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もうすぐ中3さんの「戦国武将最強ランキング」

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更新日: 2025/02/11

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ランキング結果

1上杉謙信

上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。

戦国最強の戦術家

上杉謙信は、非常に高い知略を持った武将で、勝率は約95%です。
僕が思うに、戦国最強の戦術家は間違いなく謙信です。
謙信の有名な戦いといえば川中島の戦いですが、他にも、彼の才能が光った戦いは山ほどあります。初陣は栃尾城の戦いです。
敵兵が突撃して川を渡り始めた時に出陣し、足場が悪いうちに撃退しました。
晴景が栃尾城を攻めてきた時には、晴景軍が小荷駄を連れていないことから、見せかけの攻城を看破し、晴景軍の退却中に夜襲を掛けて勝利しました。
川中島の戦いでは、第三次川中島合戦まで、信玄は謙信と戦うことを嫌がった上、第四次川中島合戦では、山本勘助の啄木鳥戦法を見破り、車懸かりの陣を使って武田軍本隊を強襲し、多大な被害を及ぼしました。
北条氏政との戦いである唐沢山城の戦いでは、35,000の北条軍にたった45騎で勝利し、また、小田原侵攻作戦では、小田原城を落城寸前に追い込むなど、北条氏康をも圧倒します。また、この際、武田軍が碓氷峠を越えようとしているとの一報が入って、結局このことによって、小田原侵攻作戦は中断せざるを得なかったのですが、謙信だけは、小田原城を攻め続けようと主張しました。これが実は恐ろしいところで、小田原城を攻め落としたら、関東一円の兵力を使って、今川氏真を滅ぼし、駿河を手に入れ、越後、関東、駿河から甲州を挟撃して武田を滅ぼし、その上で織田信長をも屠って楽々と天下を取れていたということです。

1徳川家康

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康(まつだいら もとやす)。戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開府し征夷大将軍となる。三英傑のひとり。

総合的に見てまず間違いなく最強

家康の強みは、何と言ってもその総合力にあります。
僕は武力、知謀、統率力、政治力、交渉術、対応力というステータスで武将を評価するのですが、家康の場合、そのどれをとってもステータスがぶっ壊れているのです。
武力と交渉術は、徳川四天王による活躍が大きいですが、それを抜きにしても、桶狭間の戦いで信長が義元よりも警戒していたことを考えるとその強さがわかります。
知謀に関しては、関ヶ原の戦いで一番発揮されたと思います。
三成襲撃事件の際に、わざと三成を生かしておくことで、自身に敵対する大名を三成の元に集中させ、戦で一気に滅ぼせるようにし、さらに三成を餌にして武断派大名を取り込んで兵を確保。その上で、三方ヶ原の戦いで自身を破った武田信玄の策をコピーして三成の出陣を誘発。さらに確実に勝利するために、西軍の武将への調略を行って西軍の兵力の約半数を無力化し、小早川に関しては鉄砲で脅して無理矢理寝返らせ、大谷軍を壊滅させ、その結果僅か半日で勝利するという、とんでもない芸当を見せました。
また、徳川四天王という化け物を従えるだけの高い統率力も持ち合わせている他、政治力に関しては、経済的な要所をしっかりと抑えている上に、大名の配置や一国一城令など、幕府が長く続くための工夫が凝らされていたので高評価です。

2島津義弘

島津義弘

島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主。島津氏18代当主・島津忠恒(のち家久に改名)の父。後に剃髪して惟新斎[注釈 2]と号したため、惟新公(いしんこう)との敬称でも呼ばれた。武勇の誉れ高く「鬼島津」の異名で知られ、戦国(安土桃山)時代でも屈指の猛将として当時から有名であった。日本では「鬼島津」の名で呼ばれ親しまれている。

もはやバグでしょこれww

義弘の強みは高過ぎる武力と統率力です。
朝鮮出兵では、身分関係なしに暖をとっていたため、凍死者が出ず、中国王朝「明」との戦いでは、たったの6000ほどの兵で8万の敵兵を討ち取ったとか言われてます。それも数人しか死者を出さず。
しかも島津の退き口では、8万の徳川軍を突破し、徳川四天王の本田忠勝と井伊直政を負傷させ、井伊直政に関してはこの時の傷が原因で死亡しています。もう無茶苦茶ですww家康でもあらゆる策略を施して何とか勝てるレベルだと思ってます。

3立花宗茂

立花宗茂

立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。大友氏の一族で、重臣。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将は他にもいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である。 なお、宗茂は晩年の名乗りであり、幾度も名前を変えているが、本項では便宜的に宗茂で統一する。

滅茶苦茶強い

立花宗茂は、自らが総大将として指揮した戦いでは、一度も負けたことがありません。
やはり、その強さは武力にあるでしょう。
あとは九州の地の利を生かし、いち早く早合という道具を取り入れたのが大きいですね。
早合を使うと、通常の倍くらいの早さで鉄砲を撃てます。
宗茂は、武を持つ上に知力も高く、築城力も高水準。
また、領民にも慕われる統率力と政治力も非常に高い評価ができます。

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