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【人気投票 1~140位】戦国武将・大名ランキング!最も愛される戦国時代の武将は?

仁科盛信片倉景綱高橋紹運

このお題は投票により総合ランキングが決定

ランクイン数140
投票参加者数4,259
投票数23,124

みんなの投票で「戦国武将・大名の人気ランキング」を決定!戦国時代に活躍した「戦国武将・大名」は、大河ドラマや歴史の教科書などにより、現代の人々にも馴染み深い存在です。楽市楽座を実施して経済を重視したと言われている型破りの戦国武将「織田信長」をはじめ、女性だったという説も存在する不敗の軍神「上杉謙信」、奥州の覇者と言われている隻眼の戦国武将「伊達政宗」などがランクイン?あなたが好きな、戦国時代の武将・大名に投票してください。

最終更新日: 2025/04/15

注目のユーザー

瀧津 孝

専門家作家・日本史激動期研究家

瀧津 孝

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ランキングの順位について

ランキングの順位は、ユーザーの投票によって決まります。「4つのボタン」または「ランキングを作成・編集する」から、投票対象のアイテムに1〜100の点数をつけることで、ランキング結果に影響を与える投票を行うことができます。

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ランキング結果

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61仁科盛信

58.4(59人が評価)
仁科盛信

仁科 盛信(にしな もりのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。家紋は、割り菱紋と丸に割り菱紋。 末期に織田信長の甲州征伐に際して一族・重臣の逃亡や寝返りが続く中、高遠城において最後まで抵抗し、討死した。 (引用元: Wikipedia)

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簡単に言えば幸村の先駆

武田の凋落期で唯一といっていいほど徹底的に織田に抗った武将。幸村も好きだけどこっちも負けないぐらい果敢なイメージ。強いて言うならこっちは幸村以上に負け試合だったかな…

マイナーなのが残念。

ちとせ

ちとせさん

3位(90点)の評価

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すごい

すごいけど結構マイナー
幸村と同じことをしている

ひろみさん

2位(85点)の評価

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62片倉景綱

58.2(32人が評価)
片倉景綱

片倉 景綱(かたくら かげつな)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。伊達家の家臣。伊達政宗の近習となり、のち軍師的役割を務めたとされる。仙台藩片倉氏の初代で、景綱の通称小十郎(こじゅうろう)は代々の当主が踏襲して名乗るようになった。兜は、神符八日月前立筋兜。 (引用元: Wikipedia)

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竜の右目

政宗が他の家臣から凡才と評価されていた中、1人非凡と評価して生涯政宗に付き従った忠義人!小十郎の忠義はとても素晴らしい!

まことさん

1位(100点)の評価

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独眼竜・政宗の忠誠心はすごい

政宗の右目が見えなくなった時、右目をくり抜いた。すごい。

戦国武将すごい‼️さん

3位(80点)の評価

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忠誠がすごい

主君へのちゅうしんがすごい政宗のこぶをなをそうとしたときあしをやいた。

名無しさん

1位(100点)の評価

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63高橋紹運

58.2(163人が評価)
高橋紹運

高橋 紹運(たかはし じょううん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後大友氏の家臣。吉弘鑑理の子で、立花宗茂の実父にあたる。 紹運は法名であり、初めは吉弘 鎮理(よしひろ しげまさ / しげただ)、のちに大友宗麟の命令で筑後高橋氏の名跡を継ぎ、高橋 鎮種(たかはし しげたね)と称した。 (引用元: Wikipedia)

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忠義一筋の玉砕戦で主家を助ける

君主に対する絶対的な忠義が家臣の心得とされるようになったのは、儒教が浸透した江戸時代以降のことです。戦国時代、忠義は確かに武士として重要な徳目ではありましたが、頼りにならない主君、正当に評価してくれない主君と見れば、家臣は躊躇なく主従の関係を断ち切り、他家に仕えるのが常でした。

そんな中で、衰亡する主家を見捨てず、抜群の〝忠義の士〟として歴史に名を刻んだのが紹運です。戦国最強とも評される勇将・立花宗茂の実父であり、豊後(大分県)に君臨する大友家の有力な重臣として各地を転戦しました。
一時は九州の大部分を制覇した大友家も、薩摩・大隅([続きを読む]

瀧津 孝

作家・日本史激動期研究家

瀧津 孝さん

2位(85点)の評価

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まさに忠義の鏡と言われるラストサムライ

子の立花宗茂の方が有名かもしれません。立花宗茂も非常に魅力的な武将でありますが私は高橋紹運を推します。大友家の重臣としての役割を全うし、最後はわずか700名の兵で2万を超える島津の大群に挑んで壮絶な死を迎えます。

最後まで降伏することなく玉粋するわけですが、島津軍はこの戦いで3000もの兵を失い大きなダメージを受けます。また島津軍の中にも彼の死を惜しむものは多く、自らの信じる道を突き進み、そして散っていった武将です。戦国武将の中には後の武士道とは真逆の人物も多い中、まさしくラストサムライにふさわしい人物であると考えます。

