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信濃守さんの「戦国武将最強ランキング」

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更新日: 2026/09/10

信濃守

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ランキング結果

村上義清を倒した謀将

武田信玄ですら何度も攻略に失敗し重臣を失った村上義清との戦いを、謀略で終わらせた男。

謀略の暴力。

天童だの白鳥だのその他もろもろ、バカみたいな量の山形の国衆を一つずつ潰し、最上の最大版図を築いてる。だまし討ちや内部崩壊の誘発などを上手く駆使してたのがすごい。山形とか延沢のあたり統一した後でも小野寺氏を謀略で追い詰めてた。武勇にも優れ、大柄で金棒を振り回して戦場に出たとか…
ただ、こんな化け物の最上をタイマンで圧倒したどっかの桜の木引っこ抜く国衆がいたとか…

3島津義弘

島津義弘

島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主。島津氏18代当主・島津忠恒(のち家久に改名)の父。後に剃髪して惟新斎[注釈 2]と号したため、惟新公(いしんこう)との敬称でも呼ばれた。武勇の誉れ高く「鬼島津」の異名で知られ、戦国(安土桃山)時代でも屈指の猛将として当時から有名であった。日本では「鬼島津」の名で呼ばれ親しまれている。

3島津家久

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島津 家久(しまづ いえひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。島津氏の家臣。島津貴久の四男。母は本田丹波守親康の女。

沖田畷

クマさんを討ち取ったのがデカすぎる
これで九州三国時代が終わり島津の九州覇権が実現した九州の天下分け目

4毛利元就

毛利元就

毛利 元就(もうり もとなり)は、戦国時代の武将。毛利氏の第12代当主。 安芸(現在の広島県西部)吉田荘の国人領主・毛利弘元の次男。毛利氏の本姓は大江氏で、大江広元の四男・毛利季光を祖とする。家紋は一文字三星紋。

4真田昌幸

真田昌幸

真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。 甲斐国の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。 軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像としてよく知られ、武田二十四将の一人にも数えられることがある。子に真田信之(上田藩初代藩主)、真田信繁(真田幸村)ほかがいる。他にもお初という織田信長の使いに入った真田の子という説もある

正直真田信繁より全然上

天正壬午もそれ以前も含め外交的な立ち回りも上手い。築城や計略にも長けていたし、毛利元就とか宇喜多直家とかと普通に張り合える戦国トップクラスのサバイバー

もっと評価されろ!

どうしても朝鮮出兵と関ヶ原で大暴れした義弘と、沖田畷でクマさんを討ち取った家久に目が行きがちだけど、義弘、歳久、家久の三人の弟を上手く配置し統率したのは紛れもなく義久の功績。あと戦いの前にくじを利用して兵士の士気を高めるなど、政治力も高かったらしいです。

5武田信玄

武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。

6長宗我部元親

長宗我部元親

長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての土佐国の戦国大名。長宗我部氏第21代当主。位階は従五位下で死後に正五位、昭和3年(1928年)には正三位が贈られた。

土佐の出来人

長浜の戦い(本山氏との戦争)の時点で武勇の才覚を現してるし、四国統一という偉業のインパクトもある。
後半減封と信親の死で没落していったのは運がなかったとしかいえない…

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