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三成に過ぎたるものが2つあり 島の左近と佐和山の城」

そのあと、次の天下人の座をめぐり、明智光秀と「羽柴秀吉」(はしばひでよし:のちの[豊臣秀吉])の間で戦が勃発。明智光秀は、戦場の近くにある「洞ヶ峠」(ほらがとうげ:京都府八幡市と大阪府枚方市の境に位置する峠)に陣を敷いていた筒井順慶に対して、再三の応援要請を出します。しかし、筒井順慶は一歩も動きません。これは「筒井家」に仕える軍師「島左近」が、明智光秀の負けを見越して、「今は動くべきではありません」と指示したからだと言われているのです。

1598年(慶長3年)、豊臣秀吉が病に倒れます。このときから、次の天下人を目指して活動を開始したのが「徳川家康」でした。

これを知った島左近は、「このままでは、いつか徳川家康が天下を取る。そうなれば、豊臣秀吉にもっとも可愛がられていた上様[石田三成]が、真っ先に殺される。しかし徳川家康は、上様がまともに戦って勝てる相手ではない。どうしたものか」と危機感を募らせます。

そこで島左近は、密かに徳川家康の暗殺計画を立て、豊臣秀吉が没した翌日、その実行の許可を主君・石田三成に求めたのです。しかし石田三成は、これを即座に却下。「暗殺は姑息な手段であり、私は好きではない」というのがその理由。ここが現実主義者の島左近と、理想主義者である石田三成の違いであり、仕官前の島左近による予想が当たってしまったと言えるのです。

このときに島左近は、「徳川家康は世間体を気にするため、助けを求めてきた者を見捨てることはしない。むしろ助けておき、犯人グループの憎しみを維持させたほうが好都合と計算するはず」と考えたのです。その目論見通りに徳川家康は、「石田三成は佐和山城で謹慎させるから許してやれ」と7名の武将達に告げ、この事件は収まります。しかし、島左近は転んでも、ただでは起きない男。交渉の隙を見て徳川家康の暗殺を企て、石田三成に提案しますが、これも却下されてしまいました。

エンドウ

エンドウさん(男性)

5位(96点)の評価

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