また婚約[続きを読む]

金谷 俊一郎

歴史コメンテーター

金谷 俊一郎さん

3位(70点)の評価

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宗茂の父

降伏せずに最後まで岩屋城で戦った忠義の人

ゲスト5さん

2位(95点)の評価

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64三好長慶

58.1(94人が評価)

戦乱の時代に平和を築いた武将

日本全国に戦乱が広がった戦国の世においてまるで台風の目のように京洛の平穏をもたらした武将が三好長慶。
スペインで発見された文書では日本の支配者の移り変わりとして三好織田豊臣徳川と三英傑と同等の扱い。江戸初期には天下人の第一人者とみなされていたが徳川の御用学者によって貶められた。
松永久秀の下剋上というのは捏造で、実際は主家を支えた忠臣というのが史学上の評価だという。(三好三人衆と対立したのは息子の松永久通で、久秀は長慶の息子義継の死に落胆し隠居していた。)
寺社や朝廷、将軍など諸勢力のバランスの上に成り立つ政権は彼の死後崩壊するが、それは彼の存在の大きさを物語っている。

ゲストさん

4位(85点)の評価

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戦国史上初の天下人、信長の先駆け。

東四国から畿内全域を治めたまさに天下人。
主家を乗っ取り幕府の実権を握るなどまさに下克上の体現。

Tindersex

Tindersexさん

2位(98点)の評価

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これは偶然なの?

三好長慶の幼名は、千熊丸。実は、足利義昭も同じで、これは、偶然かも。

みこかんさん

3位(92点)の評価

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65毛利勝永

57.7(52人が評価)

真田に隠れてるけど…

大坂夏の陣では真田幸村の捨て身の突撃が有名だが、毛利も家康の本陣に突撃して蹴散らす活躍を見せていた猛将。めっちゃ好き。

毘沙門天の子さん

4位(97点)の評価

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66本多正信

57.5(48人が評価)
本多正信

本多 正信(ほんだ まさのぶ)は、戦国時代から江戸時代前期の武将・大名。徳川家康の家臣で、江戸幕府の老中。相模国玉縄藩主。正信系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。 徳川家康が抱える鷹匠から身を興したが、三河一向一揆に与して鎮圧後に三河を出奔。一時松永久秀に仕えた後に数年から10年以上の間を流浪の身として送る。後に許されて家康のもとへ帰参し、江戸開府後は家康、次いで2代将軍・徳川秀忠の側近として幕政の中枢にあり権勢を振るった。 (引用元: Wikipedia)

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立場を超えた仲の良さ

主君と家臣という立場を超えて家康と仲良しだったのが素敵です。

srさん

4位(100点)の評価

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67高坂昌信

57.2(32人が評価)

68島津歳久

57.0(38人が評価)

秀吉を狙撃

豊臣と島津の戦いで義久や義弘が降伏するなか、最後まで徹底抗戦し、秀吉を狙撃。もう少しで秀吉を倒すとこまでいったのは凄い。

まこさん

1位(100点)の評価

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69後藤又兵衛(後藤基次)

56.8(37人が評価)
後藤又兵衛(後藤基次)

後藤 基次(ごとう もとつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。黒田氏、豊臣氏の家臣。通称は後藤 又兵衛(ごとう またべえ)。黒田孝高(如水)、黒田長政、豊臣秀頼に仕え、数多くの軍功を挙げ、江戸時代に、「黒田二十四騎」「黒田八虎」、また大坂の陣の講談や軍記物語などで豪傑な英雄として描かれ、「大坂城五人衆」の一人に数えられた。(引用元: Wikipedia)

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大坂の陣で活躍

黒田長政と仲が悪くなって浪人になった時に暮らしていた所が近くにある。

毘沙門天の子さん

7位(94点)の評価

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70毛利隆元

56.4(37人が評価)

71北条綱成

56.1(24人が評価)

後北条氏1の猛将

元々は今川家臣福島氏(くしまし)の
子なのだが、その福島が戦いでやらかし北川殿
により北条氏綱の養子的な立場になった。
その後、氏綱の娘を嫁がせ北条一門衆と
なった。川越城主→玉縄城主

相模の獅子さん

1位(100点)の評価

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72龍造寺隆信

56.0(38人が評価)

肥前の熊はネタじゃない。

某番組ではネタにされていたが実際はすごい人である。

Tindersex

Tindersexさん

15位(65点)の評価

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73清水宗治

55.8(31人が評価)

死して永遠に名を残した武士の鑑

主家と部下のために命を捧げた、寂しくも崇高な生き様

まっさー

まっさーさん

3位(75点)の評価

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74太原雪斎

55.8(20人が評価)

