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イリエーヌちゃんさんの「戦国武将最強ランキング」

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更新日: 2023/10/10

イリエーヌちゃん

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ランキング結果

1織田信長

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが、天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、天下人。

頭脳明晰、臨機応変

織田信長、本当に天下統一あと一歩で力尽きてしまったんだけど、本当にすごいと思う。尾張国の守護代一族から様々な戦を経てここまで残ってきたのはもはや怪物としか言いようがない。更に戦の合間には多くのものが考えつかなかったような制作を次々と実行に移していく。これはもはや万能人間ですね。ただ、その万能人間にもやはり欠点があって、ちょっと家臣とにコミュニケーションがうまくありませんでしたね。明智くんも可哀想な気がしますが・・・。

2斎藤道三

斎藤道三

斎藤 道三/利政(さいとう どうさん/としまさ)は、戦国時代の武将。美濃の戦国大名。道三流斎藤氏初代当主。名としては、長井規秀(新九郎)・長井秀龍(新九郎)・斎藤利政(新九郎)・道三などが伝わるが、書状などに現れているのは、藤原(長井)規秀・斎藤利政・道三などのみである。美濃の蝮(マムシ)という綽名でも知られる。

謀略の神

いやすごすぎます。長井長弘とかお世話になった方々容赦なく毒殺してますよね。土岐頼純とか、色々。多分土岐頼充も彼が暗殺したんだと思います。でも、よく考え方これこの時代にはすごく合理的なんですよね。戦とかで政敵を滅ぼそうとすれば、大きな犠牲を払うことになる。そういうことをせずに単純に自分の力を広げる方法の一つが、毒殺なんですよ。楽市楽座も彼が原型じゃないですかねー。信長の先輩みたいな人なんですよ。すごいです。ただ、息子の器量は何故か見抜けなかったんですよね。道三も年ですかね。だからこの点数です。

3武田信玄

武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。

戦上手

戦国一の戦上手とは、よく言ったものです。ホントそうですよね。負け戦が二回だけらしいし。戦の部分だけだったら信玄が一位ですよ。敵に塩を送るなんて言葉もあるから、義理堅いんでしょうねー。理想の武将です。

4豊臣秀吉

豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、旧字体: 豐臣 秀吉)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。

怖い

いや、尾張中村の農民出身で関白とかありえない。おまけに太閤検地・・・・・!?もはや人外。恐怖でしかない。

5徳川家康

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康(まつだいら もとやす)。戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開府し征夷大将軍となる。三英傑のひとり。

最終的に天下人

やっぱり、最終的に天下を取ったんだから、トップ5には入れておくべきでしょう。信長、秀吉に学び、天下統一まで果たすとは、二人に負けない化け物です。しかし、どうもずるさが強調されがちですね。も最後に豊臣家を滅ぼしたのも、必然的な行動だったんでしょうが・・・いやはや難しい。

6上杉謙信

上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。

名将

敵に塩を送るという言葉を生み出したぐらいだから、義に厚いのかな。戦もうまいですよね。信長に勝ってますし。でも遠征前に死んじゃったし、なんかパッとしませんね。

7北条早雲

北条早雲

北条 早雲(ほうじょう そううん)こと伊勢 宗瑞(いせ そうずい)は、室町時代中後期(戦国時代初期)の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖・初代である。早雲の代の時はまだ伊勢姓であった。早雲は戦国大名の嚆矢であり、その活動は東国の戦国時代の端緒として歴史的意義がある。

政治家

日本初の検地を行ったらしいですね。これはすごいことだと思うんですよ。戦も上手です。世渡りもうまいし、農民たちのこともちゃんと考えてる。まさに理想の政治家タイプ。今の日本には、こういう人がほしいんですよ。

8毛利元就

毛利元就

毛利 元就(もうり もとなり)は、戦国時代の武将。毛利氏の第12代当主。 安芸(現在の広島県西部)吉田荘の国人領主・毛利弘元の次男。毛利氏の本姓は大江氏で、大江広元の四男・毛利季光を祖とする。家紋は一文字三星紋。

コミュニケーション能力高すぎませんか

家臣の心をつかむのがとにかくうまい。政治家としても一流だし、おまけに戦においても兵法をよく心得ている。万能人間としては、信長以上かも・・・・・。

9今川義元

今川義元

今川 義元(いまがわ よしもと)は、戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。姉妹との婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義理の兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ東海道の広大な地域の支配者。 寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才覚を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで領土を拡大させた。戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長軍に敗れて毛利良勝(新助)に討ち取られた。

桶狭間で負けていなければ・・・

桶狭間で討ち死にしなければ、もう少し歴史に名を残す偉業をしたかもしれないのに。本当に有能な人ですよ。兵法もわかってるし。酒によって打たれたなんて信じられない。

軍略家

釣り野伏、すごいですね。これ大体の武将に通用すると思うんですよ。これをバンバン使って、あともう少し畿内に近かったら良かったですね。まあ、それでも信長がいるから天下取りは難しいでしょうけど・・・。

10真田昌幸

真田昌幸

真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。 甲斐国の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。 軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像としてよく知られ、武田二十四将の一人にも数えられることがある。子に真田信之(上田藩初代藩主)、真田信繁(真田幸村)ほかがいる。他にもお初という織田信長の使いに入った真田の子という説もある

策士

軍略家真田昌幸は、表裏比興の者と評されたほどの策略家。上田合戦での戦いぶりを始め、各合戦での働きはまさに超人。天下に名を残せなかったのは非常に残念。

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