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Tindersexさんの「戦国武将・大名ランキング」

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更新日: 2021/02/28

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まえがき

桶狭間の戦い時点で生きてる人のみです。

ランキング結果

1毛利元就

毛利元就

毛利 元就(もうり もとなり)は、戦国時代の武将。毛利氏の第12代当主。 安芸(現在の広島県西部)吉田荘の国人領主・毛利弘元の次男。毛利氏の本姓は大江氏で、大江広元の四男・毛利季光を祖とする。家紋は一文字三星紋。

一介の国人領主から西国一の大大名へ。何をしても満点。

一万石程度の国人領主から謀略、合戦、外交などを使いこなし百八十万石までに成長したThe戦国武将。
天下を狙える程の器だった。

戦国史上初の天下人、信長の先駆け。

東四国から畿内全域を治めたまさに天下人。
主家を乗っ取り幕府の実権を握るなどまさに下克上の体現。

3北条氏康

北条氏康

北条 氏康(ほうじょう うじやす)は、戦国時代の武将。相模国の戦国大名。後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。後北条氏第3代目当主。母は氏綱の正室の養珠院。 関東から山内・扇谷両上杉氏を追うなど、外征に実績を残すと共に、武田氏・今川氏との間に甲相駿三国同盟を結んで関東を支配し、上杉謙信を退け、後世につながる民政制度を充実させるなど、政治的手腕も発揮した。後北条氏当主として19年間、隠居後も後継者である第4代当主北条氏政との共同統治を12年間続け、30年以上にわたって後北条氏を率いた。

なんでも出来る相模の獅子、信玄や謙信すら恐れた男。

先見性のある政治を行い領民の心を掴んだ。
さらに戦も得意で河越夜戦では10万を超える大軍を撃破したまさに名将。

4徳川家康

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康(まつだいら もとやす)。戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開府し征夷大将軍となる。三英傑のひとり。

戦国最後の勝者。260年続く江戸幕府の祖。

最後に勝った人1番なのです。

5豊臣秀吉

豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、旧字体: 豐臣 秀吉)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。

乱世を納めた男。晩年以外は無敵。

晩年さえなければ1位にすらなれた。
戦上手で人心掌握もお手の物。

6武田信玄

武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。

信長すら畏れた甲斐の虎。

甲陽軍鑑の誇張が多いから分からない。

7織田信長

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが、天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、天下人。

戦国の覇王。

謀反の連発と案外保守的な思想なので実像はかけ離れている。

8真田昌幸

真田昌幸

真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。 甲斐国の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。 軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像としてよく知られ、武田二十四将の一人にも数えられることがある。子に真田信之(上田藩初代藩主)、真田信繁(真田幸村)ほかがいる。他にもお初という織田信長の使いに入った真田の子という説もある

その策略、まさに戦国無双。

徳川家康との戦いでもそうだが武藤喜兵衛の頃から凄かった。

9松永久秀

松永久秀

松永 久秀(まつなが ひさひで)は、戦国時代〜安土桃山時代の武将。大和国の戦国大名。官位を合わせた松永 弾正(まつなが だんじょう)の名で知られる。弟に長頼、嫡男に久通、久秀の甥で松永家の姓を継承した永種(貞徳の父)。

畿内を席巻した裏切り者……では無い。

将軍も殺してないし主家も乗っ取ってないし寺も焼いていない。
しかし三好家の家老として成り上がった実力は本物。

10長宗我部元親

長宗我部元親

長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての土佐国の戦国大名。長宗我部氏第21代当主。位階は従五位下で死後に正五位、昭和3年(1928年)には正三位が贈られた。

姫若子から鬼若子へ、鳥なき島の蝙蝠は案外凄い。

鳥なき島の蝙蝠と揶揄されているが1万石にも満たない最弱国人が100万石近い領土を有したのは伊達じゃない。
実は鉄砲貿易に力を入れていた。

11黒田官兵衛(黒田孝高)

黒田官兵衛(黒田孝高)

黒田 孝高(くろだ よしたか、旧字体:黑田 孝高)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった。 諱(実名)は初め祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、のち孝高といったが、一般には通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)として広く知られる。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。竹中重治(半兵衛)とともに秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。

西国諸将を悩ませた謀将。

毛利、長宗我部、島津と渡り合い勝利を続けた名将。

島津軍をまとめあげた実力者。

よく義弘や家久が評価されるがそもそも彼が優れていないと弟も着いてこない。

13上杉謙信

上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。

越後の龍の内政は?

後継者問題で揉めたので評価は低い。

14立花宗茂

立花宗茂

立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。大友氏の一族で、重臣。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将は他にもいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である。 なお、宗茂は晩年の名乗りであり、幾度も名前を変えているが、本項では便宜的に宗茂で統一する。

西国無双。

寡兵で島津軍を圧倒した名将。

肥前の熊はネタじゃない。

某番組ではネタにされていたが実際はすごい人である。

北条軍と渡り合った鬼義重。

北条軍と何度も戦い伊達政宗を恐れさせた猛将。

17小早川隆景

小早川隆景

小早川 隆景(こばやかわ たかかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。竹原小早川家第14代当主。後に沼田小早川家も継ぐ。

毛利家の宰相。

黒田官兵衛すら評価した天才。

羽州の狐は伊達より凄い。

戦上手で長谷堂城の戦いは有名。

19明智光秀

明智光秀

明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。戦国大名・織田信長に見出されて重臣に取り立てられるが、本能寺の変を起こして主君を自害させた。直後に中国大返しにより戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れる。一説では、落ちていく途中、小栗栖(現・京都府京都市伏見区小栗栖)において落ち武者狩りで殺害されたとも、致命傷を受けて自害したともされる。

織田軍最強部隊の指揮官。

もっと上でも良いかもしれない。

実はすごいぜ大友宗麟。

南蛮貿易の利益を理解し大砲などを装備し毛利、島津と渡り合った。

21鍋島直茂

鍋島直茂

鍋島 直茂(なべしま なおしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、実質的には大名。戦国大名・龍造寺隆信の家老。肥前佐賀藩の藩祖。

龍造寺隆信の懐刀。

滅びかけた龍造寺家をまとめあげた名君。

22伊達政宗

伊達政宗

伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主。近世大名としては仙台藩の初代藩主である。幼名梵天丸。没後は法名から貞山公と尊称された。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世「独眼竜」の異名がある。

政治は得意な独眼竜。

実はとんでもない戦下手。
しかしそれ以外はだいたいできる。

天下人にすらなりえた男。

過小評価されているが一時的に京都を支配していた。

24今川義元

今川義元

今川 義元(いまがわ よしもと)は、戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。姉妹との婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義理の兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ東海道の広大な地域の支配者。 寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才覚を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで領土を拡大させた。戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長軍に敗れて毛利良勝(新助)に討ち取られた。

東海一の弓取り。

今は再評価されてるぜ!

真田家を残した名君。

弟よりすごい。

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