太原 雪斎/太原 崇孚(たいげん せっさい/たいげん そうふ)は、戦国時代の武将・政治家。臨済宗の僧侶(禅僧)で今川家の家臣。諱は崇孚。雪斎の号は居住した場所に「雪斎」と書かれた扁額があったことが由来。 (引用元: Wikipedia)

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今川も

この人がいなければ義元は海道一の弓取りではないはず

歴史が好きな(小5)さん

2位(90点)の評価

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家康の先生

この人がいなければ家康は無教養で元服してた。

srさん

6位(80点)の評価

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75立花誾千代

55.6(93人が評価)
立花誾千代

立花誾千代(たちばな ぎんちよ、永禄12年8月13日(1569年9月23日) - 慶長7年10月17日(1602年11月30日))は、戦国時代の女性武将。(引用元: Wikipedia)

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カッコいい

7歳で女当主になった。あと200人の侍女を武装させて、訓練させていてとてもカッコいい‼️

戦国時代大好き‼️さん

3位(90点)の評価

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女当主

ぎん千代は跡取りとして育てられ、七歳で当主になりました。しかも、二百人ものの侍女たちを武装させ、訓練させていました。

サーサさん

2位(85点)の評価

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カッコイイ!

7歳で女城主になった姫。

さん

2位(97点)の評価

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76結城秀康

55.5(39人が評価)

77甲斐姫

55.5(27人が評価)

カッコイイ❤️

小田原攻めの時に波切丸を手に出陣し、敵に斬り込み、翻弄しました。
大坂夏の陣のあと、豊臣秀頼の遺児・天秀尼とともに出家し、鎌倉の東慶寺に入りました。
ちなみに私は小3です。
つまらない自己紹介ですみません🙏

みんみんさん

3位(90点)の評価

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三成を負かした女戦死

小田原攻めの際石田三成が攻めて有いつ落ちなかった城、忍城。
その忍城の戦いで宝刀波切丸を手に真田、豊臣軍と戦った姫❣(じっさいに首をいくつも上げております。)

秀吉の側室(妻)になったことでも有名です。💧

さん

1位(98点)の評価

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浪切丸を手に豊臣と戦った勇ましい姫君!

浪切丸を手に、忍城を守った!
これは、とってもすごいと思います!
その後、秀吉の側室になり、天秀尼(奈阿姫)と一緒に出家しました。
とってもかっこいい姫君だと私は思います!

MISANさん

4位(76点)の評価

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78前田慶次

55.2(278人が評価)
前田慶次

前田 利益(まえだ とします)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将。小説や漫画の影響で、現在では前田慶次/慶次郎の通称で知られるが、宗兵衛、利益、利太、利大、利貞など複数の名前を用いており、道号でも、穀蔵院飄戸斎(こくぞういん ひょっとこさい)や穀蔵院忽之斎(こくぞういん ひょつとさい)、または龍砕軒不便斎(りゅうさいけん ふべんさい)と時期によって名乗りが異なる。(引用元: Wikipedia)

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心たくましく猛将たり!

組外衆の筆頭になり従軍し、共に従軍したと思われる配下の野崎から「心たくましく猛将」と評された。

上杉の猛将安田能元と親交があり、詩歌会(亀岡)での同席や二人の仲の良さが伝わる二人の連歌が残る。相通じるものがあり、互いに文武を認め合う仲だったと思われる

実は、戦国武将の武勇伝を集めた武辺咄聞書でクローズアップされていて、江戸時代では有名な武辺者の一人です。

あと、余り知られていないが、皆朱槍は現存していないが、皆朱の甲冑は現存している。

Ab

Abさん

1位(100点)の評価

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傾奇者

まさに傾奇者!!これは漫画やパチンコでも描かれている通り、自由気ままに生き、そして仁義に生きる男なら憧れる人物。まさに強くて美しい、そして頭が良い。天下一の傾奇者と名乗ったほど、その姿は華麗で力強かったと想像する。まさに私もこんな漢として生きていきたい。

りゅうちゃん

りゅうちゃんさん

5位(75点)の評価

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友人多き💗👭💗

数々の武将と親しく優しいから♡

小学3年生で毎日投稿頑張っているので応援ꉂꉂ📣と、『イイね︎👍🏻 』よろしくお願いします😊

ゲストちゃん🥰さん

9位(95点)の評価

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79尼子経久

55.2(48人が評価)

謀多きは勝ち、少なきは負ける

毛利元就を越える知略を持つ唯一の人だと思う。当時の寿命で考えたらありえないけど、あと20年長く生きたらきっと毛利は滅ぼされて尼子は滅ばなかったんだと思う。

源太兵衛尉さん

1位(100点)の評価

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80細川幽斎

54.8(41人が評価)

教養だけで生きていきたい

武将としての能力も高いのだけど、
文化人としても強力でそれだけで天皇を動かして停戦まで行った人。
信長の代わりはいるかもしれないが、この人の代わりはいなかった。

碧海

碧海さん

1位(100点)の評価

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81

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