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1位織田信長
2位大谷吉継
文武を兼ね備えた人格者
もし、この人に一万以上の兵があったなら、小早川の裏切りの前に序盤で東軍を切り崩しいただろう。義理婿の真田信繁と二分するほどのモノノフ。そして何よりも人柄良い。ハンセン病で他の豊臣家臣から、煙たがられても変わることなく人格であった
2位真田昌幸
真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。 甲斐国の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。 軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像としてよく知られ、武田二十四将の一人にも数えられることがある。子に真田信之(上田藩初代藩主)、真田信繁(真田幸村)ほかがいる。他にもお初という織田信長の使いに入った真田の子という説もある
4位真田幸村(真田信繁)
真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。
温厚で気配りの人
大阪の夏・冬の陣に於いて真田丸以外主張はことごとく否定され思案通りにはいかなかった。父の昌幸であったら勝てないまでも、負けなかった様に思う。それでも信繁は出来ることを力の限り尽くした日ノ本一のモノノフ
4位石田三成
大一大万大吉
「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる」この言葉通りの人。頭脳明晰、天才。ただあまりにも天才ゆえに「なぜこんな事が分からないのか」と思い他の人がアホウに見える。物事が見えすぎるのだ。それが人望のなさに繋がって恨みをかう。
6位豊臣秀吉
7位徳川家康
日本を敗戦国にした狸おやじ
もっとも愚政策な鎖国をもって、当時欧州諸国にも負けない程の軍事強国だった日ノ本の発展を阻害した。徳川幕府、一強のために他藩の力を削く政策を200年続け日本の近代化は20年は遅れた、もし日本人(アジア人)が欧米諸国と対等に渡り合っていたなら、当時の白人至上主義もかなり変わっていた。アジアの多くはもっと早くに独立出来ていたかもしれないしそもそも日本の後押しがあれば、植民地化されない国もあったであろう。そうなれば大東亜戦争もなかったかもしれない。徳川の罪はあまりにも大きい
正教分離
日本に宗教的な対立がないのは、この人のおかげ
古き悪しき物壊し、作り直す歴史上それが出来る唯一無二の人