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NO.10さんの「戦国武将最強ランキング」

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更新日: 2022/10/22

NO.10

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ランキング結果

1北条氏康

北条氏康

北条 氏康(ほうじょう うじやす)は、戦国時代の武将。相模国の戦国大名。後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。後北条氏第3代目当主。母は氏綱の正室の養珠院。 関東から山内・扇谷両上杉氏を追うなど、外征に実績を残すと共に、武田氏・今川氏との間に甲相駿三国同盟を結んで関東を支配し、上杉謙信を退け、後世につながる民政制度を充実させるなど、政治的手腕も発揮した。後北条氏当主として19年間、隠居後も後継者である第4代当主北条氏政との共同統治を12年間続け、30年以上にわたって後北条氏を率いた。

室町幕府東日本最強

北条氏康は敵を騙し、油断したところを夜襲で襲うという真田並みの優秀な作戦で8万の上杉を追い詰め、それに加えて11万や8万の大軍を率いる上杉や武田を関東から退けた。
政治も安定しており、民からも慕われる関東の雄。

2伊達政宗

伊達政宗

伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主。近世大名としては仙台藩の初代藩主である。幼名梵天丸。没後は法名から貞山公と尊称された。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世「独眼竜」の異名がある。

流石、独眼竜

仙台藩を発展させ、強力な藩にしたり、片目が見えないからといって弱いわけではないことを示せた武将です。
周囲の大名にはどうどうと戦を仕掛け、勝ち戦を続けて勢力を広げ、度胸と武力も申し分ありません。しかし関白秀吉には従い、関ヶ原の戦いの時は家康についたので伊達家の未来を守れる武将でもあります。
また、罪を疑われたときに相手の趣味(性格)に合わせたことをして罰を最小限にとどめた天才でもある。

3本多忠勝

本多忠勝

本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。通称は平八郎(へいはちろう)。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。

徳川の豪傑

猛将という意味ですぐに思いつくのはやはり本多忠勝です。
本多忠勝は三方原の戦いや関ヶ原の戦いで大きい活躍を見せて武田でも恐れた。長さ6mの蜻蛉切で敵を苦しめた強さは徳川の家臣で最強と言って良いぐらいです。流石の井伊直政や山県昌景に勝るでしょう。

4井伊直政

井伊直政

井伊 直政(いい なおまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。井伊氏第17代または24代当主。 上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。

政治も得意な徳川四天王

直政は頭も良く、勇敢で赤備えを率いた。
関ヶ原の戦いの時に先陣を正則から奪ったことが、天下人への忠誠心を持っていることがわかる。それに、江戸幕府の支配体制を決めるのに手伝いました。政治力も多くあります。

5真田幸村(真田信繁)

真田幸村(真田信繁)

真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。

強くない,過大評価されてる武将

最初の徳川に突撃したのは毛利だったということや,夏の陣では作戦で巻き返すことができず、ただ突撃をするだけだったので討ち取られたということで信繁は強くないと思います。

6島津義弘

島津義弘

島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主。島津氏18代当主・島津忠恒(のち家久に改名)の父。後に剃髪して惟新斎[注釈 2]と号したため、惟新公(いしんこう)との敬称でも呼ばれた。武勇の誉れ高く「鬼島津」の異名で知られ、戦国(安土桃山)時代でも屈指の猛将として当時から有名であった。日本では「鬼島津」の名で呼ばれ親しまれている。

馬鹿だな

たった1000人で徳川の軍の真ん中を突破なんてできるわけがない。
良い結果が出るなら高評価だが、920人も島津軍が死に、80人しか生き残らなかったことを考慮して島津は馬鹿だと思う。

7織田信長

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが、天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、天下人。

日本一過大評価されてる武将

ヶ崎の戦いでは自分から無茶なことをして家臣を置き去りにして自分だけ敗走。
姉川の戦いでは兵の少ない浅井長政に圧倒されて本陣にまで迫られていた。
和歌川の戦いでは自分の50分の1の兵しかいない雑賀衆にボロ負けした。
いずれも優秀家臣や同盟相手の手助けがないと生き残れずに、信長が討ち討ち取られていた可能性が極端に高い戦で、家臣に守られて生きることができる奴が強いなんておかしいです!!

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