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1位徳川家康
2位北条氏康
室町幕府東日本最強武将
北条氏康は敵を騙し、油断したところを夜襲で襲うという真田並みの優秀な作戦で8万の上杉を追い詰め、それに加えて11万や8万の大軍を率いる上杉や武田を関東から退けた。
政治も安定しており、民からも慕われる関東の雄。
3位伊達政宗
流石、独眼竜
仙台藩を発展させ、強力な藩にしたり、片目が見えないからといって弱く、あまり頼りにならないのではないことを示せた武将です。
周囲の大名には堂々と戦を仕掛け、勝ち戦を続けて勢力を広げ、度胸は満点で、武勇も真田十勇士のいる真田信繁と渡り合えたほど。しかし関白秀吉には従い、関ヶ原の戦いの時は家康についたので伊達家の未来を守れる武将でもあることがいえます。
また、罪を疑われたときに相手の趣味(性格)に合わせたことをして罰を最小限にとどめた天才でもある。
東国の中では、政宗は北条氏康に次いで強くて天才だと思う。
4位島津義弘
力はあるけど馬鹿
たった1000人で徳川の軍の真ん中を突破なんてできるわけがない。
良い結果が出るなら高評価だが、920人も島津軍が死に、80人しか生き残らなかったことを考慮して島津は馬鹿だと思う。自殺行為である。
適中突破で生き残ったことだけを考えて「島津義弘は強い」というのはおかしいと思います。
まあ武力は馬鹿じゃないのはわかってるから10点とかにはしなかったけど。
5位真田幸村(真田信繁)
真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。
過大評価されている武将
最初の徳川に突撃したのは毛利勝永だったうえに,真田十勇士による活躍が大きすぎだった。家康を怖がらせたのは信繁ではなく、真田十勇士だったのである。 夏の陣では堀埋め作戦に巻き返せる強い作戦が思いつかず、ただ突撃をするだけだったので討ち取られたということで信繁は強くないと思います。
6位豊臣秀吉
名前だけの天下人
秀吉は戦に関わっていないで、ずっとリラックスしているだけ。
備中高松城の戦いの時は官兵衛が主君なのと同じだし、賤ヶ岳の戦いの時は加藤・福島・長束などだけの活躍で勝ったということになるし、小田原の時は自分だけリラックスしているだけだった。天下というのは名前だけであり、義は下剋上の世で天下人になれる人材じゃない。 さらに1590年代には2度も明・朝鮮出兵をした。当時の日本とは桁違いの明を甘くみすぎている。それに千利休・豊臣秀次を切腹させていて、官兵衛が思うとうり、秀吉が天下人として日本を治めるのは危険すぎる。名前だけの天下人とはこういうことだ。普通の家臣だったら秀吉を支えてきたことに後悔していたことだろう。
7位織田信長
世界一過大評価されてる武将
金ヶ崎の戦いでは自分から無茶なことをして家臣を置き去りにして自分だけ敗走し、姉川の戦いでは兵の少ない浅井長政に圧倒されて本陣にまで迫られ、和歌川の戦いでは自分の50分の1の兵しかいない雑賀衆にボロ負けた。
いずれも優秀家臣や同盟相手の手助けがないと生き残れずに、信長が討ち討ち取られていた可能性が極端に高い戦であり、信長は今までの活躍のほとんどがが黒田・蒲生・丹波・柴田・竹中・明智・徳川などの家臣団・同盟相手の力だけで成り立っているどころか、勢力維持をすることすらその武将たちの力だけだという。それに、その頼みの綱の家臣も信長の振る舞いのせいで松永・荒木・明智などと勇将が去って行く。信長は弱すぎる。過大評価されすぎである。
無双の頭脳、天下の政策、なかなかの武勇
一つ目は並外れた頭脳です。大坂の陣では大阪城の鉄壁さに苦戦したが、大砲を撃つという戦国のどんな城も落とすことができる策略を思いつき、城取り名人の山本勘助よりすごくいと思います。若い頃も信長は家康に恐れていて、今川家の当主よりもその家臣の家康の方が大きくうつってそうです。また、関ヶ原の戦いで小早川軍が直ぐに動かなかった時も怒って終わりではなく、空鉄炮を撃ち、使者を何度も送り込みました。
二つ目は江戸幕府の支配体制で、源頼朝・足利尊氏・足利義満でも思いつかなかった、大名を貧乏にさせ、力を持たせないようにする政策を使いました。また、他の将軍とは違い、先進した欧州との貿易を積極的に行っていて、それは外国人まで家臣にしているほど。
他に、家康は寺部城攻め・桶狭間の戦いで丸根砦などを攻める時などでなかなかの武勇も発揮しました。
無双の頭脳、天下の政策、なかなかの武勇が揃っている武将は家康ほどしかいません。