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初瀬後基さんの「戦国武将最強ランキング」

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更新日: 2024/07/30

初瀬後基

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ランキング結果

1織田信長

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが、天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、天下人。

第六天魔王こと心優しき名主君

信長は設定が盛りに盛られて極悪なイメージが付いているが実はそんなことないというのが今の通説。
とはいえ、戦の強さはホンモノ!
当時、海道一の弓取りといういわばほぼ日本一という最強たる称号で名を馳せ、戦国時代でまず最初に天下取りに近かった存在だったであろう今川義元を桶狭間で倒したのは凄い!そこで付けた勢いのまま各地を征服できたが天下まではあと一歩……無念。

2今川義元

今川義元

今川 義元(いまがわ よしもと)は、戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。姉妹との婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義理の兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ東海道の広大な地域の支配者。 寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才覚を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで領土を拡大させた。戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長軍に敗れて毛利良勝(新助)に討ち取られた。

戦国一、誤解された猛将且つ名君

このお方はあまりにも世間で誤解され過ぎている。弱かった大名が強豪揃いの東海道で『海道一の弓取り(東海道一の武将)』と呼ばれると思いますか?
内政(統治)に関しても非常に優秀であったりなど「天は二物を与えず」が適用されないほどの存在……公家風弱小大名だなんてとんでもない!ゲームなら必ず最後に出てくるラスボス!魔王のような存在である!信長がまず最初に魔王を倒したからこそ、その後は一気に勢力を広められ、信長自身が魔王と呼ばれるようになったのだと思っております(ゲーム以降のくだりはかなり砕いて脚色していますが、実際に史実を見たら上記のような捉え方をした妄想もできるのではないかと考えております……)。

3上杉謙信

上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。

越後の龍は伊達じゃない

天晴れなほどの戦上手。彼の土地、新潟では時折り武勇で名を馳せる武士がポッと急に出てくるのか誠に謎である……。

3武田信玄

武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。

なんだかんだ甲斐の虎

内政に関しては先進的な今川を参考にしたりしていたとのこと。だからといって評価が下がることはない……やっぱりなんだかんだ武田の赤備えは強いからの!

4島津義弘

島津義弘

島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主。島津氏18代当主・島津忠恒(のち家久に改名)の父。後に剃髪して惟新斎[注釈 2]と号したため、惟新公(いしんこう)との敬称でも呼ばれた。武勇の誉れ高く「鬼島津」の異名で知られ、戦国(安土桃山)時代でも屈指の猛将として当時から有名であった。日本では「鬼島津」の名で呼ばれ親しまれている。

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