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祖先武田家家臣だった人さんの「戦国武将最強ランキング」

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更新日: 2023/02/23

祖先武田家家臣だった人

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ランキング結果

1武田信玄

武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。

うん!最強だね!!

信玄堤・甲州金などなど国作りもすごく戦にも強いまさに最強で「甲斐の虎」にふさわしい!!
いろいろな有名な逸話も多々あり上杉謙信ともライバルとして互いを認めあってたとかやっぱり心根も優しいんだろうな〜
ただ一つ残念なとこは長男であり将来有望だった武田義信を殺してしまったことかな〜
もしかしたらあの時から武田の滅亡は始まっていたのかも・・・
武田信玄といえばあの超有名な武田騎馬隊だよね
でも当時の馬はポニーのような小柄な馬だった説もあって武田騎馬隊は存在しなかったかもしれないんだって・・・
いや〜歴史って奥が深いね。
武田信玄ってすごい有名だけどその中でも川中島の戦いだよね。
あの「越後の龍」と呼ばれていた上杉謙信と一騎打ちをしたっていういや〜まじかっけぇ〜
あの戦国の革命児と呼ばれた信長が最も恐れた武将が武田信玄なんだって
しかも天下統一した徳川家康も罠にはまってボコボコにされたしねw
武田信玄勇ましい・・・
これらの理由から武田信玄に太鼓判押すよ!!

2島津義弘

島津義弘

島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主。島津氏18代当主・島津忠恒(のち家久に改名)の父。後に剃髪して惟新斎[注釈 2]と号したため、惟新公(いしんこう)との敬称でも呼ばれた。武勇の誉れ高く「鬼島津」の異名で知られ、戦国(安土桃山)時代でも屈指の猛将として当時から有名であった。日本では「鬼島津」の名で呼ばれ親しまれている。

島津の退き口

鬼島津や島津の退き口で超!有名な戦国武将です。
あの無謀な関ヶ原の戦いでの家康本陣に突撃し見事薩摩(現在の鹿児島県の一部)に生還した。
でも・・・それはたくさんの兵や島津豊久などなど義弘を慕っていた人たちの活躍がとても大きいです。
そして島津家は幕末に西郷隆盛などの幕末や明治に貢献したひとをたくさん排出してますね。
本当!にすきですね
(武田信玄の次に)

3織田信長

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが、天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、天下人。

戦国の革命児

確かに超!!有名な大名だけどう〜〜んもっっっっと家臣を信じて丁寧に扱ってください!

その恨みで明智光秀さんに謀反を起こされちゃったんだよ!
でも戦国時代は織田信長なしでは語れないんじゃないかな!!!!

4島津豊久

No Image

島津 豊久(しまづ とよひさ)は、安土桃山時代の武将。島津氏の家臣。島津家久の息子。

なんでこんなに低いの!?

えめっちゃいい人じゃん!

5徳川家康

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康(まつだいら もとやす)。戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開府し征夷大将軍となる。三英傑のひとり。

え?低くない?

天下統一したんだよ?
300年平和な時代を作ったんだよ?

6伊達政宗

伊達政宗

伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主。近世大名としては仙台藩の初代藩主である。幼名梵天丸。没後は法名から貞山公と尊称された。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世「独眼竜」の異名がある。

あと20年早かったら・・・

伊達政宗東北の圧倒的?覇者あと20年早く生まれていれば天下を取れていたかも・・・?
でも自分てきには伊達政宗の領地と京都って遠すぎるから難しかったんじゃないかな?
でもやっぱりかっこいいよ!

7真田幸村(真田信繁)

真田幸村(真田信繁)

真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。

嵐の武将

豊臣秀吉が信繁に100万石を与えて秀頼を守らせたら、豊臣家の運命も変わっていたかもしれない
真田家は一族全員優秀 真田信綱:交渉が得意 真田信幸(信之):信繁の兄、政治が得意で、数々の特産品を生み出している 真田昌幸:信繁の兄で表裏比興と呼ばれた。策士で、少ない兵力で大軍に勝つのが得意

う〜ん、、、一つ思ったこと みんな強強じゃん

8毛利元就

毛利元就

毛利 元就(もうり もとなり)は、戦国時代の武将。毛利氏の第12代当主。 安芸(現在の広島県西部)吉田荘の国人領主・毛利弘元の次男。毛利氏の本姓は大江氏で、大江広元の四男・毛利季光を祖とする。家紋は一文字三星紋。

頭脳

頭脳戦が得意なイメージがあり野望がなく天下は狙わなかったが野望があったら天下を取っていたんじゃないか・・・?と思う
ただの陪臣(家臣の家臣)だったのに厳島の戦いで一気に身を起こして中国地方の覇者に!
三本の矢の教えも実話ではないけど元就らしい
跡継ぎの毛利輝元は武将としてはうんまあ2流だけど・・・
でも輝元を小早川隆景と吉川広家の二人でもり立てた
頭脳戦は最強何じゃないかと思う

思ったより下

いや思ったより下だな
信長の跡継ぎとして優秀だったんじゃ・・・

10石田三成

石田三成

石田 三成(いしだ みつなり)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。佐和山城主。豊臣政権の奉行として活動し、五奉行のうちの一人となる。豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織したが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑された。

忠義に厚い

確かに忠義はすごいが正義と無謀は違うのでは・・・?と思う
だが戦はあまりでも政治面ではとても優れていた

11今川義元

今川義元

今川 義元(いまがわ よしもと)は、戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。姉妹との婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義理の兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ東海道の広大な地域の支配者。 寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才覚を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで領土を拡大させた。戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長軍に敗れて毛利良勝(新助)に討ち取られた。

弱いっていうレッテルを貼られてる・・・

当時は天下に一番近いと言われていたのに織田信長に桶狭間の戦いで破れちゃった・・・
うぅ我らが武田と同盟結んでたのに!!
織田信長許すまじ!!

(まあ信長が好きだけど)

12南部晴政

南部晴政

南部 晴政(なんぶ はるまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。陸奥国の戦国大名。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系、河内源氏の傍系、甲斐源氏の流れを汲む。南部氏24代当主。

ホントだ

確かに信直だ

いいけど・・・

確かに名将だけど3位は・・・・・・

肥前の熊

沖田畷の字違うぞ〜

別に好きではない

弁護に回らせてもらうと上田合戦第2次のときに初陣だった
つまり初めての戦
しょうがないっちゃしょうがない

、、、、、、、、、

政治「だけ」は上手

うん、、、、アハ、、

なんていうか、その〜第一次九州征伐での総大将
だがこいつは島津の強さにビビり他の武将をおいて逃げてった!
そのせいで豊臣軍は惨敗、長宗我部元親は優秀な跡継ぎが戦死、、、
む、無能、、、?

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