では秀長・加藤・福島・前田などの優秀家臣が力を合わせて天下をとっただけであり、秀吉は全然合戦に関わっていない。
そして明征服の目標は朝鮮さえ占領できてなかったと言うことで大失敗。(ちょっと笑っちゃう)

7織田信長

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが、天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、天下人。

有力家臣がいないとてんかなど夢の夢の夢の夢の夢

金ヶ崎の戦いの時は浅井が裏切るようなことをして最終的に敗走した。
そのときは明智などが敵を食い止めなかったら信長は打ち取られていた。
姉川の戦いの時は徳川が駆けつける前は兵の少ない浅井軍に圧倒され続け、追い詰められていた。
あとは家臣が裏切るようなことをしすぎ。とにかく裏切りが多く、それで天下を取れなかったとも言える。

8石田三成

石田三成

石田 三成(いしだ みつなり)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。佐和山城主。豊臣政権の奉行として活動し、五奉行のうちの一人となる。豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織したが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑された。

戦国最弱

家康と戦って負けると分かっているのに戦ってボロ負けて処刑された。
性格によって多くの敵を作ったと言う人気のなさで家康側に寝返る者も増え、戦国最弱。

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